はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第7章 機関紙幌掲載短編集

札幌市内の学校事務職員が集う研究研修団体の機関誌「幌」より、「神威岬」「むしょぐらし」「完走認定第148位」「いまだから笑い話」「意固地」「パソコンの殺し方」「パークゴルフは楽しい」「一筆書き残し候」を転載。

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1 神威岬

  その一

水平線のかなたに龍飛岬を望める。うしろにそそり立つ大千軒岳はいまなお雪に包まれていた。一年の三分の一は吹雪に明け暮れる北の地、アイヌの楽土であった蝦夷はニシンの群来(くき)で春を迎える。見わたすかぎりの海をうめつくすニシンの群れは、蝦夷の地に春をつげる。そして、人々は今年もやってきた。

波は白いあわをかんで白神岬を洗いだし、しだいに強くなる風に津軽の海は荒々しく吠え狂い始める。豪々と轟く海鳴りに、いろりを囲む女達は身を寄せ合って青白くなった顔を見交わす。心配は心痛を呼び寄せるのだろう。海がシケはじめると女達は、いつもかならず同じ不安をいだいた。忍路の海も荒れているのだろうか。うちの人はどうしているかしら、と。

守り役の老人が口をひらいた。「今夜もオカムイさまぁ、荒れてござる。なに、そげに心配せんでもええ。おめえらのとっつあま、でえじょうぶだ。」「ほんに、でえじょうぶか、ね。」「でえじょうぶ。でえじょうぶだとも。いまにウロコだらけになって、けえってくるよ。こんなのは漁師にとって、シケのうちにゃへえりゃせん。」

昔は大船頭であった老人の言葉にホット胸をなでおろした女達は、白い湯気の立つ甘酒をすすりはじめた。別離と不安にくわえ、厳しい寒気にさいなまれる体に生気が甦る。

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からだが暖まってくると、「じっさま、ツコタンは本当に女人禁制なんかい。」「うんだ。わしらはなんで忍路へ行けんとよ。」「女人禁制なんて、だれが決めたんじゃろ。」「わてら女が北さ行って、なにが悪いんよ。」

女達は日頃の疑問を老人になげかけた。「そりやぁ、チャレンカの呪いじゃ。」「チャレンカ。」「うんだ。ツコタン(積丹)のはしを神威岬ちゅうこたぁ知ってんべ。この岬を越えにやぁ忍路さゆかれん。じゃがな、神威岬は女人禁制なんじゃ。どげんしてもシャモ(和人=日本人)の女は通してもらえん。チャレンカが呪っているんじゃ。」「じっさま、チャレンカってだれなんよ。どげなことがあって、シャモの女を通さんのじゃ。」

共白髪を誓った夫婦でありながら、この蝦夷の厳しい寒さに耐えてなぜ別れ別れに暮さなければならないのだろうか。忍路まで海路三日の航程である。漁師の妻達は夫を慕い、漁師たちは妻をなつかしむ。松前追分にいまなお残る「忍路高島およびもないが、せめて歌棄、磯谷まで」。悲しい唄のひびきはなにを物語っているのだろう。

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 そのニ

漁師の妻たちは古老の口もとを見つめた。もう80に手がとどく守役は、いろりに新しいまきをくべるとぽつりぽつりと語りはじめた。「チャレンカは美しいアイヌの娘じゃった。」

  むらさき色の春がすみは ヌプリ(山)をつつみ
   細長くコタン(村)に尾をひく
   夜通し待ち続けたレンカウクの耳に
   たかく ひくく
   赤子の泣き声がとどいた

  おんなじゃ  元気な おんなの子じゃ
   コタンの女たちのざわめきに
   40をすでに超えたレンカウクは踊りあがった
   初めての子  初めての子が生まれた
   朝もやにつつまれた森や林に 喜びの声がひびく

  フチ(老婆) イフミヌは叫ぶ
    ウタリ           (ひとびとよ
    ウホプンパレ ワ       立ち上がれ
    ウリムセレ ヤン       みんなで踊れよ
    アー ホイヨー」       あー ほいよー)

  男も女も 輪をつくり
   新しく生まれた子のために踊った
   喜びと 祝福と 未来に幸多かれと
   女の子は チャレンカと名づけられた
   酋長レンカウクの長女である

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 その三

ことしもカリムパ(エゾヤマザクラ)の花が、コタンをうめつくした。クナイペ(福寿草の花)に笑みをもらしたチャレンカは、クナウ(タンポポ)で首飾りをつくるまでに成長していた。そろそろまなびのとき。生きてゆくうえに大切なことをハポ(母)は教えはじめる。

  チャレンカ チャレンカ 私のチャレンカ
   カムイコタンへ ゆくんじゃないよ
   こわい神さま かならずおって
   おまえをがけから 落としてしまう
   カムイコタンは 悪魔の里よ

  カムイワッカを 飲んではいけない
   悪い神さま 流した水は
   おまえのおなかを こわしてしまう
   カムイワッカは 毒の水
   飲んではいけない 毒の水

  チャレンカ チャレンカ
   かわいい チャレンカ
   ペツ(川)は 海から上っていって
   陸の奥へと 進んでゆくの
   途中で子供(支流)を たくさんつくり
   山の奥へと 入ってゆくの

  アベウチカムイは 火の女神
   シランパカムイは 森の神
   ワッカウシカムイは 水の神よ
   オノミカムイ(祭祀神)を
   おまつりしましょう
   カミアシ(悪魔)たちは 逃げてゆく

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夏になると時折一日中風が吹き荒れて、夕方には一時吹きとだえることがある。幼いチャレンカは小首をかしげた。

  アチャ アチャ(父さん 父さん)
   夕方になると なぜ風がやむの
   さっきの風はどこへ行ったの

  チャレンカ チャレンカ 可愛いチャレンカ
   風もやっぱり生きものさ
   夕方には家へ帰り
   食事をするんじゃ 奥さんと

大風が吹き荒れるとレンカウクは叫ぶ。「レラ シキ オー」と、いろりの灰をつかんで空へと投げる。

  アチャ アチャ
   なぜ 灰を空に投げるの
   チャレンカ チャレンカ 可愛いチャレンカ
   風の神が みんなをこまらせるか

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イワトペニ(ヤマモミジ)の葉が色づくころ、コタンのウタリは悲しみにつつまれていた。悲痛な泣き女達の声に送られて、エシカ(長老)はよみの国へ旅立った。煮物を食べながら酒を飲み、そのしずくを床にたらす男達。初めて見る儀式に、チャレンカは母の手をひいた。

  ハポ ハポ(母さん 母さん)
   とうさんは なにをしているの
   いろりの火をかきたてて
   あんなにまきをいぶらせて

  わたしのチャレンカ とうさんはね
   死んだエシカがまよわずに
   きっとあの世へ行けるよう
   長い道の かどかどを
   ちゃんと照らしてもらえるよう
   お願いしてるの 火の神に

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 その四

ヌプリにウパシ(雪)が積もり始めた。チロンヌップ(きたきつね)やイヤッポ(うさぎ)が飛び跳ねる。日ごとに美しくなるチャレンカは神々の言葉を学び終え、自然の厳しいおきてに従いながらすくすくと成長していった。コタンのウタリや両親の愛にはぐくまれて、もうすぐ16の春を迎える。そんなチャレンカを、いつしか、だれもが、ピリカメノコとうわさした。

