はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第17章 忘れえぬ友

これまで様々な方々との出会いと別れを経験し、すでに亡くなられた忘れえぬ友もいます。折に触れて手を合わせると、いまもあの声が聞こえます。月刊専門誌「学校事務」に連載した「いまだから笑い話」より思い出の深い友を抜粋しました。

1 ネコに小判

8月の始めに京都へ出向く用事ができた。この話をすると担任外の先生が手紙をかくから、京都へ着いたらすぐに哲学の道の崖下にある喫茶店へ届けてほしいという。急いでいるようなのでわかりましたと手紙を預かった。

8月2日の京都は暑かった。捜し当てた喫茶店に入り預かってきた手紙をウエートレスに渡す。店の外に広い庭があり、目の前には池があった。店の奥からウエートレスと半袖に短パンの男がでてきた。

池のそばの藤椅子へ案内され、アイスコーヒーを勧められた。「兄が大変お世話になっているようでありがとうございます。しばらく会っていませんが、元気にやっているようですね」。ええ、来年か再来年には間違いなく教頭先生になられますよ。「そうですか。僕はいま大坂の舞台に出ているんですよ。少し前ですがテレビの新選組という番組で土方歳三役をやったんですが、ご覧になりまし栗塚旭の勇姿たか」。いいえ、残念ながら。

手紙をかかれた先生、学生時代は演劇に狂っていた。両親は弟に因果を含めて説得に出向かせ、兄は教員へ道を選んだ。この弟は後に養子縁組させられたが、しばらくすると養子先に兄が呼ばれた。舞台俳優を目指した弟を説得してほしいという。ミイラ取りのミイラが、目の前にいた「栗塚旭」その人である。

全盛期にお会いし、並んで写真を取ってもらい、目の前で写真にサインをしていただいた。ホテルを紹介するので好きなだけ泊まっていってくださいと言われても、安い宿を予約済みで2泊するほど余裕はない。

用事をすませて翌日の夜帰札し、翌朝手紙は届けましたと云うと、「どうだった、飛ぶ鳥を落とすほどの人気俳優に会った感想わ」。俳優なんですか?「えっ、知らないの」。

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2 知らないほうが

道立図書館へ郷土誌の資料を貰いにいくから付き合ってほしいと、校長先生が運転する車に乗せていただいた。校長は二年に一度取り替えるほどの車好きである。逆にわたしは車音痴。名前も排気量も解らない。

晴天のその日、国道12号線を90kmのスピードで走っていた。目的地へ向かうときは車の性能についての講義。走っている他の車の名前と年式の説明が続く。一人では調査に時間がかかるといったが、車の自慢が主な目的と気付くのが遅かった。

郷土誌の資料はすぐに手に入ったが、帰りは道路標識の講義。アクビを咬み殺していたら、「車に興味がないのはいいが、道路標識ぐらいは覚えたらどうだ。事務職員という仕事がら教材として購入する場合もあるだろう。」といいながら、目につく標識をかたっぱしから説明する。

カブトムシのようなフオックスワーゲンぐらいしか名前が解らないから、説明する方は熱が入っても聞く方は眠たくなってくる。横断歩道とスクールゾーンの標識が解って褒められても、講師は校長だからイビキをかけない。と、進行方向左側の標識に気づいた。人の姿と車らしき絵が書いてある。

校長先生、いまの標識はなんですか。「どの標識だ」。ちょっと前の左側にあった青い標識です。車を止めて振り返ったが百mは過ぎている。「青い、青い標識は。」といいながら、親切な校長は車をバックさせた。標識には大人が子供の手を引いた姿と自転車が書いてある。「これは、歩行者と自転車専用という標識だ。ここからは見えないが、新しくできたサイクリング道路があるんだろう」。

車を止めて説明すると、校長は得意満面で再び走りだした。後からきた車が数台追い抜いていった。タイミングを計りながら車の流れにのろうとする。

突然、ピピピピッという笛の音とともに三台前の車が止められた。そのつぎも、その次の車も脇道へ誘導されている。校長はスピードを落とした。青い顔をして警察官の方を見ると直進するよう指示を出している。

学校へ戻るまで制限速度で走り出した校長、「あのまま走っていたら捕まった。お前は車を知らないほうが役に立つ」。

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3 ハーゲン合唱団

学習発表会ではなく学芸会という名称に決定した職員会議の最終部で、職員もなにか芸を披露しようと提案された。初めての試みだから簡単に出来るものが良い。全員参加で合唱はどうか。曲は子どもたちが知っているものを教科書から選べば良い。

放課後会議室で練習が始まったが、2~3日すると朝の職員連絡会で教務主任がカンカンに怒った。「職員会議で全員合唱をすると決定したはずなのに、練習にくるのは3分の1しかいない。今日からは朝会終了後に職員室で練習します」。学芸会という名称と全員合唱を提案したのが教務主任で、自ら指揮をするというのだから熱が入る。翌日から職員室内にオルガンが用意された。

プログラムは当日の4日前に児童へ配付する予定。私が邦文タイプで印字して、色画用紙に印刷することになっていた。合唱曲名は決定していたが出演者が職員というのはおもしろくない。熱心な教務主任に、なにか良い名前はないですか。と聞いてみた。「合唱団というのは」。職員合唱団ですか。たいした名前じゃないですね。「そうだよな、今日は舞台で練習するからその時の雰囲気を見て考えるわ。」

午後5時を過ぎたころに喜々とした顔で戻ってきた教務主任、「いい名前ができたよ。ハーゲン合唱団ていうのは、どうだ」。ドイツ語ですか。「そう聞こえるだろう」。小学生に解るような名前でなくて良いんですか。「絶対わかるよ。これに決めた」。

音取りも終わって指揮者の両手が左右に上がる。テレビカメラで録画を担当したわたしはゆっくりズームダウンし、全体像を収めようとして吹き出した。父兄と児童はプログラムを見ながら笑いをこらえている。なるほど、ハーゲン合唱団とは良く名づけたもの。

教務主任はハゲあたま。舞台の最前列もハゲ頭。ボーダーライトの光の中に、輝きわたるハゲの群れ。

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4 百叩きの刑

用務員さんは2人勤務している。偶然の一致でしかないのだが、最年少者と前任の事務職員は同年代で最年長者と私は同じ歳。年齢が開き過ぎていると趣味趣向もはなしも合わないことが多いから、その点だけは恵まれている。

11時過ぎに年長の用務員さんが事務室へ入ってきた。「山さん、今日の給食どうしますか」。今日の献立はなにさ。「すごいですよ。西洋洋理ですよ。ホタテとブロッコリーのグラタンと、ハムのコーンフリッターですよ」。「そんなの、おれが食べると思うの。「はい、決まりました。本日は、外食産業を儲けさせる日です。ミソラーメンと小ライスの注文お願いします」。

着任して一ヶ月ほどが過ぎたころ、「宴会場いいとこ知りませんか」。何人位さ、予算は。「4年生会をやります。7名です。給食のオバチャンがいますから、安いほうが喜ばれます」。牛のしゃぶしゃぶ食べ放題でアルコール飲み放題。2,800円でどうだい。「そんなとこありません」。夕べそこで宴会やったの。「じゃあ、決まりました」。

二次会の会場はどうする。「男1,800円、女1,500円でウイスキー飲み放題。カラオケ歌い放題でどうですか」。そんなところあるの。「去年ぼくがきた時の歓迎会会場でえす。同じ歳ですから会場も同じにします。それでいいでしょう」。

