はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第16章 街灯を炎の色に

人類は火を使うことを覚えた。火を起こして炎を上げることにより冷えた体を温めて食物を食べやすく調理でき、辺りを明るくして危害を加えそうな動物が近づくのを防止できた。暖かさを感じる光はやすらぎや慈しみの心を育み、犯罪の発生を抑止するだろう。

1 あかりを求めて

 1-1 あかりの歴史

縄文時代に使われていた灯火具はたき火やたいまつだった。弥生時代や大和時代を経て奈良時代にはロウソクや燭台やかがり火が現れた。平安時代にはいると灯籠が立てられ、鎌倉時代や室町時代そして安土桃山時代には室内で燭台が使われていた

江戸時代にはちょうちん・がん灯・あんどんが使われ、明治時代に入るとカンテラ・石油ランプ・ガス灯・アセチレン灯が使われるようになった。大正時代に白熱電球が現れ、昭和時代は蛍光灯、平成時代にはLEDが現れ太陽光発電システムが導入され始めた。

あかりの歴史を見ると、各国にガス灯が設置されはじめた1810年代以来、約60年ごとに大きな進歩が起きている。1879年には白熱灯が、1938年には蛍光灯が、そして1996年には現在のLED照明の原型となる白色LEDが誕生している。

1960年代に暗めの赤色と黄緑色のLEDが開発されて以来、早い段階から表示用途で実用化されてきた。その後、発展の契機となる1993年の青色LEDの開発、またそれを応用した1996年の白色LEDの開発を経て現在に至っている。

白色LEDは、わずか十数年で蛍光灯の効率に追いつくレベルにまで達した。地球温暖化問題でエネルギー使用量の削減は非常に大きなテーマ―の一つとなり、LED照明は第4世代のあかりとしてこれからの可能性に期待できる。

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 1-2 たき火とたいまつ

人間が火を使うようになったころの灯りはたき火だった。細い枝を燃やすことから少々太い枝を燃やすようになると、火のついた枝を持ち歩くことで洞窟内を照らし出すことを覚えた。灯りとしてのたいまつの誕生である。

日本史用語大辞典や語源辞典名詞編などによると、日本語の「たいまつ」の語源は「焚き松」や「手火松」など諸説あり、明かりとして使うために手で持てるようにした火のついた松の木切れなどである。

たいまつは松明とも呼ばれ、燃えやすい松脂が付いている松の木を利用していたものと推定される。その後、長い棒や竿(さお)などの突端に、枯れ草や松脂など燃えやすいものに浸した布切れを巻きつけたものが使われるようになった。

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 1-3 ロウソクや燭台

747年の伽藍縁起並流記資材帳には「蝋燭」という記述があるので、日本のろうそくは中国から仏教の伝来と共に伝わったと推定され、この当時のろうそくは蜜蝋でできたものだった。894年に遣唐使が廃止されてろうそくは入手できなくなった。

このため国産ロウソクの製造が研究され、最初は松脂を使ったものが生産されていたようだ。その後「和ろうそく」と呼ばれるはぜの蝋やうるしの蝋を使って作られたものが生産されたが、宮廷や貴族、一部の寺院でしか使用されない貴重品だった。

江戸時代に入ると木蝋の原料であるハゼノキが琉球から伝わったことで、和ろうそくの生産量が大幅に増加した。明治時代には西洋ロウソクのステアリンロウソクやパラフィンロウソクなど、大量生産品の比較的安価なろうそくが全国に広く普及した。

燭台はロウソクが倒れないように立るための台である。基本的な形状は、針(ピン)状の狭義のろうそく立てと蝋を受ける皿、細い脚(竿)、台部からなり脚(竿)がないものもある。手に持って用いるものは手燭という。

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 1-4 灯籠・行燈・提灯・がん灯

灯籠は灯りのカゴという意味の今でいう街灯を指し、ロウソクの火が風で消えないように周囲を囲った道具である。素材は木や金属など様々だが、お寺によく設置されている石で作られたものはとくに石灯籠と呼ばれる。