道案内のアイヌを先頭に二人の武士は平取村へと使者にたった。勇払原野をぬけて日高の入口、沙流川へ着くころには日が中天にかかりはじめている。川添いの細い道を歩きながら年嵩の男が話かけた。

「蝦夷は広いのぉ。秀衡さまが云われたとおりじゃ。」
「この蝦夷を平定すりゃ、頼朝はどうにもなるまい。」
「これ、頼朝などと呼び捨てにしてはいかん。たとえどうあろうと、おやかたさまの兄上じゃぞ。」
「わかった、わかった。だが、腹わたが煮えくり返るわ。」
「腹が立つのはわしかて同じじゃ。おぬし、泰衡のうわさを耳にしたか。」
「あのうらぎり者め。いまに天罰が下るわい。」
「知らんと見えるな。泰衡は死んだよ。」
「げえっ、そりゃいつのことだ。」
「昨年10月のことよ。なんでも頼朝殿の軍勢に藤原氏は根絶やしにされたそうな。」
「やれやれ、おやかたさまをうらぎったやつがそそのかした者に討たれるとは。早目に蝦夷へ渡って良かったのう。」
「それよ、おやかたさまは運の強いお方じゃ。」

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藤原秀衡はその子泰衡・国衡らに義経を大将として結束すべきことを遺言したが、秀衡の死後頼朝の圧迫に屈した泰衡は平泉の館「持仏堂」を襲った。時に文治5年(1189年)4月30日、不意をつかれた義経は影武者にあとを託しわずかな手勢と共に蝦夷へ落延びたのである。「大日本史」にいわく。

 世に伝う。義経は衣川の館に死せず、逃れて蝦夷に至ると。いわゆる義経の死した
  る日と、頼朝の使者、その首を検視したる日と、その間へだたること43日、かつ
  天時暑熱の候なるをもって、たとえ醇酒にひたし、またこれを函にすといえどもこ
  の大暑中、いずくんぞ腐爛壊敗せざらんや。また誰かよくその真偽を弁別せんや。
  しからばすなわち義経死したりと偽り、しかして逃走せしならんか。

義経逃走よりわずか2ヶ月、藤原泰衡は大軍を率いた頼朝に敗れ、腹心の部下にその首を討たれた。

骨肉をはむ戦いをのがれて蝦夷へ渡った義経は、翌年雪どけを待って内裏湾に沿って日高へと向かった。蝦夷地平定のために大酋長レンカウクの助力を必要としたのである。夕日が勇払の原野を赤く染めるころ義経は平取に着いた。純朴で親切なアイヌ達はこの美貌の武将を心から歓待した。レンカウクは自分のチセ(家)の一部を義経に提供し、身のまわりの世話をチャレンカにまかせチャレンカも喜んで引き受けたのだった。雨が降り始めるとチャレンカは小川にそって唄いながら歩く。

  シロカニペ          (銀のしずく
   ランラン ピシカン       降れ降れ まわりに
   コンカニペ           金のしずく
   ランラン ピシカン       降れ降れ まわりに)

いつのまにかチャレンカの小さな胸のうちに義経に寄せる思慕の情が芽生えはじめ、やがて大きく育って恋心となり、素朴ながらも身を焼く激しい愛がはぐぐまれていった。

コタンきってのピリカメノコの親身も及ばぬ心づくしは、血肉を分けた兄弟の争いに傷ついた義経の心をなぐさめた。チャレンカは義経のおぼえめでたき存在となったが、娘心を察するゆとりのない義経は遠い故国に残したままの妻子に思いをはせていた。

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 その五

静は雪深い吉野山で泣きはらしていた。今日かぎりで再び逢うことはかなわぬと自らの心にいいきかせながら、義経は静の肩をやさしくいだき「気をつけて都へ行け。この悲運も長くはあるまい。またの日もきっとある。身をいとおしんで良い子を生んでくれ。わしとてもこのまま朽果ててなるものか。」

わずかばかりの砂金と形見の鏡を渡したときの、静の手のぬくもりを義経はいまも覚えている。みごもっていた静と別れて早や5年、子供は4歳になっているはずである。一日も早く蝦夷地を平定して頼朝へ献上することにより、許されて都へ帰えりたいものと義経はあせった。生前、藤原秀衡は「蝦夷地全土を征せんとせば、まず大酋長を説け。」と言い残した。その言葉を杖とも柱とも頼み義経はレンカウクを必死に説いた。

だが、大酋長レンカウクは動かない。蝦夷地は平和であった。争い事もなくアイヌたちはそれぞれのコタンで幸せに暮らしていた。同情に値する悲運の武将のためとはいえ、親交厚き秀衡の縁につながる者であっても、なにを好んでシャモにこの土地を渡さなければならないのか。神々よりたまわり、遠いシンリツ(先祖)から受けつがれてきた蝦夷はアイヌの土地である。この地は守らねば、守りぬくのがレンカウクの使命といえよう。レンカウクは微動だにしなかった。

焦燥にかられる義経のもとに、鎌倉をさぐりに行った伊勢の三郎が追いついた。心まちにしていた肉身のようすを伝え聞く義経の目に光るものが宿った。

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義経とともに京の都より身をかくしてのがれ、雪の吉野山で進退きわまり血の涙を流して別れた静はほどなく山僧の一団に囚われて鎌倉へ送られた。勝利の美酒に酔った将軍頼朝は、静がもと京の白拍子(舞姫)であることに気付き、反逆者へのみせしめとして身重の体に舞を強要したのである。

耐え難い辱しめに静は吉野山での別れにさいし、このように悲しいことも長く続きはしない。また逢える日もきっとあろうぞと義経の残した言葉を信じ、その言葉にゆく末を賭けて舞踊った。好奇の目をみはる勝者らのまえで静は舞ながらおのが心のうちを歌にたくした。

 しずやしず しずのおだまき くりかえし むかしをいまに なすよしもがな
  吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにしひとの あとぞ恋しき

あられもなく泣き叫ぶ姿を思い浮かべていた頼朝は怒り心頭に達した。辱しめは、辱しめを強要した者へ戻ったのである。静の子が生まれ落ちるやすぐさま取りあげて鎌倉を追放し、その子は石をいだかせて由比ケ浜の海中に沈めてしまった。

この報を聞き終わるや義経は烈火のごとく怒った。あの平の清盛といえども子供に哀れみをかけたというに、腹違いとはいえ実の弟の子を殺すとは。あまりの悲惨な出来事に部屋へ閉じこもった義経は終日いまはなき我子の菩堤を弔いつづけた。そして、決断のときがきた。我子を殺されてはもう兄者でもあるまい。このうえは蝦夷地を平定献上したとてなんになろうぞ。蝦夷はアイヌのもの、わしは大陸へ行く。聞けば大陸は広大無辺の大地という。

義経の動きは常に迅風迅雷であった。ひとたび断を下すや、大酋長レンカウクに厚く礼をのべ、「やよ、みなのもの。われにつづけや。」

一族わずかに二十余名。義経の号令一下、山を越え、沼をわたり、つたやかずらに足をとられながらも北進した。大陸にみはてぬ夢をはせながら一路ツコタンの浜をめざしたのである。