珍しいほどの晴天の日、休憩時間になっても若い用務員さんの姿がない。あれっ。彼は休みなの。「はい。前の事務官に誘われてゴルフに行きました」。へえー。ゴルフなんかやるの。すごいなあ。「ちっともすごくありません。まるで上達してません」。「でも、コースにでてるんでしょ。「後ろから来る人の迷惑なんか考えず、本日も百叩きの刑でえす」。

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5 やってみるか

事務室内のシャコバサボテンにつぼみがついた。濃い桃色の丸いいつぼみが20以上もある。ときどき葉に霧吹きをしていると大きな花が咲いた。それがしおれるころにつぎが咲く。店頭にある鉢は派手に咲くが事務室のは謙虚である。花が終わるころには昨年購入したシクラメンが咲いてくれるはず。しかし、三鉢あるのに花芽をもっているのは一鉢しかない。

日の入らない部屋で、蛍光燈とあたまの反射光だけで育つものをさがしていたら、花好きのセールスマンがヒヤシンスとクロッカスの水栽培をすすめてくれた。かならず咲くと保障できるのかと聞くと、直径が6cmもある球根をもってきた。専用の容器に入れておくとすぐに根がのびはじめる。

10時過ぎに給食のパートさんが出勤してきた。クリーニングがすんだ白衣を取りに事務室へ入ってくるなり大声をあげた。「いやぁ、事務官は趣味がひろいですねえ」。なんのはなしさ。「これ、すごいですねえ。どしたんですか、これ」。

棚のうえから白衣を取るのも忘れて、一列に4つ並んだ水栽培容器を横からのぞきこんでいる。「いぶん根がでてきたでしょう。いまに容器の中いっぱいになるよ。「ほ~んとう。こんなに根がのびるって知らなかったわ。事務官は知ってた」。うん、知ってるよ。「もっと大きなにのにすればよかったしょう。なんで中ぐらいのものにしたんですか」。特大だよ、それわ。「うっそー。もっともっと大きいのがありますよ」。

セールスマンは特大を持ってきたといっていたが、これより大きな球根があるのだろうか。小学校に勤務していたとき、生物クラブなどが育てていたものと大差がないように思えた。

冗談じゃあない。これ以上大きな球根をみたことあるの。「球根って。ああ、これも球根っていうんですね」。それ、ヒヤシンスだよ。ヒヤシンスの水栽培だよ。「玉ネギじゃあないの。あんまり大きいんでわたし、玉ネギの花を咲かせるのかと思って」。

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6 毛をつけるわ

少々風邪ぎみではあったが、校内予算配分の原案調整に汗をながしていた日の午後である。研究団体の運営委員選出と新年度の研究課題についての会議参加と教育委員会にも用事があった。50分もあれば着くだろうと玄関を出ると曇り空で肌寒い。北風が吹いているが西の空は明るい。

街の中心部へ向かい、大通公園内を駆け抜けると新緑の香が自転車を包む。花の植えられていない花壇は掘り返された土が大気にさらされていた。教育委員会までは約3km、時間にして17分程度である。用事を済ませて外へでると雲は低く垂れこめていた。東へ3丁ほど戻って南へ向かうと、時折ポツリポツリと顔にあたる。しまったと思うまもなく大粒の雨が降りだしてきた。委員会から約2.7kmの中島公園駅へ逃げ込む。地下鉄で次の駅まで行きタクシーに乗り換えて会議開催校へと向かった。自転車は公園の鉄柵につないだままである。

会議が終わるころ雨はやんでいた。空は明るくなり西側の一部に青空が見えている。自転車で帰宅できると喜びながらタクシーへ乗り込んだ。「お客さん、どちらまで」。相談なんだけどさ。幌平橋まで行き、地下鉄に乗り換えて中島公園駅までと、このまま中島公園駅まで乗っていくのではだいぶん違うかい、料金は。「80円ぐらいは割高でしょうね」。じゃあ、中島公園駅まで走ってよ。

札幌の地下鉄料金は日本一高く、タクシーの運転手さんは日本一親切と言われている。「先程の雨はひどかったですねえ。お客さんは傘をおもちでないようですから大変でしたでしょう」。いや、雨のことは知らないよ。ずっと室内にいたから。「一時は大粒の雨が音をたてて滝のように降ったんですよ」。そいつはいい。中島公園駅に自転車を置いてきたんだ。これで洗車の手間が省けた。「青空駐車ですか」。いや、雨空駐輪だよ。

その夜は早めに寝たが喉が痛くて目がさめた。むかしの内科医がルゴール液を塗る位置がヒリヒリし、鼻は詰まって呼吸が困難である。ぬるま湯に塩を解かしてうがいをしたが何度繰り返しても焼けつくような感じは治まらない。

ルゴール液で消毒すれば楽になると思ったが、午前1時を回ったばかりである。バーボンのストレートでうがいをしたのが致命的だった。喉は益々やみだして、救急病院へでかける気力もなくなった。蒲団のなかで朝迄うなりどうしである。

麻酔薬や消毒薬を吸入し、何種類もの薬を飲み続けてどうにか直ったらしい朝、給食のパートさんが事務室に顔をだした。「事務官、風邪の具合どうです」。おかげさまで何とか良くなったよ。「みんなで心配してたんですよ。事務官は初体験だからきっとひどい目に合うわって」。

初体験って、なにそれ。「風邪はひいたことがないって言ってたでしょう。生まれて初めてひいたんでしょう」。風邪は毎年ひいてるよ。ただ、こんなにひどい風邪はひいたことがないけどね。「あら、こんなにひどい風邪って云ったの。頭の部分が抜けていたんだわ」。髪の毛だけにしてよ、抜けているのは。「今度から、毛をつけるわ」。

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7 そうゆうこと

午後2時過ぎに一方的な電話がかかってきた。ぼくさあ、また酔って失礼なこと言ったでしょう。そんな、絶対失礼してますよ。一次会で飲みすぎたあと、望郷へ行ったまでは知っているんです。そのあとまだ行ってますよね。ぼく2万2千円持ってたんです、あの日。

一次会の会場までタクシーで行ったんですが、渋滞に巻き込まれて1,800円も取られ、帰りもそのぐらい払って午前2時過ぎだったんです家へ着いたのは。今朝財布をみたら1万円も残っているでしょう。ぼく失礼なことを言ったうえに、飲み代も払っていないのではと思って。

支払った金額はほぼ同じでも残っているのは硬貨だけ、ずいぶん違うものである。あの日はひどかったですよねえ。会議のあと車を置きに帰ったら、なかなかタクシーつかまらなくて。家の前の広い道路。そう、線路を越えた南側で20分も待ったんですよ。やっと乗れたら渋滞でしょ、1,800円も取られたんですから。

第三会議室へ着いてからなんにも食べずにすぐ飲み出したでしょ。ええ、とん鍋と野菜炒めは知ってますよ。なんとなくすいすい入っていったんです。そのあと、三人でスナックへ行ったでしょ。知ってますよねえ。ええっ、ぼく歌ってませんよ。覚えてないんですか。