江戸時代に谷山川を行き来する高瀬舟などの交通運輸の船着き場に設けられた燈籠が、養父市から出石市内に入る大橋の袂の左側に見られる。高さも2メートル近くある。

街灯だった灯籠に対し、主に室内で使用されていたのが行燈である。ロウソクや油に浸した布に火をつけて利用した。室内で利用するので軽い木製のものが多く、さらに火の回りは風よけの紙で覆われていた。

提灯は、紙で覆われ持ち運びできるよう進化したものである。軽い素材で作られ持ち手がつき、使わないときは折りたたんでおくことができる。現在は日本風の酒場「居酒屋」の入口にぶら下げられ、灯を覆う紙が赤いものが多いので「赤提灯」と呼ばれている。

がん灯(どう)は、現在使われている懐中電灯と同じ役目をしていた。正面のみを照らして持ち主を照らさないため強盗が家に押し入る際に使ったとか、目明かしが強盗の捜索に使ったとも言われ、「強盗提灯(がんどうちょうちん)」とも呼ばれた。

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 1-5 カンテラ・石油ランプなど

カンテラは、懐中電灯が普及するまで労働現場などで一般的に用いられていた携行用のランプである。灯油ランプやカーバイト・アセチレンランプが用いられ、夜間や地下などの視界が明瞭でないときにの合図灯として使用されたものを「カンテラ」と呼んでいた。

石油ランプは、石油を金属製またはガラス製の油壺に入れ、口には口金(くちがね)をつけて灯芯を差し込んで点火し、燃焼部を「火屋(ほや=ガラス製の筒)」で囲って風で吹き消されるのを防いだ。灯芯はねじで上下し、すすで汚れた火屋の清掃は手の小さな子供の仕事であった。

アセチレン灯は、炭化カルシウム(カルシウムカーバイド)と水を反応させ、発生したアセチレンを燃焼させる単純な構造のランプである。機構が単純なため、小型化して手提げ式や、ヘルメットに装着する小型軽量のものを製作でき、かつて鉱山などで用いられていた。

アセチレン灯はカーバイトランプとも呼ばれタンクからポタポタと落ちた水がカーバイト(アセチレン)に触れるとガスが発生し、このガスがランプ本体の火口から吹き出すので点火すると裸火が噴き出す。不完全燃焼のため煤(スス)がで、独特の臭いも漂う。

燃料の炭化カルシウムは水と反応して石灰化するが、しばらくはガスが発生しているので水につけて完全に石灰化してから処分する。

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 1-6 横浜のガス灯

日本最初のガス灯は安政4年(1857年)、薩摩藩第11代藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)の命で鹿児島・仙巌園(せんがんえん)に石灯籠にガスの管をつなぐという簡単なものだったが、翌年、島津斉彬の急逝で普及につながることはなかった。

明治2(1869)年頃、太田町の人々がガス灯の建設を神奈川県に出願したが県が受け入れず、翌年の明治3(1870)にドイツ領事であるシュルツが経営するシュルツ・ライス商会が再度ガス灯の建設を出願した。

同年、高島嘉右衛門は県庁からガス灯の建設協力を頼まれ「日本社中」を結成した。高島嘉右衛門は上海でガス灯建設を行っていたフランス人技師アンリ・プレグランを招き、横浜でのガス事業計画を進めてガス事業を出願した。

外国の会社と日本の会社の間でガス灯の建設をめぐり競争が起こり、困惑した県は居留外人の投票という方法で権利を決定した。日本社中の工場は、伊勢山下石炭蔵前に建設することとなり明治5(1872)年9月に完成した。

同月26日に神奈川県庁付近、および大江橋から馬車道・本町通りまでの間にガス灯十数基が点灯した。当時のガス灯は、石炭から発生させたガスを燃やすことで光を放ち、直接火口から火を点灯し、赤っぽい炎を直接明かりとして利用していた。

高島嘉右衛門のガス工場は、明治8(1875)年に町内会に譲渡されて「横浜市瓦斯局」となり現在は「東京ガス」になっている。現在の本町小学校の校門入口に、文化財として1本のガス灯が残されそばには「日本最初のガス会社跡」の記念碑がある。

近代日本の夜道をいち早く明るく照らしたのが横浜の馬車道の「ガス灯」である。明治の終わりごろに一旦姿を消したが、ガス灯の歴史を大切に当時のような街並みを保存してお客さんを迎える、横浜の馬車道通りに81基ある街灯はすべて本物のガス灯である