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 その六

そんなこととはつゆほども知らず、チャレンカは伯母の看病にあたっていた。父レンカウクの命に抗しえず、遠くはなれた様似のコタンで恋しい人を夢見ながら、月の満ち欠けに日をかぞえていた。早く帰えりたいと心急き、夜の目も寝ずに一心不乱の看病を続けるチャレンカの姿に、なにも知らぬコタンの人々は驚嘆の声をあげていた。

この看病にさしもの病魔も退散し、日ましに快方へ向かいはじめた伯母はチャレンカの胸のうちを感じ取って、明日は帰るようにと勧めるのであった。伯母のもとよりもどったチャレンカは、10日も以前に義経が出達したことを知り愕然とした。しかし、それらしき感情を現わすことなく、伯母のようすを両親に報告すると、旅の疲れもともなって深い眠りについた。

どれほど恋に身を焼こうとも、慕い、恋し、愛したとしても、アイヌとシャモは結ばれることはありえない。たとえ酋長の娘であっても、許されることがないアイヌのイレンカ(おきて)がよこたわっていた。しかし、アイヌの厳しいおきてもチャレンカの心を引き止めえず、日毎夜毎にうずく心は小さな胸をかきむしり、ついにはウウエウェン(恋)がすべてとなって燃えはじめるのであった。

朝の食事がすむとコタンの娘達が集まってきた。ウバユリの根が大きくなっているのでヌプリへ行こうとのさそいに、チャレンカは目を輝かせてうなずいた。久しぶりの出会いに娘達の話はつきなかったが、ヌプリにつくとわれ先にユリ根を求めてちっていった。だれが一番肥えた大きな球根を手にするか、きそい合うのが常であった。

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昼を少しまわったころカゴいっぱいの球根を手にした娘達は、最も大きなものをくらべ合いながらチャレンカの帰えりを待つ。だが、いつまで待ってもチャレンカはもどってこなかった。林の中をさがしまわった娘達は、行くてに広がるカムイコタンを見た。チャレンカはその先へ迷い込んだのだろうか、真新しい足あとが残されている。娘達がコタンへかけもどり両親に知らせたときには、日も山の端にかたむき夕やみがせまっていた。

チャレンカは夜になっても戻ってこない。コタンは騒然となった。多くの人命を奪った交通の難所カムイコタンは、危険な悪魔の住む里という。昼なお暗きカムイコタンへ6人の屈強な若者達はチャレンカの足あとをたどった。赤々と空を焼くタイマツを手に夜通し続いた捜索のかいなく、チャレンカの姿を発見することができなかった男達は風のために吹き消されてしまった足あとを歯ぎしりする思いで探し続けた。

二日目の夜に入ってレンカウクはコタンの老占者イフミヌを呼んだ。息をこらして見守る両親を前にイフミヌは神々にヌサ(御弊)を捧げる。真夜中、心気をこらしたフチ(老婆)はチャレンカの登ったヌプリと一体になった。ふもとにあたる膝のところに娘達の足音がしてまもなく、腹にかけてガサゴソとユリ根をさがす足音が感じられる。だがそれとは別に、とまどうことなく一直線にカムイコタンへ向かう足音がひとつあった。チャレンカに相違ない。

イフミヌは足音について、山から川、川から砂地、そしてまた山へと追い続けた。しだいに早くなる足音は幾人も人命を奪った難所カムイコタンを越えてゆく。全身油汗にどっぷりとひたって心気をこらすイフミヌの感覚は、ついにチャレンカをとらえた。月の光に照らされて鹿のように野原をかけるチャレンカ。鳥のように峰々を渡り、サケのように滝を乗り越え、果なき平原をチャレンカは走る。走る。走る。

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ツコタンの海はゆっくりとうねっていた。絶好の船日和。帆いっぱいに風をはらんではるか沖を義経一行を載せた軍船が進む。夕日を受けて源氏の白旗が風にはためき、まだ見ぬ大陸に無限の夢をはせて波を押し分けてゆく船をチャレンカは見た。無我夢中でひときわ高い岩の上によじ登ったチャレンカは、真っ赤に燃える落日の中に消えようとする軍船に届けとばかり声をふりしぼった。

義経さまー、わたしもつれてってー。連れてって、義経さまーあ。

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 その七

悲痛な叫び声は山々にこだまし、波の打ち寄せる音すら声を忍んだ。呼べど叫べど船はしだいに遠ざかり、ついには水平線のかなたへ吸い込まれる。地だんだを踏む足は傷つき岩を染めて鮮血が流れていた。力尽き果てたチャレンカは、声も涙もかれはてへたへたと岩の上にくずれおちた。夕やみが神威岬を包みはじめる。失意のふちに沈んだチャレンカの胸にひとつの疑惑が走った。

義経さま。どうして、わたしをおみすてに。どうして、どうして。なぜ。

その時「静」という名がチャレンカの心をよぎった。シャモの女「静」が義経さまとの仲をさいたのでは。憎っくき、シャモの女め。義経さまは私のもの。たとえ、後を追ってきてもここから一歩も通しはせぬ。チャレンカの小さな胸は張り裂け、激しい恋は失意を超えて疑惑を呼び、疑惑は憎悪と化す。

神威岬に静寂が襲った。木々の小枝を打つ風の音も、わずかばかりの砂浜に打ち寄せる波の音も、家路を急ぐ小鳥の羽音、秋の夜長を鳴きとおす小さな虫にいたるまですべてのものが息をひそめた。憎悪は炎となる。蛇の舌のようにチロチロと息づいた炎は狂気の力をかりてしだいに渦巻き、火柱となって一気に背骨を駆け上った。狂気は憎悪をあおり、憎悪は狂気によってすさまじい呪いと変じ、呪いはチャレンカの口より吐き出された。

シャモの女め、この岬をとおらば滅せしむ。命をとらずに、おくべきか

チャレンカの喉が裂けた。口から滝のように溢れ出た血は胸を染める。そして、虚空に身をおどらせた。哀れ泳ぎを知らぬチャレンカはなおも恋しき義経を追った。

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身は虚空を流れ落ちる。海水とまじわる一瞬、呪いの炎は肉体より分離した。呪いは風を呼ぶ。風は雲を呼び、雲は雷鳴を誘う。雷鳴は豪雨を呼び、豪雨は風に従う。呪いは自然を変えた。ごうごうと猛り狂う烈風の中に雷光が走り、耳をろうするばかりの大音響がとどろく。大浪は逆巻き、白いあわをかんで切り立った岩壁に打ち砕け、虚空に無常の飛沫を散らす。天を引き裂くいかづちはごう音を残して、岩壁にへばりつく松の老木を火とかえた。大地は不気味なめい動をくり返し、波が裂けるとみるまに海中より岩がせりあがる。美しき神威岬は呪われた岬と神威岬の立岩化した。

「神威岬の突端にゃ、まるで女の立ち姿のような岩がいまも沖をにらみ続けているんじゃ。アイヌ達でさえこん岬を舟で通るときにゃイナウを捧げてチャレンカの霊を慰め、わしらも変りのワラ人形を流して怒りをしずめるんじゃ。