そう言われれば、最近彼は歌わなくなっていた。イエスタディやジョニーへの伝言などが得意だったのに、しばらく聞いたことがない。

あっそうだ、三軒目に行ったのは焼鳥屋でした。しばらくぶりで行ったんですけど、うまいでしょう、あそこ。前の学校の先生に紹介された店なんです。そのあとは、えっ覚えてないんですか、全然記憶ないんですか。第三会議室を出てからそのあと。じゃあ、あやまっても無駄なんだ。

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8 期待もむなし

年度当初の会議へ提案する「年間計画」や「予算案」を持ち寄っての研修会が終わり、先輩と会場から外へでたのが5時10分前。今年度採用された新しい仲間の歓迎会は、徒歩2分程度のところで午後5時30分開会である。先輩、まだ30分ありますからちょっと下地をつけますか。「うん。そうするか」。

狸小路の六丁目に入り、アーケードの下を東方向へ歩き始めた。土産物店がワゴンに海産物などを並べて通路側にだしているが、人通りは少なく売り声も聞こえない。「狸小路にきたのは何年ぶりかなあ。こんなところに開いている店なんかあるのかい。ここの店って、ええっ、準備中のふだがでてるよ」。

カウンターの前に腰を下ろしてビールをもらい、通しだけでは悪いからと刺身を注文した。「やあや、ひどいもんだ。準備中の店を開けさせちゃうもんなあ。そして、刺し身は一人前でいいってか」。時間がないでしょう、5時半から宴会があるんですよ。遅れるわけにはいかないし。

先輩は刺身を箸でつまみ上げ、「これなんの刺し身だ。ターキー。なによ、ターキーって。へえー、クセがないないなあこの肉。ここ七面鳥の専門店か、もっとなにか頼めよ。まだ大丈夫だ」。じゃあ、手羽先を一人前お願いします。

ぶらさがっているメニューを見ると手ごろな金額であり、ニワトリの手羽先を食べなれているので錯覚した。たった一本しかでてこない大きな手羽先を、割りばしで関節を外しながらふたつに分けた。

先輩は火が通ったのが好みらしく、一口食べると下を向いたままで大声をあげた。「こりゃあ旨い。これ、あと二人前くれ」。そんなに食べれませんよ。一人前でいいでしょ。「いや二人前」。おやじさん一人前でいいよ。「だめだ、二人前くれ」。無理ですよ、これから宴会ですよ。「いいって。おやじ、二人前だぞ」。

ビールを中ジョッキで二杯ずつ、刺し身が一人前と手羽先が二人前。伝票を持った先輩はさっと立ち上がってレジへ向かった。いくらですか。「いいって」。よくないですよ。「いいから俺に任せておけ」。そんな。

さっきは手羽先で負けたから、何がなんでも勝たねばならぬ。意地になってくいさがったが広い背中が壁になってレジが見えない。複数の短票を右手にして、風をあおぐようにしながら先輩は振り返った。「いいだろう」。なんですか、それ。「くじ、一本引けるんだって」。くじ、どこで。

レジの女性が笑いながら答えた。「四丁目で引いてきてください。そうそう、またケンカしないよう、あなたにも一本分さしあげますから、ガンバッテきてくださいね」。

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9 プロレスのかあさん

飲んべの友人がしつこく誘う。「ね、いいでしょう。プロレスのかあさんの店へ行きましょうよ。絶対おもしろいんだから」。すすきのには5,407軒の店舗があり飲食店は4,912店ある。一日三軒ハシゴしても約5年。毎年26%は廃業するから全部まわるのは不可能。

ビルの地下一階、カウンターしかない長方形の店に連れていかれた。のれんを分けて入るとカウンターの中にいた女性が立ち上がった。大きい。背が高い。肉づきが良すぎる。横幅がある。声が大きい。

男のような声である。「しげるちゃん、しばらく。なにやってたのさ、心配して痩せちゃったでしよう」。どうもそのようには見えない。「まったく、いつもこれなんだから」。飲んべの友人は笑いながらはなしかけている。

女性は続けた。「昨日、かれ来たのよ。逢いたがっていたんだから。」「そうでしょ。そうじゃあないかと思ってたんだけどさあ、忙しくって。」「なに、忙しいって。どこで飲んるのさ。」「違うって。修繕が多くって困っているんだよ。あっそうだ、お酒にしますか」。

一升瓶がでてきた、ボトルキープだという。コップにつがれるのを見ながら、友人に声をかけた。プロレスのかあさんって、この人かい。「しげるちゃん、またそんなこと言いふらしてるの。コブラツイストかけてやるから」。

とにかく大きな声で、ゆかいな話し方をする女性である。友人とは長い付き合いらしくつぎから次へと話題が移っていく。ちびちびやっていると、背の低いおとなしそうな人が入ってきた。店のご主人である。

居酒屋だから献立はしれているが、ご主人は和食の修業をしたそうでなかなかの味付けである。骨も食べられるよう二度揚げしたカレイや、自家製の三升漬は絶品であった。気兼ねのいらない話し方がすっかり気に入り、三度に一度は1人でお邪魔するようになってきた。絶品の三升漬は訪れるたびに口へ入る。

そのうちカラオケの歌い方までご指導いただくようになった。二人とも熱心に教え、歌い終わるとほめるから段々いい気持ちになる。豚もおだてりゃ木に登るというすばらしい指導力。

ある日のこと、数人でワイワイやっていたらマイクをわたされた。なに、これ。「やまちゃんのうた入ったよ」。えっ。「早く、立って歌いなさい。わたしに逆らったらコブラツイストかけるよ」。

かあさんの人柄は良いのだが、どうにもまずい点がある。いくら酔っていても意外に頭は覚めているから客の間にうわさが広まり始めた。しだいに客足は遠退いて、すいている日が多くなった。

おとなしいご主人に苦言を呈した一週間程後、「プロレスのかあさん今日で店を閉めるんですと、驚いちゃったなあ。土曜日だけど行きませんか」。よろしく言ってよと遠慮した。サービスと言って出したものが、レシートに載らなくなったらまた逢おうね。

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10 ごちそうさま

電話のベルが鳴っている。きっちり二回鳴って切れた。番号を間違えたことにすぐ気がついたようである。突然、ドアの開く音が聞こえて娘が居間へ走った。「お父さん、T中学のYさんから電話よ」。

あわてて起きると娘が受話器を持って立っている。「夜分遅くにすみません。T中学のYの家の者ですが、うちの人と二人で新築祝いに行ったんです。お酒をだいぶ飲んで機嫌良く出てきたんですけど、なかなかタクシーがこないのよ。太い道路まで歩こうとうちの人に言ったら、少々具合が悪いのでここで待ってるというのよねえ。わたし、走ってタクシーを呼びに行ったんだけど10分位かかったの。

やっと乗って戻ったらうちの人、忽然と消えてるのよ。もしかしてと家へ帰ってみたらいないし、また戻って付近を捜したけどどこにもいないのよねえ。運転手さんに警察へ届けるよう勧められ、交番では職場の上司に連絡するように言われ、教頭先生が来てあたりを捜してくださったんだけど、どこにもいないのよねえ。

一人で飲みに行くことはないし、少ししかお金をもっていないし、一応知っている飲み屋やバーへ電話したんだけれど来てないっていうし。この近くにF中学の校長先生の家があるらしいんだけど、電話番号と名前を知っているかもしれないと思って。」

