はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第24章 老化を考える

厚生労働省が2020年07月31日に発表した平成30年簡易生命表によると、2019年の日本人の平均寿命は女性87.45歳、男性は81.41歳となり、ともに過去最高を更新した。女性は世界一の長寿で、男性はスイスについで第二位の位置にある。長寿は喜ばしいが…。

体が思うように動かなくなったら特別老人養護施設へ入り、時々ニュースになるような若い介護職員に怒鳴られたり殴られたりしながら一生を終えるのだろうと思っていた。三好春樹さんの著書「老人介護 常識の誤り」と出会い、考え方を一変させられた。

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1 ボケと寝たっきり

 1-1 あなたの選択はどっち

もし、選ぶことができるなら、あなたは「ボケ」と「寝たっきり」のどちらを選ぶだろう。老人の集まりで聞くと、多くの老人は圧倒的多数で「ボケ」を選ぶそうだ。九割はボケを選び、寝たっきりを選んだ人は一割だったそうだ。

「ボケ」と「寝たっきり」ではその原因が全く違うはずである。寝たっきりは身体的な問題で、それに対しボケのほうは精神の問題とされている。保健所でもデイサービスでも、受け入れることころが違っていたりする。

さて、あなたは「ボケ」と「寝たっきり」のどちらを選んだだろうか。選択するには結構迷ったと推測する。しかし、どちらにしても迷う必要はないそうだ。不思議なことにボケと寝たっきりはセットになるという。

もし、あなたが寝たっきりになったとする。どんなインテリであったとしても、3年後にはボケてしまっている可能性が高い。インテリの方が頭を使っているからボケないと云うのは正論ではないらしい。そして、インテリほどボケたときの介護が大変だという。

もし、あなたがボケたとしよう。すると、どんなに身体が強健な人でも、3年後には寝たっきりになっている可能性が高い。これらには例外がほとんど存在しないと言っていいくらいだそうだ。悩んだ末に選んでもらっても、3年たてばみんなセットになるという。

一方、10年間も寝たっきりで、いまだに頭がしっかりして口達者の婆さんもいることはいる。嫁さんが「少しはボケてくれたほうが楽なのに」という例外的な老人もいることはいるようだ。

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高齢化社会が到来したので老人、特に寝たきりや痴呆性老人が増えてきた。これからも増えると説明されている。大きな問題は、医師、看護師を中心とした医療・看護の専門家によって、現代の老人と家族が抱えている問題を解決できなかったことである。

解決するどころか問題を作り出し、その問題をもっと難しくしてきた。病院の専門職が寝たきり老人とボケを作り出しているといえる。だから介護士の三好春樹さんが寝たきりを起こし、ボケを落ち着かせようと訴えて猛反発を受けていたという歴史がある。

病院の始まりは野戦病院だった。野戦病院は死を待つ場所である。抗生物質のない時代に、病人とケガ人は感染の予防も治療もできずに死に至った。医師にできることはわずかな治療、それも現代では効果があると思えないような薬が与えられていた。

しかし、看護には有効な方法があった。安静を保ち栄養を補給することである。安静と栄養と、治療を受けたという暗示によって、回復力のある運のいい若い患者は治癒することができた。

当時の看護職は安静にする知識と、栄養を補給することを考えればよかった。未だに鼻からチューブで老人に栄養を摂らせようとし、嫌がる老人がチューブを抜かないように手を縛って安静を強要してしまう。これが老人を寝たきりとボケに追いやってきた。

医師と看護師が対象とするのは病人で、死に至る病が治癒またはコントロールできるようになって平均寿命が延び、老いと共に生活していく人が増えてきた。病気と元気の間に脳血管障害による手足のマヒといった身体障がいや、老化を持った人たちが増えてきた。

病気と元気の間の人たちに対して、医療も看護も無力であった。治癒を目的として作られてきた医療体系はこれ以上治らないとなると興味を失い、安静を目的として作られた看護体系は、自らの体系を守るためにすでに患者ではなくなった障がい老人を、安静の中に閉じ込めようとして手足をしばっていた。

そこへリハビリテーションという救世主が現れた。理学療養士や作業療養士は希望の星となり、リハビリをやれば手足のマヒは直り、寝たきり老人は立ち上がり、老人問題はすぐに解決するかのように期待されていた。だがそれは、幻影にすぎなかった。

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 1-2 一番の贅沢は自宅で

リハビリテーションが充実しても、病気と元気の間に存在する人たちは増え続け、病気も慢性疾患と呼ばれる病態へと変化してきた。病気を治せなくてもコントロールできるようになり、病気と元気の中間で生活する人たちが増えてきた。

自律性を教えなければならない場合に、介護法を教えればその人は寝たきりになり続けることになる。逆に、介護の必要な時に自立法を押し付ければ、介護ではなくいじめになってしまう。

現代は、ほとんどの人が病院で死ぬ。ICUと呼ばれる治療室で、ピコピコ音を出す医療機器に体中を繋がれて苦しみながら死んでいく。むかし、家で看取っていた時には苦しまずに死ねた。

弱ってくると人間は生理的脱水になる。つまり、体中の水分が少なくなる。すると痛みや苦しみを感じなくなって、すこしずつ丁度飛行機が着陸するみたいに息を引き取ることができた。ところが、病院では脱水にしないために点滴を絶やさない。

すると、痛みを感じたまま飛行機が墜落するように死ななければならない。死ぬことに近代科学で抵抗しても無駄なことで、本人が苦しむだけなのだ。それなのに、本人も家族も入院を望んでいる。

病院では、危篤を聞きつけて駆け付けた家族や友人を治療の邪魔になると廊下へ追い出し、白衣の他人に囲まれて人生の最後を迎えなければならない。人間の人生のお別れにふさわしいだろうか。家の畳の上で死ぬことが一番の贅沢である。

多くの老人は病院から退院して家へ帰ってくるとそれだけで元気になる。オドオドしていた表情がすっかり落ち着いて、家族や周りの人を驚かせる。

あなたは寝たきりとボケのどちらが良いだろうか。どちらを選んでも、寝たきりとボケはセットになっている。あなたがボケになってとしても、三年後には寝たきりになっている。ほとんど例外はないそうである。うんざりする話である。