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 1-7 白熱灯と蛍光灯

白熱電球は、ガラス球内のフィラメント(抵抗体)のジュール熱による輻射を利用した電球で、フィラメント電球ともいう。ジョゼフ・スワンが発明して実用化したが、本格的な商用化はトーマス・エジソンによるものが最初である。

電源は直流、交流のどちらでも使用可能で、瞬間的に電流が途切れてもフィラメントの赤熱は持続するため、交流電源の場合でもチラツキはない。日常用いられる100Wガス入り白熱電球では、可視光の放射に使用される電力は10%程度である。

1921年、東京電気(東芝)の三浦順一技師がタングステン電球のコイルを二重にした二重コイル電球を開発し、熱損失の減少と電球の効率向上につなげた。1950年には松下電器がフィラメントを二重コイル化した電球を発売し二割明るいお徳用と宣伝した。

蛍光灯は、放電で発生する紫外線を蛍光体に当てて可視光線に変換する光源である。熱陰極管方式と冷陰極管方式があり、一般照明用に使用される蛍光灯は一部の例外を除いてほとんどが熱陰極管方式である。

ガラス管内には、放電しやすくするためにアルゴンあるいは混合希ガスと少量の水銀の気体が封じ込まれている。発光時の内部温度は1万度に達するが、気圧が非常に低い為にガラス管が溶けるような事はない。

白熱灯と比べると同じ明るさでも消費電力を低く抑えられる。消費したエネルギーの変換比率は、可視放射25%、赤外放射30%、紫外放射0.5%で残りは熱損失となる。白熱灯と違い点灯には安定器が必要なため直接電圧を掛けただけでは使用できない。

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2 LEDとは

 2-1 LED開発の歴史

第一世代のろうそく、第二世代の白熱電球、第三世代の蛍光灯に続き、LEDは第四世代の明かりと言われる。1906年に英国の科学者ヘンリー・ジョセフ・ラウンドは、炭化ケイ素(Sic)の塊に電流を流すと黄色く発光することを確認した

LEDの歴史は、1962年に米ゼネラル・エレクトリックのニック・ホロニアックが赤色LEDを発明した。これがLEDの起源とされている。赤色LEDを発明して以来、今日まで目覚ましい進歩を遂げている。

ニック・ホロニアックは「LED発明の父」と呼ばれており、1963年には「発光ダイオードがトーマス・エジソンの電球を置き換えるだろう」と予言している。その後、1970年代までに赤、黄、橙(だいだい)、黄緑などの各色LED誕生した。

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 2-2 LEDはなぜ光る

LEDは「Light Emitting Diode」の略であり、プラスとマイナスの電流がLEDチップ内で衝突するエネルギーを利用して発光する半導体で、日本では発光ダイオードと呼ばれている。

LEDはフィラメントを利用する白熱灯や蛍光灯と異なり、電気を直接光に変化させるという発光原理をもっている。そのため、電気が効率的に光へ変わり消費電力が少なくなる

LEDチップの構造は「P/N接合」と呼ばれる基本構造をもっている。これは、P型とN型の2種類の半導体を結合したもので、ダイオード(LEDは光を出すので発光ダイオード)と呼ばれる。

   P型半導体:プラス(+:positive)正孔が多い半導体
    N型半導体:マイナス(-:negative)電子が多い半導体

LEDチップへ電気を流すと、N電極からP電極へ電子が流れて衝突した部分で発光が起こる。P型半導体の正孔と電子が結合してエネルギーが放出されるためで、この状態を再結合と呼ぶ。再結合時には電子と正孔が元々もっているエネルギーよりも小さくなり、余分に発生したエネルギー(自然光放出発光)が光となる。

LEDはチップに含まれる化合物により、白・赤・青・緑という様々な色彩を表現することができる。化合物にはアルミニウム・ガリウム・インジウム・ゲルマニウム・窒素・リンなど、半導体を構成する化合物によって放出される光の波長が異なる