なんども聞き直して要領を得たが、奥さんもそうとうに酔っている。F中学校の校長は知らないが、事務職員の名前はすぐ頭に浮かぶ。一応、鞄の中の書類で確かめてからその事務職員に問い合わせるよう勧めて電話を切った。時計をみると午前3時である。

風貌から営利誘拐はないと思うが、暴走族に絡まれている可能性もある。どうなったか心配で洗顔をすませてから問い合わせた。

「すみません、いました。母が発作を起こしたときに避難するアパートを近所に借りているんです。もしかしたら、と思って行ったらいるのよねえ。酔っていると時間がたつのが早く感じるらしく、小雨も降っていたもんだから段々不機嫌になったらしくて、おいて帰ったと思ったらしいのよねえ。わたしそんなことするわけないでしょう。信じて待っててくれれば良かったのに、わたしを。」

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11 ごくろうさん

監査当日の午前8時半。職員室で理科の主任はゆっくり実験用薬品出納簿の頁をめくっている。薬品の種類が多いせいか除式出納簿の厚さは4cmを超えていた。監査対象となる帳簿類は、前日の午後4時までに事務室へ提出するようお願いしていたのに、この調子じゃあといらいらする。九時ちょうどに事務室へ出納簿を持ってきた理科主任、監査委員に薬品のことなどわかるのかと聞く。わたしゃ監査委員じゃないよというと職員室へ戻っていった。

出納簿を持った監査委員は薬品庫を開けさせて、無造作に開いたページの薬品名を読み上げる。若い理科の先生が指定された薬品の瓶を取り出すと監査委員は残量を照合する。15点もの薬品を照合したが出納簿と一致しないものはなかった。

ほっとするまもなく支出負担行為伺書を開き、その年度に購入した薬品が出納簿に記帳されているか照合しはじめる。「塩酸はどうしました、記帳されていませんね」。まさか。「どこにも記録されていませんよ、塩酸わ。どういうことですか」。わかりません。本当に載っていませんか。いまの時間は二人とも授業中ですから聞きにいくわけにもいきませんし。「他の薬品はかいてあるんだがなあ。どうしてないんだろう」。

監査委員は4㎝もある出納簿を最初からめくりはじめた。抽出検査で薬品の残量がぴったり合っているぐらいだから記入もれはないだろう。加除式で五十音配列になっているはずだが、間違って他へ入ったかそれともはずしたままになっているかもしれない。出納簿の頁は半分をすぎていた。「あった」。ありましたか。「そうか。きちんと分類してあるんだ。一般薬品と劇薬を」。

プロだよオレわ。素人と一緒にしないでくれと、理科主任は胸をはって答えた。授業が終わって帰ってきた若手にもはなすと「夕べ泊まりこんで、照合しながら徹夜でかいたんです。合わないはずはありませんよ」。

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12 あんたの勝ち

会議中に席をはずして用をたした。席へ戻る途中に頭が重くなるような感じがして、廊下の長椅子に腰をおろしたまでは知っている。かれは意識を失って床にくずれ落ちた。倒れている姿を発見した若い仲間達は、救急車に脳神経外科病院へ運ぶよう頼んだ。このとき身体をゆすったり、病院ならどこでもよいと考えていたらのちの努力は実を結ぶことがなかっただろう。冷静な処置と判断が奇跡を生み出す原動力を残した。

平成2年6月7日に意識障害で入院し、高血圧性右脳内出血と診断される。直ちに開頭手術がおこなわれて頭蓋内血腫を除去したが、左片麻痺により長期有給欠勤に入る。平成3年4月4日に右高血圧性脳内出血による左片麻痺で左上下肢機能の全廃、起立困難な体幹機能障害のため第一種身体障害者と認定される。平成3年6月8日より休職。杖と装具にて自力歩行可能となり9月7日に退院して外来で機能回復訓練と経過観察。しかし、現時点以上の回復は困難であるとの診断。

平成4年4月末。自宅であまされていないでたまには遊びにこいよ、との声に応じてかれは学校へ顔をみせた。膝間接が固まってしまったとみえ左足は棒状になっている。杖をつきながら身体を斜めにし、左足を持ち上げるようにして歩き始めた。昇降口外の階段前から事務室内までは約十間で18m。

手をかさずに見ていると、椅子に腰をおろすまでの所要時間は約40分。顔色も手の皮膚も土色で冴えない。納品にきた業者と挨拶を交わし、訪れたセールスマンと昔を懐かしみ、教職員に問われるまま現況を伝え、正午に車を呼んで家路へと向かう。かれは復職を諦めていた。

背を丸めるようにして歩き、よたよたしながら車に乗り込むうしろ姿を見ているとしだいに涙がにじみでてくるのを覚えた。わたしと同じ年齢の者が、またひとりこの職業から去ろうとしている。親しい付き合いはなかったがたまらなく寂しい。身体に障害が起きただけで、第一線を離脱しなければならないことが悔しかった。やむを得ないこととは云えむなしさに襲われる。休職満了迄2年半しかない。

嫌だ、退職まで思い切り仕事をしたい。かれが復職できなければ、わたしもいずれは同じ道をたどるかもしれない。右手が使えるのだから、あとはリハビリィ。強制的なリハビリィしかない。顔をだせよ月1度わ。月に2回わ。週に一日わ。自分に甘えるな、障害者としては扱わんぞ。

かれはシゴキに耐え続けた。顔色に赤味が戻ってきた。背が真っすぐに伸びてきた。5分もあれば事務室へ入ってきた。つらさに耐えて訓練に励んだかれを待っていたのは、平成6年4月1日付をもって復職を命ずる、という辞令。

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13 つぐない

ポータブル型のワープロやコンピュータが流行しはじめ、卓上型の大型機はしだいに敬遠されるようになってきた。とくに、ではじめのころのワープロにいたっては無用の長物と化し、保管場所に窮しているのが現状である。

教科準備室で使用されていた先生方個人のワープロも同様で、大型ゴミに出してもらえないかと相談を受ける。新しい製品を買ったので邪魔になったというが、大型ゴミで引き取ってもらうにはお金がかかる。古いというだけでまだ使用できる状態であり、生きているような感じがするせいか投げるには思い切りがいる。ふんぎりがつかないまま、預かった数台のワープロを書庫で保管していた。

抽選に当たって購入したマンションへ入居すると、管理組合初代理事長も抽選であたった。ティシュペーパー以外が当ったのはこのときだけである。卓上型のワープロを持っていたので簡単に理事会報という広報を作成していたが、第二代目の理事会はワープロ所有者が一人もいなかった。8インチのフロッピイしか使用できないリコーの初代型機が、ゴミになる運命をまぬがれて社会復帰した。現在も三代目の理事会で活躍している。

ときおり訪れる望郷というスナックに中国人の女性が雇われていた。面倒見のよい親分肌のママに、昼はワープロの操作をおしえる学校へ通っていると紹介された。テキストを見せてもらうと戦前の文書表現である。

あきれているとママがはなしかけた。「山ちゃんさあ、中古のワープロでいいから手に入らないかしら」。どうするの。「この子達ねえワープロ持ってないのよ。学校が休みのときなんか自宅で練習できればと思って」。机のうえに乗せて使うテレビのように大きなものでもいいのかい。

ママは黒竜江省出身という娘に確かめて、「ワープロなら、なんでもいいんでしょう。この娘達が買えるようなものがあるかしら」。古くて、大きくて、重いぞお。そんなんでよかったらあげるよ、ゴミにだす予定だから。「本当にいいの、もらっても」。いいよ。ただし車がなければ運べんぞ。