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 1-3 寝たっきりへの道

ボケ老人の出て行こうとする執念たるやすごいものがある。ボケ老人が家から出ていくのは何らかの目的があり、しなければならない何かがあるのだ。だから目が吊り上がって一心不乱に出て行こうとする。足の力もバランス力も信じられないくらい良くなる。

ボケが深くなるほど、自発的外出のときには曲がり角を左に折れていくことが多いという。これは人の軸足が左足で、その軸足を中心にすると左へ左へと曲がっていくのが自然だからである。その証拠に、トラック競技は必ず左回りになっている。

自発的外出が頻繁になると、家族は個室に閉じ込めざるを得なくなる。閉じ込められた老人は歩き回ることで要求不満を解消することができず、部屋の中で様々な作業を初めてしまう。ストレスの解消でカーテンを引きずり下ろしたり、シーツを破いてしまう。

部屋から出ないと運動量は少なくなり、使わない筋肉は細くなる。「廃用性筋委縮」となり、あっというまに布団に寝ているだけの生活になってしまう。これが3年も続けば筋力だけでなくバランス力や耐久力も失われて「廃用性症候群」に至り、寝たきりとなる。

3年というのは家族の愛情があるからである。愛情というより愛憎と云った方が良いかもしれない。カギをかけたるすることへの躊躇があるから3年かかる。その躊躇がないとどうなるだろうか。

介護に疲れた家族が老人を病院へ連れて行く。歩いてやってきた老人は、自発的歩行制御や徘徊させないようにベットに手足を縛り付けられ、一夜にして寝たっきりとなってしまう。介護の世界ではこれを「抑制」と呼んでいる。

入院して一週間後に面会にきた家族は、抵抗する気力も失って目に生気をなくした父や母を発見する。慌てて、退院させて家に連れ帰ろうとしても許可は出ない。鼻にチューブを入れられ、流動食が流し込まれているのである。かくしてセットは完了する。

ボケ老人が寝たきりとセットになる原因は、家の中に閉じ込められること、部屋の中に閉じ込められること、そしてベットに縛り付けられることであることが分かる。難しく言えば、生活空間の矮小化ということになる。

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 1-4 ボケへの道

山本正さんは元小学校の校長だった。定年退職後公民館の館長を務め、2度めの定年直後に脳卒中で倒れてしまった。救急車で病院へ運ばれ、順調に回復してリハビリを受けて退院された。

手足に軽い麻痺が残ったが、左足をひきずる程度で、杖は持っているが時々忘れて来るくらいまで回復していた。山本さんは外へ出なくなった。かっての同僚や教え子など知った人にこんな姿を見せたくないという。

先生とか社長なんて呼ばれていた社会的地位の高かった人は、こうした障害に弱い。以前の自分に比べ、現在の障害を持った一介の老人という立場には差があり過ぎる。現実の自分を受け入れることができなくなっているのだ。

勧められて機能訓練に参加すると自己紹介の時間がある。「じゃあ、次の方」と言われても山本さんはどう答えてよいか判らないという表情だった。人前で恥をかかせないようにと保健婦が「山本さんですよね。先生をなさっていた」と尋ねるとうなずいたという。

保健婦が「お生まれは」と恐る恐る尋ねると、やはり曖昧な表情を浮かべるばかりである。いっしょについていた奥様が代わりに「大正○年〇月〇日です」と答えてくれたという。インテリほどこの傾向が強いそうである。

体を使わないでいると筋肉が細くなると云うのは誰でも知っている。廃用性筋萎縮である。しかし、精神機能も使わないでいると低下していくのである。体も精神も、生活の中で使うことで維持、再生産されていくからである。

普段は家族と日常会話ぐらいは交わしているはずである。しかし、考えてみると家族同士の会話はそれほど多いわけではない。特に、家から一歩も出ることのない人は、家族と共通の話題がそれほど多いはずもない。

言わなくても判ると云うのが家族なのである。家族だけの人間関係が続くと、言う必要がないから言わない。そして、言わない状態が3年続くと、たとえどんなインテリでも判らなくなるのである。

寝たっきり老人がボケとセットになるのも、生活空間の矮小化によることが分かる。生活空間が狭くなると、人間関係が少なくなり、会話、コミュニュケーションが無くなることである。家族だけの関係は、ボケの予防にはあまり役立たないということが分かる。

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2 福祉業界の不思議

 2-1 目先を追いかける開発者

福祉機器の開発者たちは不思議な人々で、トイレ付ベットというものがあった。電動でベットのお尻の部分が開いて寝たまま排泄でき、ベットに風呂が付いた便利なものもあった。トイレは使いこなせず、風呂も操作が面倒でほとんど相手にされない代物である。

施設の居室から浴場までリフトで吊って、動かすシステムも派手に宣伝されていた。これは省力化になると飛びついた施設がたくさんあったが、今では大半がサビついている。使われていないのだ。

福祉機器の展示会でヘルパーが入浴のモデルを買って出た。水着を着て専用のストレッチャーに横になり、首の上だけ外に出して体はカセットの中に入れられる。すると、洗剤がかけられたかと思うと、洗車機のように体が洗われていく。

大勢の見物者の注視の中、製造メーカーの社員から「どうでしたか」とマイクを向けられた彼女、「いいですね、これは。死体を洗うには」。アンケートは書かせてくれなかったそうだ。

人間は自発的にゴソゴソ動くものだが、この装置はそれさえ許さない。ストレッチャーの真ん中で、じっと上を向いて寝ていることを強制されるのである。これでは彼女の言う通り死体洗浄機でしかない。

介護の世界に大々的に参入してきては、上手くいかずに撤退していった企業の数は枚挙にいとまがない。しかも、その失敗を何度も繰り返すのだから、これはとても頭のいい人がやっているとは思えない。

介護職や家族は、老人が落ち着いて笑顔が出せるようなケアをしたいと思っている。緊張して顔が引きつったり、夜眠れなくなるようなケアをしたい人はいない。老人もこれまでと同じような生活がしたいと思っている。