そうよな、岬を通る男たちにゃあの血を吐くような叫び声がいまも聞える。チャレンカは岩になったんじゃ。岩になってシャモの女を呪っているんじゃ」。「じっさま、そげなことがあったんかい。チャレンカはかわいそうな娘じゃねぇ。」「どう、成仏できるようにみんなで祈ってあげちゃ。チャレンカもわしらも同じ女じゃ。」「うんだうんだ。みんなで祈ってやれ。おめえらもチャレンカも同じ苦しみ味わってんじゃ。早くとっつあまに逢えるよう、忍路さ行けるよに祈るんじゃ。いつかは解ってくれる。わかってくれるともチャレンカは。」

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暁まえの忍路港。まばたきもせずに輝いていた銀河はしだいに光を失い、明けの明星が取り残された。大気は凍てつくまでに冷えきり、すべては静寂につつみこまれていた。龍が岬に立つ影が動いた。けたたましい鳴声をあげながら、カモメが舞いあがる。と、うすぐらい水平線に無数の銀鱗が踊った。群来(くき)だ。

ニシンが 来たぞーぉ

大船頭の声に朝が明ける。蜂の巣をつついたかに騒然となる飯場より、網をかかえた漁師達は沖をのぞむ。見るまに白くなるツコタンの海に数の子と白子を押し分けて舳先(へさき)が走る。後志(しりべし)の浜に網起しの唄が流れ、ニシン釜より立ち登る煙は日の光をさえぎった。そして、終日耳にした唄声がやむころ、宵の明星が星々をいざなう。白くにごったツコタン(積丹)の浜辺に北斗七星が青白い光をなげかけるころ、丸太のように腫れあがった手足をもみほぐしながら漁師達は、薄い布団にふるえながらもうたかたの夢をまどろむ。

北の海は荒れやすい。なぎを願うことにもあきはてた若い漁師たちは、つくろい終わった網をまえにして遠い松前に思いをはせる。シケが続くと漁師達は、だれもが同じ思いをいだいた。この忍路や、となりの高島までとはいわねぇ。せめて、歌棄か磯谷までオッカアをつれてくることができたら。こんなシケの晩にゃ、逢いにゆくことができるんだが。

松前追分が、今日も聞こえる。「忍路高島およびもないが、せめて歌棄、磯谷まで」。(1979年昭和53年11月作)

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2 むしょぐらし

2-1 発端

刑務所から出てきた人を「むしょ帰り」といい、刑務所で生活することを「むしょぐらし」と云う。若い人達に「むしょ」の語源を聞くと、刑務所の刑を取って略したのだという。まさしくそうなるが、税務署や神社の社務所を略せばやはり「むしょ」である。確定申告をした人や、おみくじを引いてきた人を「むしょ帰り」というだろうか。

刑務所の前身は「収治監」であり、のちに「監獄」と呼ばれた。明治41年に監獄法ができ、囚人に与える主食の混合率は麦が6割で米が4割と定められる。現在は逆になっているが混合率の6と4、すなわち「む」と「し」がなまって「むしょ」になった。刑務所という名称がない明治時代、すでに「むしょ」という言葉が使われていたのである。

私はいま獄中にあり、4ヶ月の刑に服している、といっても罪を犯したわけではない。入院生活とむしょぐらしの類似性に気がつき苦笑している。内科と異なり外科病院の生活は食事の制限がなく患者も明るい。時期さえくれば退院できることがわかりきっているからだろう。しかし、受刑者と同様に自由はない。

軍歌か戦時歌謡に「可愛いスーちゃん」という唄があった。この曲の替え唄に「練監ブルース」というのがある。練馬区の東京少年鑑別所に収容された未成年の犯罪者が、なぜ入れられたのか、所内の生活はどのようなものかを唄にしたもので、発禁されたがかくれたヒット曲となった。災害は忘れたころにやってくる。災い転じて福となせるか、謹慎しながら顛末をつづってみた。

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 骨折ブルース

身からでました サビゆえに  酔ってることとは いいながら
 すべって ころんで 足折って  入院生活しようとは

白い車に 乗せられて  ピーポーゆられて 行く先は
 その名も高い 白石の  とある 整形外科病院

師走の夜に 運ばれて  写真を撮られて ねじられて
 ギブスをかけられ かつがれて  入った独房 一号部屋

医師や婦長の お調べに  ついた罪名 右足の
 二カ所の骨折 ヒビひとつ  全治四月の 大失態

国道ぞいの 病院に  この世の地獄が あろうとは
 夢にも知らない シャバの人  知らなきゃ おいらが教えましょ

ガーゼの寝間着に 身をくるみ  ベッドの上から 動かれず
 杖にすがりて 洗面所  つらくも楽しい 運動よ

8時と12時 4時がめし  少ないおかずに 悩まされ
 腹をすかせて 寝る夜は  夢にまでみる ジンギスカン

肉親 友人 意見され  出るは涙か ためいきか
 階段登る 足音は  注射器持ったる 看護婦か

野菜が足りない 電話かけ  食事がいやで 脱走し
 仕事が気になり 出てみれば  怨みに思える 給食よ

夜半に窓開け 空見れば  あの星あたりが 居酒屋か
 ママさん今頃 なにしてる  酒が売れずに 目に涙

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2-2 事件発生

昭和55年12月27日は、例年より一日早い御用納めである。午後友人の年賀状印刷を手伝い17時に退勤する。まっすぐ帰宅するなどと云うふざけた神経のもちあわせはなく、いつもの小さなノレンをくぐる。行く年を惜しみてささやかな酒宴をもよおすは、これまた好きもの同志。ビール4本と銚子わずかに16本、ほんのり顔を染めるもどこに入りたるかさだかならず。ゆかいに飲み楽しく語りて時はすぎ、ふと気がつくと時計は8時を少しまわっていた。師走の27日夜、帰宅を待ちわびる恐ろしき妻の顔まぶたにちらつき、そそくさと表へ出るは仏心か。

国道12号線を走る車なく、満天に星さんぜんと輝やき、雪のきしむ音いつになく高くきこゆ。あぁ、明日から正月用品の買出しか。とつぶやいた瞬間、氷に足をとられて滑った。右靴のスパイクが氷の溝にはまって足を固定し、70キロの巨体が地響きをたてて雪にめり込み、耳に届く聞きなれない「バキン」という音。右足に走るすざましい激痛。

そこへ顔見知りになったラーメン屋のおやじが通りかかる。
「どうしました、だいじょうぶですか。」
「どうも、右足の骨が、折れた、ようなんです。」
「えっ、そりゃ大変だ。どっちの足です」。

親切なおやじは、足を持ち上げようとした。
「さわるなっ。それより、手を引っ張ってくれませんか。このままじゃ、車に足をひかれちゃう。」

下半身が国道に出ている。差し出した右手をつかみ、60に手が届くおやじが引いても横倒しになった体はようとして動かず。息を切らしたおやじ、
「お客くさん、どこで飲んでたの。」
「そこの店さ。そうだ相棒がいるから、連絡して。」

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居酒屋までわずか3メートル。ノレンをかきあげておやじは内へ飛び込んだ。しだいに体が冷えていく。小きざみなふるえが全身に広がってきた。外の寒さだけではない。折れた骨が肉を破り出血したかな。止血しなければ。止血位置はもものつけ根、いや、間接のすぐ上のほうが。まてよ、流れ出る血の感触がない。じゃあ、これが悪感か。体に重大な変調が起こったとき現れるという悪感なのか。