機械に初期化能力はなく、あらかじめ初期化されているフロッピイを複写して使用するオアシスが社会復帰した。熱転写のため静かだが、印刷時間が長すぎるキャノンのワープロも引き取られた。8インチという大きなフロピィを使うリコーのワープロや、シャープの書院も喜ばれ、外部に増設ディスクがつけられたオアシスも社会復帰した。

捨てられてゴミになる運命のワープロは望郷のママのおかげで救えた。何度も鉢花を購入して枯らしてしまい花の寿命をちぢめたことに負い目を感じていたが、まだ使える機器を社会復帰させたことで少し気持ちが軽くなる。そして♪窓に西陽の当る部屋に♪あったワープロは、一台もなくなった。

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14 どうしてこんなことに

平成6年3月15日(火)午前10時、札幌市立の中学校では一斉に卒業式が挙行された。本校の屋内体育館でも定刻に開会が宣せられ、来賓はもちろん卒業生とその保護者、職員の大半は挙式に参列している。

式のもようは音声が校内放送されていた。PTAの役員が父母の控え室で、正面玄関隣の事務室では生徒指導主事が外へ目を光らせながら進行状態を聞いている。わたしは取り引き業者と新年度用品の納品日を話し合っていた。卒業証書授与に続いて校長とPTA会長のお祝いのことばが終わった。

祝電を披露する声が聞こえ始める。今日の声は一段といいな、張りのある低音で。「本当にいい声ですねえ」。すばらしいテノールだよ、歯切れも響きもいいし。「音楽の先生ですか」。いや、美術の先生。そこの壁に掛かっている遠景が小樽港の絵風景画を描いた先生だよ。「この絵を描いた先生ですか」。そう。いいだろう、校長が欲しがっていた絵だよ。

祝電の披露を終えた美術の先生は、マイクスタンドより一歩下がって一礼した。ゆったりとした足取りで自席へもどると、折畳み椅子の座席部分へ右手を伸ばしながら前のめりの状態で崩れ落ちるように倒れた。近くにいた養護教諭があわててかけ寄り美術の先生のポケットを探った。このようすを見た内科の開業医がかけつけ腕の脈を取った。

養護教諭が、美術準備室からニトロのカプセルを持ってきたとき、美術の先生は屋内体育館の後方へ運ばれ人工呼吸を受けていた。口をこじ開けようとしたが硬直して開かず、内科医は救急車の出動要請を指示した。

卒業式は20~30秒中断したが、なにごともなかったように進行していった。時折走る足音が聞こえても、生徒は卒業生の父兄が壁になって後方のようすを伺い知ることはできず、儀式は留まることなく流れていった。

事務室のインターフォンが鳴った。はい、山崎です。「救急車は来てませんか」。来てないけど、なにかあったの。「来たらすぐに職員室へ知らせてください」。養護教諭は送話器を置いてしまった。窓ガラスを開けてみたがサイレンの音は聞こえない。

2名に増えていた、業者も立ち上がって窓のそばへきた。緊張した生徒が倒れたのかなあ。「貧血ですか」。そうとしか考えられないよ。最近の子供は耐久力がないからなあ。どうしてあんなに虚弱なのか不思議だよ。「やはり、食生活の乱れですか」。さあ。そろそろサイレンが聞こえてもいいのにいやに遅いなあ。

廊下に数人の足音が聞こえる。事務室から出てみると、男の先生が担架を運んでくる。左横に脈を取りながら付き添っている男性がいる。先頭を歩いていた養護教諭が「救急車来てますか」。と叫んだ。まだ。あれっ、美術の先生生でしょう。どうしたの。「どこを走ってるのかしら、救急車わ」。

担架は事務室の前に下ろされ、内科医師が人工呼吸を始めた。養護教諭はマウス&マウスで人工呼吸を試みる。時折心臓部分に耳を押し当てた医師はつぶやいた。「止まっている。止まってしまった」。

わたしは送話器を握った。さきほど救急車の出動をお願いしましたがどうなりました。患者は心臓が停止しているんです。「近くの救急車は三台とも出動中なんです。ただいまススキノ方面から一台、そちらへ向かっています。もう少々お待ちください」。

廊下へ出てみると、養護教諭は嗚咽を繰り返しながら意識を戻そうと名前を呼び続けていた。人工呼吸をしながら医師は、私を見て痙攣が起きているという。美術の先生は顎は小刻みに震えていた。

救急車のサイレンに養護教諭が説明のため外へ走り出し、専用のキャスター付き担架が入ってきた。医師は直ちに酸素吸入が必要と救急隊員に要請したが、だれが付き添うか家族への連絡はついているかで時間が浪費される。かかりつけの医師の指示で、同学年の先生と養護教諭が付き添って移送することになった。

美術の先生宅へ電話をかけたが奥さんは不在。長男の通学先を探すと退学していた。最新情報が記入された個人票は施錠された校長専用の引き出し内に眠っている。あの校長が卒業式の式場から中途半端でてくるはずがない。万一の場合肉親が死水を取れなかったらどうしようと考えた。

騒然としている最中に、次男が通学していた中学校名を思い出した先生がいた。転校先の高等学校で授業中の長男に連絡がつき、奥さんの勤務先へ事情が通報された。倒れてより1時間20分後、美術の先生は急性心不全であの世へ旅立った。行年57歳である。

札幌市立病院へ出向いた教頭からの電話連絡を受けて緊急の職員集会が開かれた。処置のもようと治療の経過、掛かり付けの病院から市立病院への移送。遺族への連絡と現在の状態が報告された。だが、だれもが同じ疑問を持った。なぜ大病院へ向かわずに個人病院へ行ったのだろう。蘇生装置が完備している大病院へ向かっていれば、ひよっとすれば助かったのではないだろうか。

美術の先生は心臓病を抱え、ニトロのカプセルをいつも持ち歩いていた。どこのポケットに入れているか、机のどの位置に保管しているかを養護教諭は知らされていた。定期的に検査を受けている病院も知っていた。だから彼女は主治医の指示をあおいだ。奥さんは呆然自失の状態であり、死んだことを認めようとしない。養護教諭は泣きながら謝っている。市立病院へつれてくれば良かったと嘆き悲しんでいる。養護教諭が戻ってきたらそっとしてやってほしいという。

考え違いもは甚だしいと私は思わず発言した。養護教諭の嘆きはわかりますが、彼女に判断のミスはありません。直接市立病院へ行けばとだれもが考えますが、彼女は主治医に電話して指示を仰ぎました。電話を受けた主治医は、すぐにつれてきなさいと指示しました。不幸な結果になりましたが、美術の先生はこれまでの寿命だったと考えるべきでしょう。養護教諭の判断は正しいのです。どんなに悲しんでも死んだ者は帰ってきません。養護教諭が戻ったらそっとしてやるのではなく、ご苦労さまと元気づけてあげるべきです。精神誠意命を救おうと努力している姿を私は見ています。言い終わると同時に、目を真っ赤にした養護教諭が入ってきた。

美術の先生が自ら壁に掛けてくださった風景画の真下に、名札と新聞の死亡広告を貼り付けていたとき、一人のお母さんが事務室を訪れた。給食費の袋を出し忘れていたので届けにきたという。請われるままに急逝のもようをお話すると、先生を偲ぶ2~3の事象に続いて父母が主催した行事の模様を話し始めた。