長い間に習慣化された方法ならば身体が覚えている。それなのに人体洗浄機、いや死体洗浄器である。ボケていなくてもあれをお風呂だと思う老人はいないだろう。ボケて日常の動作すらわからなくなり不安なのに、生まれて初めての体験をさせられ喜ぶだろうか。

介護機器の発案者は、寝たきり老人が大勢存在していると思っている。マスコミが寝たきり老人の数が全国で100万人、10年後にはさらに増えると報道する数字を信じ、介護機器を開発すれば商売になると考えるのだろう。

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 2-2 数字の魔術

寝たきり老人の数はそんなにいるはずがないのである。終末期の人をのぞくと、風邪でも引いている人が何人かいるだけというのが実態である。役人や学者が机の上で書いたレポートを、机の上で読んでいる人たちがそう考えているだけなのだ。

寝たきり老人は現在では100万人と言われている。しかし、ほんとうに寝たきりの人はそんなにいない。国民や政治家に老人問題が深刻であることを浸透させ、老人関係の予算を増やすために、厚生労働省の頭のいい人たちが考えた戦略だろう。

この戦略が見事に当たって、ゴールドプラン、介護保険など、かってとはくらべものにならないほど莫大な金が動くことになった。福祉関係予算のチェックの甘さを利用して、私腹を肥やした人も出てきた。

これまで膨大な予算が、寝たっきり老人を起こし寝たっきりから脱出させるためにではなく、寝たっきりのままにするために使われている。寝たっきりでない人まで、寝たっきりにするために金が垂れ流しになっているのである。

寝たきり老人が数字で表されるのは、制度が不備だからである。寝たっきり老人ということになれば毎月手当てが出る。介護用品も貸し出してくれる。ところが寝たきりにならないために頑張っている人にはなんの手当もないのだ。

これが建前上の寝たきり老人を作ることになる。こうした数字が積み重なったものがマスコミなどが報道する「寝たきり老人100万人」という結果である。マスコミは寝たきり老人の実体を調べて報道しているわけではない。

身体障害者手帳というものがある。障がいの程度に応じて一級や二級という等級が決めら、それに応じて様々な援助が受けられる。不自由な手足で頑張って歩いていると、等級は判定してもらえずほとんど援助がない。

やりての保健婦や看護師は建前を作りあげる。身体障害手帳の交付を受ける前に、「歩けると低い級しかくれないから、歩けないことにするのよ」と云い含めて、ちゃんと二級の判定をもらえるように助言している。

昨今、保険金を搾取するために重傷を装って一級をだまし取るという事件が起こったため、身体障害の判定が厳しくなった。現場の者にとっては大きな迷惑だという。これもおかしな話である。

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 2-3 主体の崩壊が問題

寝たきりの原因が身体なら、ステージⅠやⅡの重いマヒの人が寝たっきりになっているはずである。ところがそうではない。ステージⅠやⅡの人が手摺りをもって立ち、車椅子に乗ってトイレに通ったり、食堂に出て食事をしているのが実態である。

起き上がって布団からいざり出て、家じゅうを移動し、階段すら胡坐を組んで後ろ向きに一段ずつお尻を挙げて上がっていく人もいた。考えてみれば片方の足が麻痺しているとはいえ、良い方の片手で起き上がってこれないはずはない。

さらに、片足だけでも立てるはずだ。もちろんバランスが取りにくいことにはなっているが、正しい位置に手摺があれば何とか自立できる。ほんの少しの介護で立てるはずである。身体の問題だけで考えれば重い手足のマヒでも寝たきりになるはずはないのである。

脳卒中による麻痺は再発でもしない限り進行して悪くなることはない。6年間も寝たままで過ごしている老人に手足を動かせてみると、検査の指示に従って手足を動かすが、無表情で無言である。この無表情で無言にヒントがある。

寝たっきりの原因は主体の崩壊である。重いマヒでも寝たっきりでない人がいくらでもいるので、手足のマヒはきっかけではあるが原因ではない。主体が崩壊して自発的に動かなくなり、その結果動けない体になったのだ。

主体が崩壊していると、生きていこうという気持がなくなる。ボケた老人の置かれた生活が、生活と呼ぶに値しないものだったからである。実は、ボケようが身体に障害があろうがなかろうが、寝たっきりの原因は生活にあると云うのが真実である。

人の主体性はバタバタ、ゴソゴソから始まる。生まれたばかりの赤ちゃんを、バタバタゴソゴソソウルが主体性の発揮なのだ。目的がある動作ではないけど、これを止めさせようとする産婦人科医や助産婦はいないだろう。

ところが、老人の場合は平気でやってしまう。柔らかすぎるベットは力を吸収してしまい、動くに動けないのである。床ずれ予防用のエアーマットをが使われると事態はもっと悪くなる。無意識で動けないと意識が戻って目覚めてしまう。

私たちが一晩中寝続けても、床ずれができないのは無意識にゴソゴソすることで、体重がかかる部位を変えているからである。つまりゴソゴソを許さない寝具は本末転倒と言わなければならない。

ところが、老人がゴソゴソすると、病院はベットから落ちると大変だからと睡眠剤を与えたり、手足を縛ってしまうのである。手足のマヒが軽度でもベットの上で上半身を抑制され、廃人にさせられてしまうというのが現実である。

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3 老化による現象

 3-1 老人の自発的外出

老人の自発的外出には目的がある。そして、曲がり角は左へ曲がって行く。人の軸足は左足で、その時期を中心に左へ左へと曲がってしまう。人は無意識になると左へと舵を切る。

部屋へ閉じ込めておくとストレスが溜まり、廃用性筋萎縮=使わないでいると筋肉が細くなる。廃用症候群になると寝たきりになる。

部屋から出ないと運動不足となり、筋力だけでなくバランス力や耐久力といった身体機能全般におよび廃用症候群に至り、寝ているだけの生活となる。

家族が疲れて介護ができなくなると社会的入院となる。歩いてやってきた老人は、一夜にして寝たきりにさせられる。自発的歩行訓練と称して、徘徊させないようにベットに手足を縛り付けられる。