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光の波長は450nm前後が青色、520nm前後が緑色、660nm前後が赤色に見える。この波長の違いがLEDの発光色を決めている。白色光は2色以上の光を混ぜて白色に見せる手法をとるが、補色を混色するより、赤、青、緑の3原色を混色したほうがより自然な白色に見える

白色LEDのしくみとして主流なのは青色LED+蛍光体方式で、青色LEDの光を蛍光体に通して白色発光させる。青・黄(補色)を混色するより青・赤・緑の3色を混色した方が、光に赤・緑成分が増えるのでより自然な白に見えることになる。

〇 青色LED+蛍光体/シングルチップ方式
   黄色蛍光体を青色LEDによって光らせる最も発光効率が高い方式である。赤色領
  域が不足しがちという特徴があるが、改良型も登場し実用化が進んでいる。

〇 赤・緑・青色LED/マルチチップ方式
   光の三原色を組み合わせて白色光を表現する方式で、見た目は白いが、放射エネル
  ギーのない波長域があるため不自然な見え方になる場合がある。

〇 近紫外線+蛍光/シングルチップ方式
   近紫外線(もしくは紫色)LEDを使い赤・緑・青の発光体を光らせる方式で、美
  しい白さが得られる反面、発光効率が悪いという特徴があり課題となっている。

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 2-3 LEDの特徴

白熱灯や蛍光灯などの中でLEDはニューフェイスだが、照明用途としては数々の優れた特長を持っている。白熱灯や蛍光灯に比べて長寿命なことが大きいこと、視認性が良好で屋内外を問わずに幅広く使えること。身近な例では最近の交通信号機である。

器具の小型化が容易で照明器具として自由な設計が可能になること。また小電力でも点灯可能なため省エネや環境への配慮にも貢献する。熱線や紫外線をほとんど含まず、調光・点滅が自在など、いくつもの長所が挙げられる。

あかり本来の役割である演色性はもちろん、防虫・防水効果や屋内外を問わず視認性がよいことなどより、道路交通表示板や信号灯など、照明器具としてだけでなく様々な分野で幅広くLED照明が採用されている。

LEDは照明用途の他にも車載、通信、植物育成、医療など様々な分野での展開が期待されている。近い将来、LEDの光があなたを病気から回復させてくれているかもしれないと云われている。

白熱電球の寿命は約1千~2千時間、蛍光灯は約6千~1万2千時間、LED照明では約4万時間と言われている。LEDは長く使っているうちに発光部であるLED素子や、蛍光体、樹脂などが劣化していくため、少しずつ明るさが落ちていく。

LED照明の寿命は、「最初の新品の時と比べて明るさが70%に落ちるまでの時間」で決められる。 LED製品メーカーは、これを基準にLED照明器具の寿命を設定している。この使用可能時間の目安が、製品にもよるが約4万時間と言われ、他の光源とは群を抜いている

照明用途以外では寿命の定義はこの限りではなく、LEDは明るさが落ちていくものの従来のように作品への電飾で照明を入れたものの、電球が切れて取り替える苦労もほとんどなくなることも大きなメリットと言える。

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 2-4 LEDのメリット

〇 LEDは発光効率が良い。発光効率とは、ある光源が「一定のエネルギーでどれだけ
 明るく発光するか」を表す指標で、ランプ効率とも呼ばれる。最近では150lm/w
 を超える超高効率のものも増え、ついに蛍光灯を上回る効率を実現している。

〇 LEDは電気を直接光に変えるため、発熱量が 少なくすむというメリットがある
 また、発する光にも赤外線がほとんど含まれず、光によって対象物を熱で傷めることも
 なく、食品陳列棚の照明など熱を嫌う対象物の照明にも適している。

〇 LEDは発光するまでの時間が非常に速く、高速で点滅させたりする発光方法にも応
 用できる。また、頻繁に点けたり消したりする場所、トイレや廊下などの照明にも向い
 ている。

〇 LEDは、素子を構成する化合物半導体の違いにより発光色が決まる。光の3原色で
 ある赤緑青を組み合わせて、個々の光量バランスを制御することで様々な色を作ること
 ができる。

〇 白やカラーLEDの光に紫外線がほとんど含まれないので、絵画などの美術品・工芸
 品の照明でも変色や退色が起こりにくく、長期保存しながらの展示に向いている。紫外
 線がほとんどでないので虫も集まりずらいという特徴もある。