卒業式の夜に開かれた謝恩会はまるでお通夜と化し、生徒の前途を祝福する先生方の言葉も涙声となっていた。退席もせずに終始泣き続けている先生もいた。このような状況下ではしかたがないのでしょうが、なんのために開いたのか解らなくなりました。参加された先生方は公私を混同されているような気持ちがしましたう。

人の死を悲しむべき事象と感じたのはネアンデルタール人が最初で、眼窟内の異物や不純物を流しだす目的の涙が感情の表現に使用され始めたのもこの時代であった。生き続けるのが精一杯であった時代から、ゆとりが生まれる時代への過渡期にこの感情は芽生えたと推測され、悲しみの感情は人類の感情の中で大きな位置を占めるようになった。

別離はだれもが悲しい。しかし、悲しみ続けるというのは個人的な感情であり、全体とは無関係な自己満足の表現手段であるともいえる。故人との別離に望んで悲しいと思わない人はいない。だが、自我の命ずるまま泣き続け他人に慰めを強いる幼児性。自己を見失い、直接関係のない者にまで悲しみを押し付けてしまう加虐性。驚くべき自己中心主義ではないだろうか。いかに泣き叫ぼうと、どんなに悲しもうと事態は好転しないのである。

悲しみを乗り越えなければ社会生活ができなくなる。事実を事実として受け入れ、心にけじめをつけさせるためには儀式が必要となる。お世話になった故人に感謝して心のけじめをつけ、死という事象の意味を考えて自らの生き方を見直すと共に、遺族を慰め励ますことが葬儀の意図である。

葬式は死者のためではなく、生存者がお互いのために故人の名のもとに行う通過儀式というのが正しい考え方である。祭壇の飾りや供花が故人ではなく、生存者の方を向いている理由を悟るべきである。

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15 大ヒットは札幌から

酒処赤とんぼのノレンをくぐると、マスターは左手で蓋をもち鍋の中をのぞきこんでいる。しばらくでした。「あっ、いらっしゃい」。先日は本当にありがとう。「えっ、なにか」。映画の招待券をいただいたでしょう。「ああ、崖登りの。で、どうでした」。あのトリックには恐れ入ったよ。「満足したんですね、最初はビールでいきますか」。うん、それからそのイカ、煮えたらもらおうかな。

赤とんぼのマスターは脱サラである。若いころ洋画の配給会社に勤務していたが、テレビの普及には勝てず離職した。その後、奥さんと高級アクセサリーや宝石を扱い、中心街のデパートに店をだすまでになった。商売が軌道にのりすぎてやることがなくなり、思い出すのは若い頃に試写会のあとに立ち寄った居酒屋、仲間と語り合ったあんな楽しい店をつくろう。マスターは冷蔵庫からコップを取り出してビールを注いだ。見る間にコップの表面が白くなる。

クリフハンガーを見るため朝7時に家をでて8時前には並んだよ。「どうして、そんなに早くから」。一番いい席で見るためさ、家族がきたのは10時頃だったかな。「本当に好きなんですね」。映画評論家になりたいと思ったくらいだもの。マスターもビールやらないかい。「どうもごちそうさまです」。

マスターが買って配給した、思い出に残る映画はなんですか。「古いって笑わないでくださいよ。山崎さんはブルースリーを知ってますか」。もちろん知ってるよ。怪鳥のような声をだしてた香港映画のスターだね。すごい人気だったよ。

湯気を立ち上らせたイカがでてきた。中に足がつまった胴は15cmほどもある。一人で食べるには少々大きすぎると思いながらも箸をつけた。イカの煮汁が皿一面にひろがり独特のかおりがただよう。階段に足音が聞こえ顔なじみの二人が入ってきた。

開店当時からの常連で、映画配給会社時代の仲間にマスターの顔がほころんだ。コップを差し出した年長の客に焼酎をつぎながら「山崎さんクリフハンガーを見たんですと。」とマスターが話しかけた。「ぼくも見たけど、へたな戦争映画より迫力がありますね。」ともう一人が答えてから4人は映画の世界にのめり込んだ。

「そうだ、阿部ちゃんのとこで配給したのが、駆逐艦とUボートが戦う眼下の敵だったよね。たいした戦闘シーンはなかったけど大ヒットだったね。」「ロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンスの共演だったかな。山崎さんは見ましたか」。もちろん。あの心理戦が好きで、テレビで放映されたものを含め10回以上は見てますよ。「ぼくも見たんだけど最後のほうは覚えていないんだ。どんなんだったけ」。「ずいぶん前のことだからな。Uボートに駆逐艦が乗り上げて、両方とも沈むんでないかい」。

こうなると黙っていれない。駆逐艦が乗り上げたあと、Uボートの艦長が全員を避難させて爆薬をしかけるんです。けがした副艦長を甲板へ連れ出すと、駆逐艦の艦長がロープを投げてよこすんです。「そうでしたっけ」。名前が書かれた焼酎のビンと、番茶のポットをわたしの前に置きながらマスターは首をかしげた。

Uボートから駆逐艦へロープをつたって乗り移り、乗組員は救命ボートから連合国の駆逐艦に助けられるんです。「よく覚えていますね。それで終わりでしたか」。甲板の上でロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンスが煙草を吸いながら、二人並んで海を見ているシーンで終わりですよ。「あっ、そうか。思いだした。そのシーンは眼下の敵だったのか。たしか、ロバート・ミッチャムが煙草を差し出すんですよねえ」。ええ、空と海の青さがとてもきれいなシーンでした。「そうだそうだ。思いだしたよ」。

酔い過ぎた日にもう一軒借金してきたのでと2人は帰った。カウンターを拭き終えたダスターを洗ってマスターはビールを一口飲んだ。「驚きましたよ。はっきりと覚えていますね」。10回以上も見てるからさ。

それより、さっきはなしてたブルースリーの続きをおしえてよ。「あの映画の第一作は試写会での評判が悪く、だれも相手にしなかったんです。全国どの都市でも最初から三流館で上映した映画だったんです。それを一流館で上映したのは札幌だけなんですよ」。

第一作っていえばドラゴン危機一発でしょ。さすがマスターは先見の明があったんだ。「試写会のあと会社へ帰り、評判なんか気にせずこれで行こうって説得したんですよ。他にフイルムの在庫はないし、必死でした」。どうして。「翌月一流館にかける映画を契約しに試写会へ出かけたら、眠ってしまって見てないうえ、目が覚めたらこれしか残ってなかったんですよ」。

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16 わたしは知っていた

会長として責任をとろうと考えたとき、傷ついた恋人を救おうとする己が愛おしくなってきた。自分のためにだけなにかをしてみたくなってきた。不得意なものを習得させてみようか。これまで出来なかったことに挑戦させてみようか。なにから始めよう。結局、なにも思いつかずむなしさに襲われる。

時間が早いから他の客はいない。盃の中にやる気を失った顔が写っている。マスターは生イカの皮を剥がしながら質問した。「どうしました、最近元気がありませんね。なにかあったんですか」。なんにもないよ。飲み残しのビールさ。「なんですか、それ」。きが抜けてんの。

マスターはA版の本を差し出し「そんな時は思いきり歌ってください。気持ちが晴れますよ」。おれ歌ったことないよ。「うちの店はテープの音楽しか流れませんけど、何曲歌っても300円です。元気だしてくださいよ」。