ボケ老人が寝たっきりとセットになるのは、家の中に閉じ込められ、部屋の中に閉じ込められ、そしてベットに縛り付けられることである。生活空間の狭小化である。

寝たきりがボケになる理由は、生活空間の狭小化で人間関係が少なくなり、会話やコミュニケーションが無くなることである。家族だけの関係ではボケの予防にはあまり役立たないということが分かる。

高齢者の定義を80歳以上にすべきだ。寝たきりにならないためにどうするか、寝たきりになったときにどうするか、ボケないためにどうするか、ボケたときにどうすればよいか。これを解決すれば老人問題は深刻さが消える。

ボケた老人が寝たきりになるのは、家の中や部屋の中、ひどい場合はベットに閉じ込められたからだ。寝たきり老人がボケるのは、家の中に閉じこもっていたからだ。どちらも同じ原因である。閉じこもりは進行性の病気である。

寝たきり老人を起こし、寝たきりから脱出させるためではなく、寝たきりのままにすることに予算が使われている。

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 3-2 おもらし

物忘れは人間の宿命である。人は新しい体験のために忘れるのだという。老人にとっては、自分の老いそのものが新しい体験なのだ。今朝何を食べたのかとか、総理大臣が誰かなどということは、取るに足りないことではないだろうか。

95歳のおばあちゃんがいた。「お婆ちゃん、歳なんぼになる」と聞くと「あんた知っとるだろうが」と答えた。「しらんのよ、教えてよ」というと、「なんぼになるかな、かなにりなるで」としばらく考えて「どうしても知り知りたければば役場へ行って聞いてみてくれ」と答えた。

お婆ちゃんは、自分の歳が分からないことを知っている、それがまず立派だ。知らないことを隠そうともしない。恥ずかしいとも思っていない。それも立派である。もっと立派なのは物忘れへの対処法を知っていることである。自分は判らないからよく判る人に聞いてくれという。立派ではないか。

私たちもこうやって生活してきた。法律の事は私たちにさっぱりわからない。いわば専門家から見ればボケ状態である。自分は無知であることが分かっていて、必要になれば弁護士のところへ行って聞けばいいのである。病気のことは医者に聞けばいい。

自分の老いを認めない。弱みを見せられないと人のせいだということになる。若い人にミスを指摘されて、素直に反省できるだろうか。助けてもらって、ありがとうと感謝できるだろうか。人を信じてもいいのだ。弱みを見せて甘えてもいいのだと思えるだろうか。

歳をとれば目が薄くなる。耳は遠くなる。それを誰もボケとは言わない。おもらしもそれと同じである。老化によって収縮していなければならない尿道括約筋がゆるんでしまうのだ。

尿道括約筋には休みがない。起きているときも寝ているときも、尿が漏れてしまわないようにずっと働きずめである。24時間365日休みなしある。休憩らしいものは1日に数回ある。つまり放尿の時だけ休める。それ以外は働きぱなしである。

老人がおもらししたからと言って慌てないでほしい。怒ってはいけない。それは長生きをしたことを怒こることになるからだ。嘆いても困る。嘆くと、これ以上長生きするなと言っているのと同じことになるからである。

老化に伴う自然現象であるおもらしは、老人にとって主体崩壊の最大きっかけである。家族も叱ったり、嘆いたり、病気やボケだとみなしてきた。なにより老人自身が、おもらしをする自分自身を認めることができなたった。

おもらしをしてショックの老人を、周りは嘆き、叱り、起き上がることもできないオムツをあてがった。老人の自尊心はとことん打ちのめされて、たった一回のおもらしで家からでなくなる。閉じこもり症候群となり、ボケと寝たきり老人がが作られていく。

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お婆さんは「何が悲しいかっていうと、オムツを替えにくる人が臭い、汚いって顔をしかめるのよ。そりゃ出るものは臭いし汚いじゃろうが、生きとるから出るんじゃないか。それをあんまり嫌がられるんじゃ、生きとっちゃいけんのかと思えてくるよ」嘆いた。

たしかに、オムツに出ているモノを処理するのはたしかに臭いし、汚い仕事だ。だからオムツに出さなくてもいいなら、どんな工夫でもしてみようと思わなければならない。一つは姿勢である。多くの病院では上を向いたまま排尿、排便をさせてきた。

オムツの中に排泄しろと言われるだけで大変な心理的抵抗があるのに、その気になったとしても上向きの姿勢では便も尿も出にくいのである。寝ていては腹圧がかからない。力のない老人ほど寝たままで排泄させてはいけないことになる。

次に重力が味方してくれない。座れば肛門も尿道も下向きになり、便や尿の重さが排出を助けてくれるが、寝ていては重力が使えないため便や尿が残ってしまう。残った便は少しずつ肛門から出てきて肛門やお尻がただれ、残尿は膀胱炎を引き起こす。

そこでまず、一人でトイレへ行けるように工夫してほしい。ベットから下りやすくしたり、廊下に手摺をつけたりしてほしい。日本式の家はトイレも近いし、壁から壁への伝い歩きが楽にできる。

トイレまで行くのが無理ならベッドサイトにポータブルトイレを置いて、一人で行えるよう工夫してほしい。ポータブルトイレのバケツの中に排泄するとはいえ、オムツの中にするのとは大違いである。処理も簡単で、老人のプライドも守れる。

軽くて不安定なポータブルトイレは老人向きでない。足が降ろせ、立ち上がりが楽な45センチ前後の高さのベットと椅子型のポータブルトイレ、それにベットに取り付けられる手摺りが、オムツ外しの三点セットと三好春樹氏が推奨している。

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 3-3 リハビリテ-ション

脳卒中のリハビリテ-ションは段階がある。最初は治癒訓練と呼ばれるもので、脳卒中で生じた手足のマヒを治すことを目的とする。発作が起きて一定の期間内にはマヒが回復していくことが多い。どれくらい回復が可能かは脳卒中のタイプによって異なる。