居酒屋のママと飲み友人が、あたふたと飛び出してきた。
「どうしたのさ、先生。足折ったって。」
「山ちゃん、車どっちへ行った。どんな車だ。」
「先生、私の声聞こえる。」
「どんな車だった。どっちへ行った。」
「大声でさわぐなよ、みっともないから。それより体を引っ張ってくれ。バスに引かれたらパーだから。」

三人で両手を引くと、さしものトドのような巨体でもずるずると歩道に乗り上がる。
「山ちゃん、交通事故だろう。どこやられた。車はどっちへ逃げた。」
「落ち着けよ。滑って転んだんだから。」
(みんな、あわててる。へたに足を持たれたらまずい。おちつかなければ、落ち着いて善後策を考えねば)。

ポケットから、吸いなれたタバコを取り出す。すっかり交通事故と勘違いしている友人に、火をつけてもらい大きく吸い込んだ。体のふるえはまだ止まらない。
「みんな、良く聞いてよ。氷に足を取られて滑り、転んだときに右足の骨が折れたようなんだ。」
「山ちゃん、交通事故じゃないのかい。」

ラーメン屋のおやじが、一番冷静である。
「お客さん、救急車を呼びますか。」
「救急車。そうだ、呼んでもらおう。」

その時、国道12号線を一台の救急車が赤い表示燈を点滅しながら走ってきた。なにを勘違いしたか飲み友達、大声をあげながらしきりに手をふり止めようとする。「手をふったって止まんないよ。タクシーじゃないんだから」。

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2-3 緊急逮捕へと裁判所

タバコを吸いおわって雪の中へ差し込むと、高らかにサイレンを鳴らしながら救急車がきた。
「どうしました。」
「どうも右足を骨折したらしいので、よろしくお願いします。」
「右足ですね。足を固定しますからちょっと痛みますよ。」

足を持ちあげられるとかなり痛い。「出血していますか。」
「ないようですね。だいじょうぶですよ。今日の当番病院は北26条と平岸ですが、どちらにします。」
「じょうだんじゃない、そんな遠いところ。」
「知っている病院はありますか。なければ、タライまわしになりますよ。」
「チョット待って。そうだ、屁多奈外科へ電話してくれないかい。」

飲み友達が電話をすると医師不在でことわられる。
「じゃあ、馬伊整形へかけて。先生に見捨てられたら最後、助からないって。」

三分程たって友人が戻ってきた。
「すぐに来てくれ、待っているってさ。」
「ありがとう。すみませんが馬伊整形までお願いします。」」

云い終わると張りつめていた気持がゆるんだ。折れていないでくれ、頼むから折れてないでくれ。レントゲン写真を撮り終わると医師が問いかける。
「どのくらい飲んでいますか。」
「四合ぐらいかな……。」

飲み友達があわてて訂正した。そんなわけがない。
「七~八合は飲んでいますよ。」
「そう、少しがまんしてくださいね。左足を伸ばして。」

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足をそろえると靴とスボンを脱がされた。右足のズボン下、別名ももひきにハサミが入り太ももまで切り開く。水がしたたるレントゲンフイルムを看護婦に持たせ、左右の足を見くらべたのちふくらはぎをむんずとつかむやぐいとひねった。ツー、息が止まり声がでない。再び、レントゲンをとって調べている。ギブスをかけ始めると友人が声をかけた。
「山ちゃん、家へ電話するかい。」
「そうだ。保健証を持ってくるようはなして。」

看護婦四人とレントゲン技師が担架を持ち、二階の病室へ運びあげる。「70キロもあるから大丈夫ですか。」といいながら階段の手すりにつかまろうとすると、「危険ですから、静かにしてください」。婦長にしかられた。

ベッドに移されてホッとすると顔面蒼白の妻が入ってきた。
「やあ、すまん。右足の骨を折っちゃった。保健証持って来たか。」
「先生、今夜は付添いしたほうが良いでしょうか。」
「そうですね。今は酔っているのでそれほど痛みはないでしょうが、今夜と明日はかなり やむでしょう。付添いは必要ないと思いますが、本人しだいです。」

どうしたの、こんなことになって、と涙ぐむ妻の言葉にあやまるよりしかたがない。
「すまん。氷に足をとられて転んだんだ。俺の不注意だ。付添いはいいから下へ行って症状を聞いて来てくれ。それから、無理やり入院させてもらったのでお礼を言ってくれ。」

妻は保健証を持って一階へ下りていった。飲み友達が責任を感じたように呆然と立っている。
「フーさん、迷惑かけてすいません。」
「なにいってるのさ。いっしょに店を出てればこんなことにならなかったなー。てっきり交通事故だと思ったよ。あわてたけど今夜はぼくが付添いするから安心してよ。」
「まさか。これいじょう迷惑かけれないよ。とにかくまいったなー。予定していたことが全部パーだ。」

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妻がもどってきた。
「あんた、どんな転び方したの。骨が二カ所も折れてるんですと。顔を見たら若いと思ったけど、中年なんですねってお医者さんが言ってたわ。歳をとると、骨がつきにくいんですって。」
「ふざけやがって、俺はまだ若いよ。」
「それが悪いのよ。若い若いたって少しは自分の歳を考えてよ。」

しだいに形勢が不利になってくると友人が助け舟を出してくれる。
「奥さん、今夜は帰ってください。ぼくが付添いますから。」
「だいじょうぶだよ。たかだか足の骨が折れたぐらいで死にはしないから、二人とも帰っていいよ。」
「でも、今夜も明日もやむそうよ。」
「自業自得だからしかたないさ。俺はベッドに寝てるからいいが気をつけて帰ってくれ。転んで俺みたいになったら大変だ。」

脛骨の骨折部より約一センチ上方に骨中央部まで達するヒビが一カ所。外傷及び過剰内出血なく、骨接合部五ミリのずれまで整復。骨折部自然接合までに約七週間。筋力及び間接機能復元に約七週間。歩行訓練約二週間で全治四カ月。本人の意思の入る余地なく、裁判官の判決を受けた場合と同様である。

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2-4 執行猶予

27日の夜押しかけ入院し、注射一本で痛みは止まったが翌朝目覚めるとやりきれずに看護婦を呼んだ。
「どうしました。痛みますか。」
「いや、腹がすいたんです。朝食はまだですか。」
「食事は8時です。そんなことで呼ばないでください。」

2時間後に出てきた食事というのが、丼の一膳めしにみそ汁が半分と塩辛に沢庵ふたきれ。あまりのみじめさに涙がでてくる。見回すと4人部屋である。窓側のベッド2つは空いて、向いのベッドには患者がいるようである。軽症で帰宅しているのか、ラークの灰皿とタバコ入れがあり天井から千代紙の飾りがさがっている。どうも女性らしい。

前日までの疲れのせいもあり終日うとうとしている。見るもの聞くもの、読むもの書くものすべてない。だが、夕食を過ぎると目がさえてくる。妻がふだん「よたか」と呼んでいたが、なるほどと感心する。