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〇 蛍光灯は低温で効率が著しく低下するので寒冷地や冷凍・冷蔵設備内への使用には向
 かないが、LEDは半導体のためマイナス20℃程度の低温まで発光効率が低下せず、
 安定して発光させることができる。

〇 LEDはガラス管を必要とせず、プラスチックなどの軽く割れにくい材料を使用でき
 るため 衝撃や振動に強い製品が作れる。

〇 発光するLED素子は、大きさわずか0.3mm角程度の半導体であり極めて小型・
 軽量に作ることができる。

〇 小さなチップLED・砲弾型LEDなどのパッケージ個体を使う電飾工作では、放熱
 は基本的に必要とせず、LEDへの配線を極細にする事で従来の光源ではできなかった
 極めて狭いスペースへの組込みや繊細な工作が可能である。

〇 LEDは小型で長寿命なため、廃棄物を減らせることや蛍光灯のように水銀などの有
 害物質を使っていないため環境保全にとっても有効である。

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 2-5 LEDのデメリット

何と言ってもLEDは従来光源と比べて価格が高く、初期コストが掛かることがあげられる。LED素子は極めて小さな半導体(発光するLED素子自体は、約0.3mm角程度)であるため、1つ1つのLEDチップが出せる明るさには限界がある

照明として使用できる大光量を得るためには、多数のLEDチップを集積して大きな電流を流す必要があるが、同時に発熱量も高まるためLEDチップや回路を守る放熱設計が不可欠になる。

LEDは熱くならないというイメージがあるが、光として変換されなかった電気エネルギーは直接熱となり、LEDは熱に弱いため自信の発する熱により故障や劣化の原因となる

大量のLEDチップを使用して大出力で点灯する照明用途では、熱対策が製品の品質・寿命を決定付ける大きな要素であるため、メーカーでは熱対策に非常に大きな力を注いでいる。

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3 ローソクの炎

北欧の国フィンランドの市街地にあるアパートなどの多くの家は、夜になってもカーテンを閉めずに外から見れば室内の暖かな明かりが漏れ出している。仕事に集中する必要の無い家では、暖かな色の暗めの光の方が心が落ち着くそうだ。

わたしたち日本人は仕事場でも家の中でも、明るすぎる光のなかで生活し過ぎているのかもしれない。多くの蛍光灯が点灯している部屋は明るさを感じるが、この明るすぎる光にどこか冷たさをさを感じないだろうか

北海道フィンランド協会の理事長をされていた伊藤隆一先生の講演を数十年前に拝聴し、講演内容に感動して北欧の知恵が掲載されている著書「北の生活宅配便」を購入した。少々長くなるが、私の考えの原点となった部分を引用させていただく。

 3-1 北欧のあかりと光

北欧を旅してそのロウソクの多いのには驚かされる。デパートのローソク売り場の棚に並ぶ種類と色彩にただ圧倒されてしまう。わが国のデパートと相違する売り場のひとつであろう。

病院の受付にもローソクがゆらぎ、街のショーウィンドウにもともる。食卓の上にも必ずローソクが立つ。自然に近い光を使っての食事とも説明されるが、料理の一品と言ってもよいだろう。会議室でも学校の談話室のテーブルの上に、まずはお茶の時間はローソクに火をともしてからはじまる。ローソクなしで北欧の生活は考えられなく、ローソクは暗くて長い冬の生活から生まれた潤いのための光となる

ローソクなしでは北欧の生活は考えられなく、ローソクは暗くて長い冬の生活から生まれた潤いのための光となる。

北欧の冬は暗い。まったく暗く、夏の白夜とは打って変わって闇夜に近い季節が続く。私たちの暮らしには想像もつかない冬である。私たちの冬は、寒さと雪で代表されるが、暗さはさほど感じない。しかし北欧の冬は暗さそのものが冬を象徴していよう。

12月の朝は、午前10時近くに明るくなり、午後2時を過ぎるころには暗くなる。その日中の短い間も、ほとんどが曇っていて太陽とは縁が薄くなる。ヘルシンキやストックホルムのある北緯60度線上においてもそのような状態だから、ましてや北へ行くとその暗さの時間ものびてくる。まったく太陽のない昼のつづく北方圏になる。