比較的若い人のクモ膜下出血だと、1年、2年の後でも回復していることがあるが、老人の普通の脳卒中の場合は大体4ヶ月くらいだと思った方が良い。ただし、マヒを訓練によって治しているわけではない。

マヒした手足が治るか治らないか、どのくらい治るかというのは、発作の時の脳がどのくらい、どのように損傷を受けたかというその後の治療で決まってしまう。つまり、医師が優秀か新米かで決まるということはないのである。

手足のマヒに関しては、リハビリ専門職の役割りは手や指を伸ばすことを促すという消極的なものでしかない。早期の訓練は必要である。それは訓練にでないでベットの上に寝続けていることによって、廃用性症候群に対する治療および予防の効果である。

リハビリに出るようになって老人の目が急に輝いてくることがある。自分を待っている人がいる、自分と共に家庭復帰、社会復帰を付き合ってくれる人がいる。自分と同じ病人が、希望を失しなうことなく頑張っているのを確認できることで主体が甦るからである。

しかし、治るかどうかは本人の頑張りとは関係なく決まる。精神力が治癒を高めるケースもあるだろう。しかしながら、マヒが治らないのは本人の頑張りが足りないかのように言われるのは正しくない。善意からとは言え、間違った励まし方は止めてほしい。

治療訓練と並行して行われ、少しづつその占める割合が増えていくのが機能訓練と呼ばれれるものである。マヒした手足を持った体でどう起き上がり、どう立ち上がるかをマスターするものである。

患者である老人にとって大変なのは、自分の体のバランスが取れないことである。長い間寝かされていなければ、よい方の片手で起きあがり、よい足の力で立ち上がるくらいの力はあるはずだ。ところがバランスがとれないのだ。

人間は生まれてからずっと、左右対称の身体を前提としてバランスをとってきた。ところが片マヒになるとこの左右対称が崩れてしまう。70歳80歳という高齢になって、ゼロから自分の体の動かし方を新しくマスターしなければならなくなる。

もう一つの訓練はADL訓練と呼ばれる日常生活動作である。マヒした手足で食事をしトイレに通い、風呂に入るかをマスターする訓練である。この訓練は家でやらなければ意味がない。また、家の前の道が平坦か急な坂道かでも、必要な訓練は異なってくる。

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 3-4 定義を改正すべき

老人問題がいまほど語られている時代はない。全人口に占める高齢者の割合が増えるというので、年金や介護といった多くの分野で危機が叫ばれている。しかし、老人側に立ってみると「長生きして悪いのか」と云いたくなる。

老人が増えたからと言って問題だと言われるのは納得がいかない。食生活が豊かになって病気にかからなくなり、治せなかった病気も治せるようになったからみんなが長生きになり、高齢者が増えたのだからこれはむしろ喜ばしいことのはずである。

科学的に正しいと専門家が言うことは時間の経過でコロコロ変わってしまう。5年前に正しいと言われていたことが、今は誰も言わないなんてことはザラである。専門家が言っていたことは間違いとされ、5年後には残っているかどうか怪しいものもある。

かって、脳祖中で倒れたら絶対安静と言われ、発病から何ヶ月、何年たっても起こしてはいけないと医師や看護師が指導していた。入浴なんてとんでもないことである。いまは絶対安静は間違いだとされ、リハビリが大事だから早く起こせと言われている。

かっての指導は間違いと、医者や看護師が謝ったという話は聞いたことがない。多くの家族は従ったが、水面下で知られていないが、かなりの家族がその指導に逆らって老人を起こし、風呂にだって入れてきたのだ。

「お風呂にくらい入らないと生きている気がしないよねぇ」という発想である。「風呂に入って死んだら本望じゃないの」などと思い切った決断をした家族もあった。家族は専門性がないが生活者の常識があった。

生活者の常識は5年や10年で間違いになったりすることはない。脳祖中で倒れて10年目の男性が、死ぬまでに一度生まれ故郷を旅行したいと言い始めた。彼はそのために訓練教室へ通って体力をつけ、家族やボランティァも協力してくれることとなった。

ところが、主治医が許可してくれなかった。それだけを楽しみにしてきた彼は自暴自棄になりかけた。そこで、家族はどうしたか。主治医を変えて旅行に出たのだ。本人、家族と専門家の関係はこうあるべきである。

もちろん何かがあったときの責任は、本人や家族が引き受ける覚悟が必要だ。彼が旅行を楽しみ、ますます元気になったことは言うまでもない。

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もし、介護方針について専門家の言うことと私たち生活者の常識が食い違ったら、生活の側につくべきと三好春樹氏は断言している。100年200年という単位で生活の中で検証され続けられてきて残ったものだからである。

高齢者が増えるのは、65歳以上を高齢者としているからである。私はまもなく79歳になるが、降雪があるとママサンダンプと雪かきをもって表へ行き、一度も休憩を取らずに220㎡を1時間半ほどかけて除雪している。これで後期高齢者と言えるだろうか。

パークゴルフ場で遇った人々は私よりも高齢の方々が多かった。60歳で還暦、70歳で古希、77歳で喜寿、80歳で傘寿、88歳で米寿などといわれてきたが、年齢間隔はもはや実態から程遠くなっている。高齢者とは80歳からと定義を変更すべきである。

健康な老人がいくら増えても問題はないだろう。歳相応の健康状態で長生きしさえしてくれれば、高齢者が社会にとっても本人にとってもそれほど大問題になるとは思えない。高齢社会が問題になるのは、寝たきりとボケが増えることであろう。

寝たきりにならないためにどうすればよいのか、寝たきりになったらどうすればよいのか。ボケにならないためにどうすればいいのか、ボケになったらどうすればよいのか。この2つの問題さえ解決されれば、老人問題なんて言葉から深刻さがかなり消える。

老人から寝たっきりとボケを奪うのは、まず家から出ることと言われる。家から出るには、それなりの服装を整えなければならず髭を剃ったり髪の毛も整えなければならない。女性は服装を気にしたり、化粧なども欠かせないだろう。