29日の昼食後中年男が入院した。右足アキレス腱を断裂し、手術を受けて窓側のベッドに入った。背は高からず高からず、バスト・ウエスト・ヒップが同寸法の豆タンクである。

すぐに親戚が見舞いにきた。
「なにしたのよ。」
「アキレス腱を切ったんだ。」
「なにかやったんだべ。」
「なんもしないって。チビと雪合戦やっててよ、家の階段の前で転んだんだ。」
「そんなことで切れるってか。」
「そうだって。やあや、飲んでなくてよかったで。なに言われるかわかんねえもな。」
おとなしく聞いていると神経にさわることをのたまう。

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明けて30日、入院患者は自宅で正月を迎えられるよう帰宅させる。逆のいい方をすれば4日まで休診なのである。自宅はやはり良い。病院より遅い夕食が運ばれてくると献立のすばらしさに驚くばかり。粗食にならされるとルイ十四世在位当時、ローマ貴族の晩さんもかくやあらんと思えてくる。

なるほど、この食事が我身をトドとなせしか。舌づつみを打って一時間もたつと自然に体が問いかけてくる。どうするの、やりたいしょ。だめなの、いいでしょ。だめ。少しなら。だめ、だいじょうぶ。だめ、やっと結論がでた。「おい、一合だけついでくれ。」

口中はふくいくとした香りに満ちあふれ、小さな無数の玉となって舌の上に遊ぶ霊水。五臓六腑にしみわたり、からだの中に活力を運びゆく百薬の長。世の中にこれほどうまいものがまたとあろうか。
「写真をとるからちゃんとして。」

ももまでかけられているギブスをあらわに、盃を手にした姿で記念撮影。
「写真があれば、そんなこともあったという思い出になるなあ。」
「お酒を飲み過ぎたとき見せてあげるわ。」
「よせやい。なくなったから、もう一杯くれ。」
「だめよもう。」
「もう一杯だけだ。いいだろう。」
「だめ。」
「金もいらなきゃ、女もいらぬ。わたしゃもすこし酒飲みたい。」
「もう、だめ。」
「たのむって。」
「手を合わても、だめよ。」

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2-5 懲役刑

三日間の留置所生活ののち、正月をはさみ自宅ですごした6日間。つらくも楽しい執行猶予は終わり、1月5日の午後、妻に付添われて病院へ戻る。なな、なんと、4人部屋は満員。

前年暮れに入院した右足アキレス腱断裂の中年男に「団長」という名がついた。左足アキレス腱断裂の若い男には「アキレス」という名がつき、ギックリ腰の壮年男性に「テレビ」という名がついた。高校時代の応援団副団長、アキレス腱が切れている者の中では一際声高で目立つ男、チャンバラと刑事物に釘づけとなっているテレビッ子である。翌日より「むしょぐらし」となり人もいやがる懲役刑が始まった。入院生活は感詩にあるような

  日高睡足猶慵起  小閤重衾不怕寒
   遺愛寺鐘欹枕聴  香炉峰雪撥簾看

などという優雅なものではない。

朝は6時に起床して掛布団をたたむ。松葉杖にすがって廊下へ並び用足しと洗顔の順をまつ。6時30分に新聞が届き天下の情勢に目を通す。7時は検温と脈拍及び用便回数調査、学校基本調査と異なりそれなりに答える。7時半にヤクルトのおばさんが野菜ジュースを売りにくる。8時朝食、8時半に牛乳売りがくる。9時換気をしながら清掃して、親切で愛敬のある掃除のおばさんとしばし談笑する。9時30分10円を支払いお湯を沸かす。11時半に昼食がでる。

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13時30分検温。体温計の目盛りを36度6分に合わせておく。14時に血管注射。
「血管を通りぬけて薬がもれてるよ。注射器を手前に引いて、そうそう。あっだめだ、血管に入ってない。ぬいてやりなおせよ。痛いって、あんたは痛くないだろう。そう、今度はいいうまく入った。」

15時30分の回診で、医師、婦長、看護婦4名がぞろぞろと入ってくる。「どうですか。」「順調です」。でも、ギブスの中はどうなっているのか誰にもわからん。

16時30分夕食。一日中で最も豪華なおかず。沢庵のほかに2品もつく。17時に夕刊が届く。酒を飲んでころび足を折ったやつは今日もいない。21時消灯、まるで小学生なみ。21時30分に宿直の看護婦が巡視にくる。「異常ありませんか」、4人が声をそろえて「ありません」。

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2-6 面会と差し入れ

外界との接触を断たれた者にとって面会ほどうれしいものはない。「おい、元気か」と二本足で入ってくる人に嫉妬を覚えるのも一瞬である。
「すまないなあ、忙しいのに。」
「ベッドの上で何やってるのよ。」
「ああ、これか。機関紙幌の原稿を書いているんだ。」
「寝てなくていいのか。」
「足の一本や二本折れたからって、おとなしく寝ていられるか。」

ここから面会者は刑事に豹変し、病室は警察の取り調べ室となる。来た人がみんな、松田優作に見えてくるから不思議。
「てめえなにやったのよ。さっさと言えば楽になるんだ。え、こら、早くハケよ。」
「右膝関節の下に、骨が二本あるんです。」
「あったりまえじゃないか。」
「後ろ側の細い骨が上のほうで斜めに折れ、前の太い骨が下の方で折れたんです。それに、太い骨の折れた少し上が半分ぐらいまでヒビが入ったんです。」
「おまえ、馬鹿じゃないのか。三カ所もなんでやったんだ。」
「酔ってたからです。」
「うそつけ。」
「うそじゃありません。飲んでたから転んだときに折れたんです。」
「いつやった。え、いつやったんだよ。」
「27日の夜。御用納めで一杯やったあとです。」
「おまえなあ、正月が来るんだよ、正月が。分かってるのか。このくそ忙しいときにふざけやがって。で、なんぼ飲んだのよ。」
「5~6合ぐらいだと思います。」
「うそつけ。それじゃ酔ってないべ。」

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刑事役を演ずる者は数十人いる。被疑者役は一人で毎日何度も同じ内容を説明し続けると、事件のあらましを印刷しておきたくなる。「わたし初めて見たんですけど、ギブスってこれですか」。珍しそうにじっとながめていると思ったら、
「失礼かしら。」
「なにが。」
「チョットさわってみても。」
「どうぞ、どうぞ。」
「いやぁ、かたい。」
という人もくる。説明はあきてもやはり楽しい。

気持ちがうれしくても、一番迷惑するのが特定品の差し入れである。天皇は日本国民の象徴であるように私は酒の権化である。一日も休まず体内にアルコールをそそぎ、軟化してゆく大脳や硬化する肝臓をなだめ、ひたすら我身を犠牲にしながら零細企業である居酒屋の生活を支え、多額の酒税を納付して恵まれぬ子供の就学援助費となす。まさに、仏陀になることを嫌い現世にとどまって衆生済度をつくす鯨飲大菩薩である。重さに耐え、雪道に足をとられながらおいでいただいた方々には大変失礼なことを申し上げるのをお許し願いたい。

私がベッドの上で白桃やミツ豆のカンズメを食べたり、バナナやクッキーを前に喜々とした顔が想像できるだろうか。どう考えても絵にならないのである。ましてやバナナが六十本、果物の缶詰が42缶も貯まると、どうしてよいやかおろおろするばかり。この経験を踏まえ、私が入院見舞いへ行く時は干物を持ってゆこう。酒のつまみになる魚貝類の干物は、男女共に食べられるし保存もきくから。