当日の新聞の天気予報に、その日の太陽が出る予報が載る。その太陽の出るらしい時間を気にしながら窓の外をながめ、道路を歩いていて雲の切れ間から冬の太陽が出ると、立ち止まって拍手をする心境は、そのままが北欧の冬の生活にむすびつく。

一般の家庭で蛍光灯を見ることはほとんどなく、その不自然な光を極端に嫌う。色彩が変化するその無機質なあかりが、暗い冬をなお暗くし、冷たい光源は心まですさぶという。太陽の出ない暗さ、マイナス数十度の冷気に接する蛍光灯のあかりは、あまりにも冷たくそらぞらし過ぎよう。氷のような冷たい刺激は情感を喪失する光として保育所、幼稚園、小学校などから拒否される。

北欧の住宅街を夜歩くと、窓からの暖かいあかりが印象的である。大きな窓からのほっとする白熱灯のぬくもりが町中にあふれていて暖かい。一軒一軒の暖かさが集まって美しい町をつくっている

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 3-2 生きているローソク

スエ―デンの首都、ストックホルムの市役所の都市企画課を訪れたときに、一瞬びっくりするような情景に出会った。それは、そのオフィスの前にある小ホールのテーブルの上に、太めのローソクがともされていたのである。

私たち流に言えば、役所の窓口に準ずる場所である。そこに、素朴な木彫りのキャンドルスタンドに、静かにローソクがともされて、その光があたりの雰囲気を静寂な感じにしていた。一般家庭のテーブルの上でなく、役所のテーブルの上だけに驚いたものだった。

しかし、それは特別な配慮によるものではなく、北欧の人たちのごく一般的な習慣であった。フィンランドの公共の病院の受付カウンターにも、数本のローソクがならんで灯がゆらゆらと灯っていたし、小学校の教室の教師の机の上にもあった。教師の控室のテーブルの上にも、校長室のテーブルの上にも、カラフルなローソクが置かれていた。それは室内の飾りものではなく、その部屋を使うときには、かならず灯される必需品である。

ただ、ローソクを用いることだけで、北欧の人たちの生活の充実ぶりを語るわけにはいかない。さまざまな生活への小道具の一つとしているのであってこれだけではない。北欧の家庭では蛍光灯を見ることがほとんどない。蛍光灯のあかりが「死人の光」と拒否されている。人口の冷たいあかりが、人の心まで冷たくするというのである

冬の数ヶ月にわたる暗い期間に対して、人々の暖かさへの憧憬がローソクの灯りになるのである。ローソク1本でも自然の光を身近に置く習慣は北国の人間なら理解できよう。外は寒さと雪。人の集まる空間に灯されるローソクの灯りが、心のふれあいまでつながる大きな働きを持っているのである。

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4 街灯を炎の色に

 4-1 薄っぺらい思考

平成17年5月の事である。某民放テレビは、「スコットランド・グラスゴー市ブキャナン通りの街灯を青色に替えたら犯罪が激減した」という報道を行った。警察庁に「犯罪抑止対策室」が設けられ、全国の警察本部にも同様の部署が設置された年である。

犯罪抑止対策室の最初の事業で、「地域安全安心ステーション」モデル事業実施地区を全国100ヶ所指定した。奈良県警察本部は、指定地区の奈良市秋篠台住宅地に青色防犯灯を試験点灯するよう指導した。これが国内初の青色防犯灯である。

これらのことが新聞・テレビで報道されると、奈良県内を始め島根県や青森県などを始めほぼ全国各地に青色防犯灯が設置され始めた。警察当局を始め地域の自治会や町内会などの切なる願いから、各地で青色防犯灯が点り夜のまちが白色から青色に一変した

上っ面だけの報道にすぐ飛びついた結果だが、青色光により麻薬常習者が腕の静脈が見え難くなったことにより注射が打てなくなり、麻薬関連犯罪が約40%減ったという事実のみで青色街灯により犯罪そのものが激減したということを現地の当局は云っていない