散歩したり、ときどき友人が訪ねてきたり、時には友人宅を訪問したり、温泉へ出かけたり、飲み会をしたりと、共感する世界を持つことが大事だという。しかし、考えてみればこれは当たり前すぎるぐらい普通の生活ではないだろうか。

障害老人やボケ老人に必要なのは、何か特別なことではなく普通の生活なのである。普通の生活をするためには、専門性ではなく当たり前の生活こそが大切なのである。

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4 本能は工夫で回復

 4-1 寝返りが出来ない

介護も現場にエアーマットが大量に入り込んでいる。エア―マットとは電気の力でマットの空気を入れたり出したりして圧迫による血行障害をふせぎ、治療しようとするものである。老人病院の中にはエア―マット使用を売り物にしているところもある。

このような病院へは絶対に入らないほうが良い。これは介護をしないということを宣言しているようなものだからである。床ずれは体が床についているから起こる。専門用語で褥瘡(じょくそう)というが、つまり寝かせっきりのケアの結果なのだ。

床ずれさえできないなら、老人を寝たっきりにしておいても良いという考え方から生まれたのがエア―マットである。寝かせっきりは床ずれができるから悪いのではなくではなく、人間を崩壊させるからよくないのだ。床ずれはその崩壊の一つの結果でしかない。

私たちは毎晩寝ている間、無意識にゴソゴソすることで耐圧を分散し、床ずれになるのを防止している。床ずれができないために最も大切なのは、自分でゴソゴソ動かすことなのだが、エアーマットはそのゴソゴソを阻害してしまう。

エアーマットが用いられるとその体位変換さえ手を抜かれるという困ったことになるのだが、もっと困ったことは看護職は体位変換のやり方を知っていても、老人自身が体位を変える方法を教えられないことだ。

老人が自分で横を向ければ体位変換なんかする必要がなく、エアーマットも不要である。ところがそれを誰も教えられないのだ。私たちはどのようにして上向き姿勢から横向きになっているのだろう。実際にやってみるとすぐにわかる。

左ひじが少し立ち右へ倒れることで下半身がねじれ、上半身がついていって右を向く。頭と左手が少し挙がり、左手が体を越えて右へ動くことで上半身がねじれ、下半身がついていって右を向く。

おそらくこの二つのどちらかのパターンだろう。中には、左足と左手、頭がほぼ同時に動く人もいるかもしれない。左を向くときはその反対で、右膝が立つ右手と頭が挙がるはずだ。まれに、反対に右を向くときに右の膝が立つ人がいるかもしれない。

このような人は、右の腰を痛めていることが多い。腰を無意識にかばうためにパターンが変わっているのである。つまり、私たちは膝を立て、手と頭を挙げることで寝返りという動作をいとも簡単に、ほとんど意識することなく行っているのである。

両ひざを立てる、両手を挙上する、頭と肩を挙上するを出来ることとできないことに分ける。出来ないことはやらせない。できることだけをやらせて、出来ないことに力をかす。少しオーバーに動いてみると簡単にできることが分かる。

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 4-2 起き上がれない

起き上がりとは、寝ている姿勢から座位になることである。これが一人でできれば、寝たっきりから脱出できることになる。実は、寝ったっきり老人の中に一人で起き上がれる人がたくさんんいる。

老人と握手をして思い切り握ってもらう。握ってもらった手が痛ければ、一人で起き上がれるという目安になる。起き上がりの動作をやってみよう。いつものように私たちが毎日やっている動きから始めればいい。上を向いて寝た姿勢から起き上がって見てほしい。

老人には老人の起き上がりパターンがある。まず、十分に横を向く。良い方の手を下にして、これで床を押して起き上がる準備だ。ここで難関がある。下になったう腕を大きく開くことである。体に対して90度ちかくまで開くと楽にできる。

この腕の上をレールのようにして、その上を重い頭部が取っていくのだ。腕の開きが小さいと、力の弱い老人は起き上がれなくなってしまう。腕を大きく開いて、頭が大きな半円を描くように起きてもらうと力がなくても問題はない。

次に、腕を大きく開いたらその手で何かを握ってみてほしい。短いひものようなものでも良いから、何か握れるものを用意しておく。片肘立位まできたら今度は肘を伸ばして座るのだが、このときも頭を大きく半円状に迂回して起きていくことがポイントになる。

一般的にベットの場合は狭すぎるので、第一段階である横になることすら恐ろしくてできない。横を向いて腕を90度近く開けと言われてもそんなスペースはどこにもない。そこで老人は、わずか30度くらい腕を開いて起き上がろうとするから倒れてしまう。

病院に入院すると、この状態を見て「この人は起き上がれない」と判定されてしまう。医療用ベットではなく、シングル用の幅のベットであれば、それだけで全国で何千人、何万人かの老人が一人で起き上がれるはずなのだ。

ベットを買い替えない場合は、椅子を使って工夫するとよいだろう。椅子をベットにくくりつけ、椅子のシート部分を腕を置くスペースとして使う。片肘立位まできたら、今度は肘を伸ばして座るのだが、椅子のシート部分を腕を置くスペースとして使うとよい。

ベットの場合には最初上を向いた姿勢のままで体を斜めにしてから起き上がると、足がベットから垂れ下がる形になって起き上がりが楽になるだけではなく、ベットの狭さも補うことができる。

この動作ができたら、もう寝たっきりではない。老人は自分で起き上がるパターンを体で覚え、そのために必要な関節の動きも確保され、必要な筋肉を刺激できる。ここまで方法を考え、条件を整えて、それでもできないときに初めて介助をすることになる。

三好春樹氏の活躍により介護の改革が始まり、国も考え方を替えてきた。三好春樹氏の著書を紹介させていただく。老人介護 常識の誤り(新潮社)、介護覚書(医学書院)、関係障害論(雲母書房)、生活障害論(雲母書房)、介護技術(雲母書房)、ぜひご一読をお勧めする。

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5 寝たきりゼロへ

 5-0 策定委員会報告書

寝たきり老人ゼロ作戦は、厚生省(現: 厚生労働省)が1989年に策定した「高齢者保健福祉推進10ヵ年戦略(ゴールドプラン)」の中の施策の1つである。日本における寝たきり老人は、欧州先進諸国に比べて突出して多い。