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2-7 脱走計画

学校給食がなくならない限り戦後は終わらないという考え方がある。学校給食は献立が豊富で栄養価も高い。佗びや寂を尊ぶ日本人に肉食人種や好色人種の食べ物を与え、時には丸々とした肥満児をつくりあげるのがまずいと言われる

同じように栄養計算がされていてもさびしくなるのが入院食。朝のおかずはナットか塩辛、たまに生卵である。日曜日の昼ともなれば、豆パンひとつにミカンが一個、そして黄色い泥水のようなシチューが一杯。およそ、のん兵衛たる者の食べ物ではない。

同室の団長さんとは同年輩、こうなるとすぐ意見が合う。病院や洗面所の窓から外をながめ、記憶をたどって付近の地図をつくる。主要な道路と建物を目じるしに、飲食店の名前と名物料理を書きこみ距離を計算する。危険性と発見される確立を充分調査した結果、11時から15時までは雪が溶けていて、晴れている土曜日と日曜日に看護婦はいないと判明した。

脱走は計画を立てれば実現するというほど甘いものではない。血のにじむような訓練が必要である。まず、左足の筋力を二倍に強化する。最悪の場合は全体重を支えなければならないからである。階段の手すりにつかまりながら、二階から一階へおり、一階より二階へ片足で登る。二往復すれば全身に汗が噴き出す。

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さらに松葉杖を使いこなす練習。凹凸はげしいいかなる雪道では、右足にかわって全身を支えなければ左足が骨折する。頭でも打とうものなら精神科のお世話になりかねない。目的のある苦しみはいずれ喜びに変わる。

昭和56年1月17日、土曜日13時20分。歴史に残る大安のこの日、天気腫朗なれど雪多し。二十代のアキレスを加え3名は片足に長靴をはき松葉杖をたよりに外へでた。ギブスの先に出ている足の指が、外気にふれて縮み上がる。

シャバの人々はこの一行をどのような思いでながめたであろうか。雪におおわれた細い道を、松葉杖にすがった3名の男が背の順に一列となり、牛のあゆむがごとき速さでひたすら進み行く。神々よ照覧あれ。執念の鬼と化せし人間、目的に向かい努力し続ける男子の姿を。

計算通りにたどりついた小料理屋。梅割りの焼酎で食べるホルモンのうまさ。思わず知らず十人前が胃袋へ流れ入る。「ああ、生きていてよかった」。決して誇張ではない。これが実感なのである。

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2-8 女と酒

むしょぐらしで不自由するものは女と酒である。正常な男であればだれでも美しい女性を見たり、そばにいてくれればと思うのが人情である。松坂慶子の付添いは高望みとしても、同年齢の山本陽子か十朱幸代がもそばにいてくれればと思う。

刑務所と異なり病院には女がいる。看護婦はもちろんのこと入院患者の四割は女性で、中でも3号室のマユミちゃんは美人である。骨盤複雑骨折でつい最近3度目の手術を受けた。松葉杖にすがってよろよろと歩く姿に思わず声をかける。
「だいじょうぶかい、歩いて。」
「ええ、なんとか。」
「気をつなさいよ。転んだらこんなになるぞ。」

ギブスを叩いて見せると弱々しく笑う。この子のもとへ他の病室の男が日に3度は見舞いに通う。あまり頻繁なので同室のアキレスに尋ねた。
「あの二人は夫婦か、それとも結婚する気かな。」
「じょうだんじゃないですよ。あの6号室の男は奥さんと子供が2人いるんです。それなのにベタベタして。マユミちゃんは嫌がっているんですよ。」
「あの子、いくつだ。」
「マユミちゃんですか。たしか18だと思ったんですけど。」
「へー、ずいぶんくわしいな。ひょっとすると。」
「違いますよ。」

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あまり若すぎると、女としての鑑賞対象にはならない。年齢とともに鑑賞眼は進歩するのである。
「おはようございます。」
「おへようごぜえます。」
「お元気そうですね。」
「まあまあだけんど、神経痛がやんで。」

まもなく極楽より招待状が届くという年齢では鑑賞どころでない。大多数を占めるこの年齢の方々は、羞恥心をどこかに置き忘れたのか便所の戸を閉めようとはしないし、物音に異常なほど反応をしめし、何号室のだれそれは今日何回も便所へ行った。あの人のところへは見舞客が来すぎるので、うるさくて眠れない、などなど。

入院した日に気がついたラークの杯皿とタバコ入れの持ち主は、67歳で午後6時半には消灯するというすさまじさ。ぐっすり眠るのは棺桶に入ってからでいいと思うが、若い私にはなにを楽しみに寝ているのか理解できない。

歳ごろの看護婦が脈をとりにくる。白魚のような指がそっと肌にふれる。指と指がふれ手と手がふれる。ふと見上げるとふるいつきたくなるようないい女。動くわけにはいかない。ギブスの重さに、じっとがまんの子であった。

病院は飲酒禁止である。分かっていても飲みたくなるのが人情というもの。6号室の患者が宴会を開いてつかまった。缶ビールとワンカップを持ち込んたようである。もう一度やったら強制退院させると宣告されたそうだ、と話していたら「あなた方もお酒を飲んだら強制退院させますよ」。その顔の恐ろしいこと。

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禁止されればされるほど一杯やりたくなる。こと酒に関しては百戦練磨のつわもの、だめだと言われてハイと従うほどすなおではない。高校受験にのぞむごとく一日中真剣に考えた。まず、準備期間が必要である。ベッドの足に長さ3メートルの紐の一端をしばりつける。大型ビニール袋の中に新聞紙でくるんだ缶詰や、いたみやすいおかずを入れて紐でしばり窓の外へ吊り下げる。

食事どきや看護婦がいる時に吊り上げて、中からおかずをだしながら天然冷蔵庫の効用を吹聴する。次は、酒のさかなである。氷下魚などは匂いが強いため、昼間からつまみながら看護婦がくるたびに「これに、アツカンの酒があったらなあ。」とつぶやく。そう、お菓子のごとく思い込ませるのである。

準備はできた。日本酒とウイスキーは香りが高くビンの口を開けただけで気づかれる。ましてや、胃へ入ると吐く息にまで臭いがつく。香りがないのは焼酎、それも純度の高いものほど良い。吐く息が少々臭くても焼酎がわかる看護婦はいないだろう。

もっとも注意を要するのは密告である。アルコールは声のボリュームをあげる。隣部屋のばあちゃんが眠れないから看護婦を呼ぶ。看護婦が来たら一目瞭然であり、掃除のおばさんに空ビンを見られても同様である。迅速かつ慎重に、決して笑い声や話声を聞かれることなく、かつ証拠は隠滅しなければならない。

見舞い客に手を合わせて買ってもらう焼酎は、新聞紙にくるまれて窓の外にあるビニール袋へ。9時半の巡視が終わる。ガサゴソとつま味が取り出され、冷たく冷えきった生命の水がコップにそそがれると静かな宴会の開始である。ある時は布団の中で、またある時は窓側に集まり、ニヤリとしながらチビリ。うまくいった、チビリ。明日もやろう、チビリチビリ。廊下をだれか通る。だいじょうぶ便所へ行ったぞ、看護婦じゃない。空ビンは新聞紙にくるみ翌日来た見舞い客に捨ててもらう。かくして完全犯罪は成立する。