本を開いてみると歌詩だけがのっている。聞いたことのあるものが多い。詩を読んでいるうちにどうでもよくなってきた。マスター。迷惑かけるけど練習してもいいかい。「どうぞどうぞ、何にしますか」。二人酒。

数日後「浪花節だよ人生わ」に手を出した。二番の歌詩の中間が過ぎたとき恐れていた客が入ってきた。慌ててマイクを置くと、顔見知りのチーフである。「先生、続けなさいよ。ぼくも一曲歌うかな。本貸して。ええっと、先生と二人だから二人酒にしよう」。

それからと言うものは「先生。声を腹の底からだして・・。もっと大きく・・。まだまだ出るでしょう・。もっと、もっと。ほれ、やればできるでしょう」。マスターとチーフは専属のコーチ。声が枯れるまで練習させられる。

そして半年が過ぎ、ほかの店でも歌ってらっしゃいと言われるようになった。「先生。いまだから言いますけど怒らないでくださいね」。なにさ。「昨日、チーフとも話したんですけど」。怒らないよ。「先生の唄。一時は、どうなることかと思ったんですよ」。

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17 変われば変わるもの

ご無沙汰をしていた居酒屋に顔をだした。「珍しいわねえ、どうしたの。もちろんお酒でしょ。」とママ。

むかしばなしに花を咲かせていると、あとからきた客がカラオケを始めた。最近はこうなのかい。「ええ。うるさいなんて言わないでゆっくりしていってね」。じゃあ俺も歌うか。ママは飛び上がった。「えっ。いま、なんていったの」。

歌謡曲や演歌を聞くのは嫌いではない。しかし、どうも歌うのは苦手である。真面目に声を出して歌ったことがないから、音符の長さが理解できても音程がひどい。本人の感情の入れ方に関係なく、伴奏は勝手に前後する。校歌を唄うときでも大きな声を出さずに口の中でゴモゴモ。しかもマイクが嫌いな赤面恐怖症。人前で唄うなんぞは夢のまたゆめ。

おどろいて顔を覗き込んだママに、ヘタなら駄目か、と云うと、「どしたの。なにかあったの。困っていることがあったら、相談にのるわよ」。よせやい。いいから練習させろよ。

一曲唄い終わると、ママはそばにいる客の肩を叩きだした。「ねえ、聞いて聞いて。」「なによ、びっくりするじゃないか。」「聞いて、聞いて。いま歌ったお客さんね、開店した時からずっと来ていた人なの」。店の客は一斉にママの顔を見た。「それがねえ、このカラオケを入れたでしょう。そしたら、ピタッとこなくなったの、4年間もよ」。

隣でビールを飲んでいた客が、「そうなんですか。」と聞く。ええ、もう4年にもなるのか。声高になったママ。「カラオケが大嫌いで来なくなったのに、珍しく顔を見せたら歌うって。どったらことなの。世の中、変になったんじゃない」。

すると、奥の席で飲んでいた男。「そうだ、そうだ。俺もそう思うよ。あのころのことを覚えているよ。」「そうでしょ。あんたも来てたから知ってるもねえ。」「4年もたっと変わるよなあ。あのころのママ、スマートだった」。

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18 正しい行為でも

給食調理が民間委託となった時期である。委託を受けたのは外食産業で、給食パート職員も調理員も地方公務員から民間企業雇用へ身分が変動した。ただし、希望すれば現在の職場にとどまることができた。

栄養職員が調理のようすを見て驚いた。子どもたちに必要な栄養価を計算して献立を考えているが、食材の廃棄率が計算とは異なるので常に栄養価は低くなる。民間企業の業務に口を挟むことは禁止されていても、必要な栄養を摂取できなければ問題である。栄養職員は実情を校長へ訴えた。

調理現場を見ても、栄養職員の指摘をそのまま教育委員会へ伝えても、調理の経験や知識がない校長では具体性に欠ける。まして説明を聞いた係も、問題とされている行為が証明できないので対応に苦慮する。調理現場を訪れて指摘のあったことについての説明を求めても、調理責任者の説明が的を得ていれば衛生的に問題がないよう注意を喚起して帰るしかなかった。

全校朝会で職員室がカラッポになると、栄養職員が机の前へきて「どうしてよいかわからないんです。」とつぶやいた。「何度お願いしても何も解決しないんです」。給食調理のことなの。「お願いしても注意をしても廃棄が多過ぎて、子どもたちは必要な栄養が取れないんです」。いま起きていることなの。「ええ、見かねて注意したんですがホウレン草の茎を使わずに捨てているんです」。

捨ててると聞いて一計を案じた。捨てたホウレン草の茎が手に入らないかな。「どうするんですか」。10株ほどあればこのような状態だという証拠になるだろう。午後から教育委員会へ行く用事があるから持参して説明するよ。

闇の栄養士の経緯を知っている教育委員会職員へ、ホウレン草の茎を渡して「栄養価も問題だが食材の無駄遣い。父母が納付している給食費を捨てているような行為。」と注意を喚起した。翌日出勤すると、前日の午後訪れた教育委員会職員が調理責任者としばらく話し込んでいたという。

無駄遣いは収まったが、子供たちの栄養を真剣に考え、給食費の無駄使いを抑えようとした栄養職員は1年という勤務で転勤を命じられた。調理経験のない責任者は指摘された誤りを直せばよいことで、民間業務に口を挟んだからと転勤させる行政は正しい行為と云えるだろうか。

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19 親御さんの当惑

マンション管理組合の理事長時代に給排水管工事をお願いした会社の社長さんは、むかし勤務していた小学校の卒業生でした。驚いたことに勤務していた当時は5・6年生だったことから、メールをいただきました。

本日、長女の参観日があり「いのちの大切さについて」というものでしたが、本当に驚かされました。内容は「性教育です」。授業の中に「ペニス」「ワギナ」という言葉も教えられ、また、その役割も教えられるものでした。

普段から生徒に閲覧させている男性や女性の体という本が教室にあるのですが、生徒たちはそれをエロ本と言う者もいるそうですが、中を見ると大事なことがたくさん書かれてはいますが、本当にきわどいものもありました。

色々な意味で間違ったとらえ方や、性に対しての認識を正していかなくてはならないご時世と認識しておりましたが、これが小学校一年生でここまでやる時代になったのかと、正直親としては逆に困惑してしまった感もありました。

自分が性教育を小学校で行われたのは6年生のとき、そして、男女別に分けられて行われたので、どのようなことを女子が教育されたのかはわかりません。いまとなれば閉鎖的とは思いますが、しかし、こんな時代になったのですね。

廊下にある歴代の先生たちのお写真や理事長の写真も拝見しながら、かわらない学校の中で自分だけが大きくなり、そして、本当にタイムマシンで過去に遡った感覚、現在の浦島太郎的な中身だけが変わった感覚と、本当に不思議な気分を体験した一日でした。

参観は全学年で行われ、参観終了後は体育館にてお祭りみたいなものが催されました。これにもびっくりでした。くじ引きあり、バザーあり、売店あり。現在の教育に関してのあれこれはよくわかりませんが、担当の先生には愛の鞭をバシバシお願いしますと伝えてあります。時代の流れを理解しているつもりの自分が、まったく理解していなかったことに寂しさを感じました。