寝たきりを予防して寝たきり老人を減らすことを目的とし、高齢者の自立を支援する観点から脳血管疾患のリハビリテーション、在宅医療サービスの充実、保健師、看護師などの人材の確保を図っていくとしている。

わが国は、いまや平均寿命80年という世界の最長寿国となり、30年後には国民の4人に1人が65歳という超高齢社会の到来を迎えようとしている。寝たきりは本人の生活の質を著しく損なうばかりでなく、家族や国民全体としても大きな課題となっている。

わが国では現在約70万人の寝たきり老人が存在すると見込まれているが、高齢化の進展、特に後期高齢者の増加に伴い、西暦2000年には100万人に達するとの推計もある。

わが国では「年をとれば寝たきりになるのは仕方のないこと」「脳卒中に罹れば寝たきリは避けられないもの」という考えが根強くあったが、寝たきりのかなりの部分は適切な訓練と介護によって十分予防できる。

このため、平成2年度からスタートした「高齢者保健福祉推進十か年戦略」(ゴールドプラン)では、「ねたきり老人ゼロ作戦」を重要な柱のひとつと位置づけ、寝たきり予防の啓発活動が進められているところである。

こうした背景のもとに本委員会は厚生省の依頼を受けて昨年11月以降検討を重ね、別添のとおり「寝たきりゼロへの10ヶ条」を取りまとめた。この10か条が全国各地で利用され、「ねたきり老人ゼロ作戦」の展開に効果的な役割を果たすことを期待する。

平成3年3月7日に厚生省大臣官房老人保健福祉部長より都道府県知事・指定都市市長宛に「寝たきりゼロへの10ヶ条」が通知された。

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 5-2 寝たきりゼロへの10ヶ条

第1条 脳卒中と骨折予防、寝たきりゼロへの第一歩(原因や誘因の発生予防)

(1) 脳脳卒中や骨折等、寝たきりに導く原因疾患の発生を防止すること

(2) 早期リハビリテーションの普及等によリ、原因疾患発生後にそれにより生じる障が
  いを最小限にとどめること。

(3) 不幸にして障がいが残っても障がいの悪化を防止し、社会復帰を促すためあらゆる
  方策を用いて積極的に「動かす」こと。

であるから、10ヶ条の各標語に盛り込むべき具体的テーマとしては以下のようなものとした。

 ○ 原因や誘因の発生予防を訴えるもの
  ○ 作られた寝たきりの防止を訴えるもの(寝かせきりを戒めるもの)
  ○ 早期リハビリテーションの重要性を訴えるもの
  ○ 生活リハビリテーションの考え方を周知するもの
  ○ 寝・食分離をはじめ、生活にメリハリをつけるよう努力を促すもの
  ○ 本人の主体性・自立性の尊重を訴えるもの
  ○ 機器の積極的活用を促すもの
  ○ 住環境の整備の促進を訴えるもの
  ○ 社会参加の重要性を訴えるもの
  ○ 地域の保健・福祉サービスの積極的利用を促すもの

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第2条 寝たきりは、寝かせきりから作られる。過度の安静は逆効果(作られた寝たき
    りの予防)

高齢者は若い人と異なり一週間寝こんだだけで、また、点滴注射等のために臥床状態が続くだけで、筋肉の力が衰えたり起きあがろうという意欲がなくなり、簡単に寝たきりになってしまいます。

一方、じっと寝させておく方が本人も楽だし介護する側も手がかからなくて楽だと錯覚しがちですが、実は、寝かせきりにすることによっていろいろな病気(肺炎、床ずれ、ボケなど)を併発することが知られています。

寝たきりを作らないためには、常に日常生活活動(ADL)の推持を重視し、風邪やケガでも素早く治療して、安静期間をできるだけ短くする心がけが大切です。

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第3条 リハビリは早期開始が効果的、始めようベッドの上から訓練を(早期リハビリ
    テーション)

従来、わが国では脳卒中の発作が起きた場合、安静第一が治療の基本と考えられてきました。そのため、脳卒中のリハビリテーションの開始時期が発作後何ヶ月も経ってからということが普通でした。

しかしながら、リハビリテーション医学の進歩によりリハビリテーションを早く始めれば始めるほど、機能の回復が見込まれるということが明らかになってきました。

特に、意識がはっきりしていて全身状態が良ければ、脳卒中の発作直後遅くとも1週間以内にはリハビリテーションを開始すべきだとさえいわれています。

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第4条 くらしの中でのリハビリは食事と排泄、着替えから(生活リハビリテーショ
    ン)

脳卒中や骨折等で入院してリハビリテーションの結果歩行機能が回復しても、退院後自宅に帰ってから徐々に機能が低下して歩けなくなってしまったという例が少なくありません。

家庭に戻ってからも回復した機能が維持できるようリハビリテーションを続ける必要があります。とはいっても、家庭で医療機関と同じレベルのリハビリテーションをする必要はありません。

日常生活の中であたりまえの、そしてもっとも基本的な動作(食事,排泄,着替え等)を、体を動かせる範囲でなるべく元気な頃と同じように行うよう心がければよいのです。これを「生活リハビリテーション」といいます。

リハビリテーションは訓練だけを意味するものではなく、日常生活活動(ADL)のレベルアップを図って生活の質を高めていくことがその目的といえましょう。

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第5条 朝おきて先ずは着替えて身だしなみ、寝・食分けて生活にメリとハリ(生活の
    メリハリの必要性)

寝る場所と食事をとる場所の区別がつかない生活パターンは、外へ出る意欲を低下させ閉じ込もりから寝込み、ひいては寝たきりへとつながっていきます。身体に障害が残っているからといって、一日中寝間着を着たままでいたり寝床で食事をとったりすることが習慣になってしまうと、生活のリズムにメリハリをなくしてしまいます。

これは施設入所中の高齢者にも当てはまることです。病状が安定した後でも、ベッドの上で食事も排泄も行うような療養生活のあり方は自立のチャンスを奪うことにもなりかねません。食事の時間は車椅子に乗って食堂に行くという、生活パターンを作り上げたいものです。