最近の報道は、伝えなければいけない大切な部分を削除し、興味を引くことを強調する傾向にある。5W1Hの原則や起承転結で事実を広く社会に知らせるのではなく、話題になればそれで良いと税金の無駄遣いを助長している傾向にある

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 4-2 燃え上がる炎に思う

大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)は、伊勢神宮の最高責任者の家柄で祭主も務めた「梨壺の五人」の一人として三十六歌仙の一人に数えられ、1151年にまとめられた詞花和歌集に灯りの和歌を残している。

梨壺の五人は、天暦5(951)年に村上天皇の命により、平安御所七殿五舎の一つである昭陽舎に置かれた和歌所へ呼ばれ、「万葉集」の解読と「後撰和歌集」の編纂などを行った5人を指し、昭陽舎の庭には梨の木が植えられていたことから梨壺と呼ばれた。

「古今和歌集」の編纂に倣って集められたのは、源順(みなもとのしたごう)、清原元輔(きよはらのもとすけ)、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、紀時文(きのときふみ)、坂上望城(さかのうえのもちき)の五人である。

元輔は深養父(ふかやぶ)の孫、時文は貫之(つらゆき)の子、望城は是則(これのり一)の子という大物歌人の二世、三世が選ばれている。時文と望城は親の七光りだと早くから指摘され、そのせいで梨壺の五人そのものの評価が低くなったようだ。

博学多識の源順が編集長を務め、能書家だった紀時文は清書係、御書所預だった坂上望城は所蔵図書の管理を担当したとする説がある。編纂時に別当に任ぜられたのが知識豊かな歌人の謙徳公藤原伊尹(ふじわらのこれただ)である。

梨壺の五人の働きで全200巻、1400首余りの「後撰和歌集」が完成した。このとき、万葉集の4500首余りのうち4000首近くの漢字に、訓読をつけたのも梨壺の5人の功績とされている。

恋心を何に例えるかで和歌のよしあしが決まると言われる。藤原定家は、詞花和歌集から小倉百人一首に大中臣能宣朝臣の和歌「御垣守(みかきもり)衛士のたく火の夜をもえ昼は消えつつものをこそ思へ」を収録している。

衛士が灯すかがり火が、夜は燃え昼は消えるように、私の恋心も夜は燃え上がり、昼は身が消え入るように思い悩んでいると云う意味だ。この和歌では夜の闇にゆらめく炎の美しさが胸に迫ってくる。

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 4-3 北欧に学ぶ炎の色

北欧の人々は、蛍光灯に代表される冷たい光源はあまりにもそらぞらし過ぎて心まですさぶという。たしかに、人口的な白い光は冷たく感じ見る人々の心の中まで冷たくする。私たちは冷たさより、生きていることを実感させる温かみを求めてはいないだろうか

縄文時代に私たちの祖先は焚火の効用を知った。火を起こして炎を上げることにより冷えた体を温めて食物を食べやすく調理でき、辺りを明るくして危害を加えそうな動物が近づくのを防止できた。祖先は安全と安心を確保できた。

北欧の人々がロウソクの光を大切にするのは、安全と安心を感じる暖かい光は心に安らぎをもたらすからだろう。ロウソクの光は落ち着いてくつろぐことのできる豊かさを持った明かりなのだ

昭和の蛍光灯がまだないころ、夜道を歩いて家へ向かうと窓から白熱電球の光が漏れていた。あの白熱電球の色を見ると、やっと家へたどりつけたという安心が湧いてきた。白熱電球の色はロウソクの炎と同じ暖色だった

いいかげんな情報に惑わされることなく、防犯灯も街灯も電球色に替えるべきだろう。現在のLEDは暖かさを伝えるロウソクの炎の色を実現でき、小型で長寿命で有害物質を使っていないため環境保全にとっても有効である。

しかも、マイナス20℃程度の低温まで発光効率が低下せず、紫外線がほとんどでないので虫も集まりずらい。心がすさぶ冷たい光よりも、暖かさを感じる光はやすらぎや慈しみの心を育むので、犯罪抑止効果は期待できるだろう

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参考文献:北の生活宅配便(伊藤隆、北海道新聞社)、東京湾観光情報局、パナソニックなど。