社長さん、先日はご多忙の中おいでいただき感謝しております。授業参観の「性教育」には驚かれたことと思います。中学生の妊娠が発覚した時、教育界に大きな衝撃が走りました。禁止すれば興味を持ち、逆効果ほど恐ろしいものはありません。興味をあおる出版物で性被害者が増加しかねず、正しい避妊方法を身に付けさせなければならない。しかし、避妊方法だけでは行為をあおることにもつながりかねません。

未婚の教師が自信を持って性についての説明をできるわけもなく、既婚教師の知識が正しいとは言い切れないのが現実です。性についてどこから初めてどの程度まで教えるべきか、日本全国の教育者はずいぶん悩みました。

産婦人科の医師をお招きして勉強会が始まりました。日本語の名称表現は卑猥感が伴うので英語の表現を採用し、いのちを中心に据えて信頼と合意の衣を着せたのです。目覚めるまえに正しい知識を身に付けさせ、性被害者を極力なくしようとした結果が現在の姿です。

理事長より、土曜参観のわかりやすい回答を得られました。同時にやはり理事長のご回答を見ると、私が歳をとっても、いつの時代でも教えられる立場には変わりがないと、今になって何か生徒の感覚がふしふしと蘇ってまいりました。

私が学生の頃は、授業の中に通常の勉強の他にもっと大事なものを先生方に教わってきたと思います。今の娘の担任の先生には、父母の意見や顔色にとらわれない、先生が正しいと思った教育をしていただければと思っており、この間の父兄参観ではまだ若い女性の先生でしたが、毅然とした態度で生徒と父兄を前に、授業を円滑に、また厳しいスタイルは本当に立派だなと終始思わされました。若い先生ですが、小学生の時の私の担任の先生を思いだしてしましました。

現在の過剰なマスコミのことや、情報の漏えい、また無頓着な親の意見など、生徒への本当の教育に大きな塀ができたような世の中になった感がありましたが、理事長のメールを拝見し、世間や親の知らない部分で教職員の皆様、そしてそれを支えられているみなさまの大変な努力が伝わってきました。本当に教職者の皆様におかれてはやりづらい世の中になったのではと思いますが、教職者の妨げにならぬような親になるよう心して参ろうと思っております。

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20 さよならもなしで

半世紀以上も生命の危機と戦うことなく、惰眠をむさぼりながらも多くの人々との出会いを経験させていただいた。そして、取りあえずのとき、明日また会えるとき、そのうち出会うとき、もう顔を見たくないとき、永久に別れるとき、喜怒哀楽の情を込めてさよならの言葉を贈ってきた。別離に涙はつきまとうが、さよならには例外が存在する。26年間もお世話になっている理容店で残っている髪の毛を整えてもらえた帰り、ご無沙汰している居酒屋へ立ち寄った。

しばらくでしたマスター。「ええっと山崎さんでしたよね。ずいぶん見ないうちに」。髪みの毛がなくなって、と言いたいんでしょ。むかしの仲間は元気ですか。「右側の一人おいて隣の鳴海さんは知ってますよね。鳴海さん、山崎さんがきてますよ」。ご無沙汰してます。「あっどうも。しばらくぶりですねえ。今日は床屋ですか。そういえば、藤高さんが死んだのは知っていますよね」。えっ、藤高さんが亡くなったんですか。「マスターいつだった。そうか、あれから2年半にもなるか」。

ということは、3年間もご無沙汰していたことになる。「遠藤さんや木村さん、元国鉄の鈴木さんを知ってますよね。みんなでお通夜にでかけたんですけど、驚きましたよねえ鳴海さん。」「ほんと、本当。お通夜が始まる前に着いたんで、奥さんを慰めようとみんなで挨拶にいったんです。そしたら奥さんは悲しがるどころか、「あの人は幸せ者です」とニコニコしてるんです。」「そしてねえ、親戚の人達も悲しそうな顔をしていないんですよ。友達の不幸を聞いてかけつけた私達はムカッとしましたよ。ちょっと失礼します。はい、いらしゃい。なんにしますか」。

不思議なはなしだが肝心なことがわからない。藤高さんはどうして亡くなられたんですか。「あの人、血圧が高くていつも薬を離さなかったでしょ。医者に止められていたのにあんなやつらになにがわかるかって、毎日飲んでいたのは知ってますよね」。もちろんです。規則正しく飲んでいれば、すべての酒は良薬よりも尊しって、ずいぶん影響されました。「そうでしたか。藤高さんは山崎さんの影響を受けたって言ってましたよ。それより悪かったのは、一日に一度は入らないと気がすまないというほどの風呂好きなんです」。

ええ、聞いたことがあります。「あの日もここで飲んで、スナックへ寄ってタクシーで帰ったんです。ここからは奥さんのはなしなんですが、やめたほうがいいというのに鼻歌をうたいながら風呂へ入ったそうです。いつもより長風呂だと思い、のぞいて見たらお湯につかったままで死んでいたそうです」。溺死ですか。「いや、心筋梗塞で水は飲んでいなかったそうです。自分の好きなことをして死んだんだから、あの人はしあわせ者ですって奥さんが言うんですよ」。云われてみれば幸せな死に方かもしれない。

そういえば先週ですけど、うちの町内でも同じようなことがありました。時計の針が4時半を回ったころに、町内会長さんから電話をいただきました。「堀江さんのじいちゃんが亡くなりました。いえ、交通事故じゃなく自宅と云ってました。昼間は自転車に乗ってたんですからちょっと変な気がするんですが、葬儀の打ち合わせが7時からあるんですが体があいていますか」。少人数の宴会とはいえ主催者が抜け出すわけにはいかず、告別式は無理でも通夜はお手伝いをさせていただくことになった。

5時に目覚める年頃になり、朝食前に町内会長さん宅を訪れると葬儀のお手伝いはすべて手配済みだった。明日は集金日なので休めませんが、今夜の通夜はお手伝いできます。

で、死因はなんでした。「心不全ということになったんですが、不思議なんですよ。午前中に会ったときはピンピンしてたのに」。会われたんですか、本人に。「10時ごろ自転車に乗っているのを見かけたんですよ。病院へ薬をもらいに行ったそうです。そう、血圧の。昼すこし前に帰ってきたらラーメンを出前させ、届いたのを見てから奥さんは美容院へでかけたそうです」。

おじいちゃんは84歳でしたね。「ええ。若奥さんのはなしでは、2時ごろまで向いのコンビニへ酒類が納品されるのをながめていたといいます。車が帰ったころ家へ入ってきて、ビールを一本のんでから横になった。娘さんが尋ねてこられたのが3時頃で、「おじいちゃんそんなとこで寝てると風邪ひくよ」と言ったら、「うん。もうすぐ母さんが戻るからゆっくりしてけ。」と答えたそうです。

元気だったんですね。「ええ。それから30分もしないうちに奥さんが戻り、声をかけても返事がないので救急車を呼んだらすでに死んでいたと云います」。ええっ、そんな。奥さんのショックは大きかったでしょう。「好きなラーメンを食べて、大好きなビールを飲んで、痛いとか苦しいとかいわずに死ねたのだから幸せだと云ってましたよ」。

しばらくのあいだ居酒屋に沈黙が続いた。二人ともいい死に方ですね。「苦痛も涙も、さよならもなしでね。」「家族に手間をかけたくないし、おれ達もそんな死に方したいよなあ」。

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