一方、身だしなみを整えることは外出の予定がなくても気分の転換になったり、他人に良い印象を与えることで自分に自信がもてるなど活動的な生活への動機づけとなります。

身だしなみの第一歩は清潔です。皮席、口腔、頭髪、衣服などを常に清潔に保つことは、臭気を防ぐとともに感染症の予防にとっても大切です。

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第6条 手は出しすぎす 目は離さずが介護の基本、自立の気持ちを大切に(主体性.
    自立性の尊重)

わが国では高齢者にはできるだけ何もさせずに過ごしてもらおうという考え方がありましたが、このようなことはかえって高齢者の運動機能を低下させ行動力の減退を招き、ひいては寝たきりのきっかけを作ります。

時間がかかっても自分でできることは自分で実行してもらうよう周囲が配慮し、高齢者が自力で実行するという気持ちを持ち続けられるよう支援して、心身の機能の低下を招かないようにすることが大切です。

また、安易なオムツの使用は自尊心を傷つけることで生活意欲を奪い、社交性を低下させ結果として寝たきりに陥りやすくなりがちです。排泄も可能な限り自力ですることが大切です。

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第7条 ベッドから移ろう移そう車椅子、行動広げる機器の活用(機器の積極的活用)

寝たきり状態から自立を図っていくためには、各種の機器を活用することが効果的です。布団よりもベッドの方が楽に起きあがれますし、車椅子やポータブルトイレ(腰掛け便座)も使いやすくなりますからできるだけベッドを使いたいものです。ギャッジベッド(特殊寝台)といって、頭部や脚部の傾斜角を自由に変えられるものがあります。

ベッド上で体を起こすことができる人は車椅子を利用して、短時間でも毎日ベッドから離れることを目標にしましょう。じょく創(床ずれ)の予防や食欲の向上につながります。また、寝・食を区別する上でも車椅子は重要な役割を果たします。

車椅子を使いこなせるようになった人は屋外に出ることを目標にしましょう。外出ができれば、生活範囲が広がって意欲の向上につながります。また,歩行ができなくても座ることができれば、ポータブルトイレを使って気持ちよく排泄できますし排泄の自立も達成されます。

こうした福祉機器の活用は在宅の高齢者だけでなく、施設入所中の人にとっても大切なことです。医療・福祉関係者が患者や入所者に積極的に機器の利用を促し、自立をすすめることが,在宅復帰への近道となるでしょう。

ほかにも、入浴担架や体位変換器をはじめ多くの福祉機器が開発され、給付、貸与の制度の対象になっているものも増えています。国では新しい機器の開発に積極的に取り組み、自立と介護を側面から支援しています。

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第8条 手すりつけ段差をなくし住みやすく、アイデア生かした住まいの改善(住環境
    の整備促進)

高齢者はたとえ麻埠等がなくとも、筋力の低下、平衡機能や目、耳の衰えなどから転び易くなっています。そのため、若い人にはなんでもない家の中の段差でも高齢者には障害物となって立ちはだかります。

住宅内でも、廊下、浴室、寝室、トイレ、階段などではしばしば転倒事故が起こります。それに骨組しょう症を合併しているとちょっと転んだだけで骨折し、しかも骨折が治りにくいため寝たきりになりがちです。

手すりの取付け、段差の解消、すべり止めの処置、適切な照明の設置など廊下、階段、トイレ、浴室等の住環境の改善により、できるだけ動きやすく安全で住みやすくする工夫が必要です。

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第9条 家庭でも社会でもよろこび見つけ、みんなで防ごう閉じ込もり(社会参加の重
    要性)

老後は孫の世話や自分一人だけの趣味に生きがいを求めることが理想とされたのは昔のことです。社会とのかかわりをもたず一日中何もしないで家の中に閉じ込もっていることは、運動機能の低下や意欲の消失を招くことから寝たきりの前兆とさえいわれています。

人生80年時代の今日にあたっては、仕事や子育てが終わってからも家庭や社会の中で一定の役割を持ち、主体的な生活を送ることによろこびを感じていくことが、心身の機能の低下を防いで寝たきりを予防することになります。

高齢者が日常生活の中でよろこびを持って取リ組むことのできる役割については、個人個人が置かれた状況によって大きく異なるので一概にはいえませんが、その活動の揚がその高齢者の生活している場のごく身近にあること、過去の経験や知識を生かせること、他人に良い影響を与えるものであること、そしてなんといっでも心から楽しめるものであることなどが基本になるでしょう。

社会、家族の一員として、できるだけ長く役割を持ち続けましょう

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第10条 進んで利用、機能訓練・デイ・サービス、寝たきりなくす人の和地城の輪
    (福祉サービスの利用)

地域においては、在宅の高齢者のために保健サービスとして健康相談、機能訓練、保健婦による訪問指導などが、また、福祉サービスとしてホームヘルパー派遣、ショートステイ(老人ホームの短期滞在)、デイ・サービス(日帰りで受ける介護サービス)などの各種事業が実施されています。こうしたサービスを積極的に利用して、日常生活活動(ADL)の維持を図り寝たきりを予防しましょう。

また、介護者白身の高齢化や女性の社会進出などにより、家庭での介護が難しくなってきています。一方、家庭介護が可能な場合でも家族の力だけではどうしても限界があります。このような場合には、本人や家族だけで悩みを抱え込まずに公的な相談窓口に積極的に相談してください。

専門の窓口としては、都道府県高齢者総合相談センターが実施するシルバー110番(プッシュホン全国共通#8080番)のほか、市町村の在宅介護支援センターでも24時間体制で相談に応じています。また、身近な保健所、市町村役場、福祉事務所等でも随時相談に応じてくれます。専門のスタッフに相談すれば力になってくれるはずです。

一方、地域の住民組織などのボランティア活動も公的サービスとともに、地域活動を充実する大きな力となっています。関係者・関係機関がともに手を携えて人の和、地域の輪がつくられてこそ寝たきりをなくすことが可能となります。

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参考文献:老人介護 常識の誤り(三好春樹、新潮社)