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2-9 刑期満了か仮出所

その日はおそらく晴れていることだろう。前夜降り積もった新雪は汚れきった残雪を覆い、喜びに目を輝かせた妻が迎えに来る。無事に刑期を努めあげた私は、「二度と帰ってくるなよ。」という看守の声に送られて、住みなれた獄舎をあとにするた。両手を広げてシャバの空気を広げ胸いっぱいに吸い込み、おそるおそる右足を踏みだすだろう。

歩ける。歩ける。自分の足で歩ける。両足で歩くという単純なことがこれほどすばらしいものであろうか。これほどありがたいことだろうか。この小文が目にふれるとき、感謝の気持ちを胸にひめながらきっと私は歩いているだろう。

みなさん 母ちゃん 許してね  迷惑かけると 知りながら
 犯した罪の つぐないに  今後は飲んでも ころびません。

この物語はフィクションであり、登場した骨折の事実以外は実在するものとまったく関係ありません。(1981年昭和55年11月作)

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3 .完走認定第148位

  その一

道路を痛めるのが嫌いだから別府マラソンや札幌マラソンに参加したことはない。タバコで山火事を起こしてはとオリエンテーリングも参加しない。ひたすら家に閉じこもり、病気になったら健康に良いというジョギングでもしようかと考えている。これほど不精な私がフルマラソンに初挑戦し、見事「完走認定証」をいただいた。

研修会終了後の宴会で、二次会の会場選定に悩む厚生部長の高橋君へ3千円で飲めるスナックの名刺を渡したのがフルマラソン出場のきっかけである。電話で誘われたのは一週間ほど前のことであった。

「10月16日の夜、空いていますか」。今のところ、予定はないけど。「実は、白石区商工会議所主催でドリンクテーリングがあるんですけど」。ああ、聞いている。「やっぱり。申し込んだんですか。まだ。一緒に行きませんか」。いくらかかるの。「3千円会費で7軒回るんです。ぼく立替ておきますから当日持ってきてください」。もう逃げられない。

その日は朝から素晴らしい秋晴れだった。午前9時にリヤカーをひっぱりだしてグランドへ向かい、西側のフェンス添いに水仙の球根を植えた。スコップで細い溝を切り、白・黄・八重咲き・黄・白の順序で間を置かずに約100メートル。来年はきっと見事に咲くはずである。

文書の受付を終わってから北側の花壇を堀り起こす。配色を一応気にしながら、かならず咲いてくれよと祈りつつ植え続けたのが5百余球のチューリップ。円山公園管理事務所提供といえばカッコイイが、処分に苦慮した球根の末路である。作業が終わったのが午後3時。

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  その二

北方圏の秋はつるべ落とし。10月ともなればかなり冷えこみ、昼は17度でも夜は3三度となる。6時半に高橋君が現れた。胴職種の奥さん同伴は良いとしても2人の子どもをつれている。そのうち1人は乳母車の中で寝息をたてていた。子どもの成長に欠かせないものは栄養と睡眠にきれいな空気であるという。氷点下10度までは乳母車に入れたままで乳児を表に出しておく北欧の生活を見習ったらしい。研修の素晴らしい実践である。

続いて現れたのは小林君と甲斐君、三浦君と原田君、いずれ劣らぬ一流の飲んべ達である。そこへNHKのテレビカメラもやってきた。

午後7時、頭にはドリンクテーリングと染め抜いたハチマキをしめ花火を合図に一斉のスタートをきる。短時間で周り賞品をせしめようと走る者。会費分だけ飲めれば良いと歩く者。どの店へ行こうかと地図をながめて思案する者。やっぱりお酒のある所にいるんですね、といった三浦君は先生方とどこかへ消えた。

高橋君は同年代の鈴木先生とホンコンへ消え、他の四人は一組で飲み歩くことにした。地図はA/B/Cの三ブロックに分けられている。各ブロックの指定店は1軒。任意選択はAのみが2軒でB・Cが各1軒である。

パブスナックで水割りを一杯飲み来店証明の印をもらう。同じビルの地下にあるパブスナックでも水割りを飲んで来店証明の印をもらった。この印をもらうのがルールである。2時間半以内に7店舗から印をもらいゴールしなければならない。Aブロックの指定店であるお寿司屋へ入ると入口付近が2席空いていた。小林君と甲斐君が並んで腰掛けたがなかなか寿司が出てこない。板前の前にいた客が立ち上がった瞬間しめたとばかりに原田君と腰掛けた。

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一人で握るのは大変だね、何人前用意したの。一応30人前は用意したんですが何人くるのか分かりません。汗をかきながら握っている寿司が10個になったのを確かめてさっと手前へ置く。手近なものから口へほりこむとなんとそれはトロだった。エビにホタテ、イカと白見の魚があり1人5個までがノルマである。

食べ終わって席を立っと、先に座った2人は悠然とお茶を味わっている。「行くぞ。」「まだ、僕達食べていないすよ」。甲斐君が口を突がらせている。「おーい、板さん。ここの2人先に来てるんだ。頼むからすぐ握ってくれ」。板前の前へ立ってせかせ出来上ったのをさっと運ぶ。食べ始めたのをのぞきこむとマグロの赤身とイカばかり。思わず原田君と顔を見合わせた。

今度はビールを飲みたいすね。甲斐君の要望を尊重してBコー居酒屋れいちゃんの入口ス指定店の居酒店「れいちゃん」へ。中ジョッキーで乾杯するとおかみが挨拶にやってきた。「開店したばかりで素人なものですから気が付きませんけど、今後ともよろしくお願いいたします。今日おいでになった方に食べていただこうと思って、エビのサシミを用意したんですけどみなさん忙しそうでどなたも。」「サービスかい。食べる食べる、持ってきて」。小上がりで飲んでいると卵付きの甘エビがなんと20匹程出てきた。ラッキー。

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  その三

つぎも寿司屋へ行きませんか。トロに味をしめた原田君の言葉にマグロの赤身を食べた2人は賛成した。寿司店の小上がりで中ジョッキー2杯と寿司2人前。コップを2個貸してもらったがトロはお目にかかれない。エイズの予防だけで終わったようだ。

いよいよ最終のCコース。指定店はそば処である。寿司屋の1人前が5個だったからとたかをくくっていたら、なんとザルソバが正規の1人前。かわいそうなのは小林君。悪酔い防止のため事前にザルソバを食べていた。無理やり胃袋へ押し込んでいたが、顔色を変えないところはさすが一流。

腹はきつくなり誰れもが疲れてきた。最終だから少々ゆっくりしようとスナックへ入るとママが挨拶に来て、本日付け採用という女の子を紹介された。ノルマは一杯だけという水割りをなめていたらカラオケを勧められた。甲斐君が代表になったがなかなか順番がまわってこない。ウイスキーは残り少なくなるしイライラしてくる。隣りに座った女の子に順番の催促をしたら、カウンターの中からボトルを持ってきた。なにを間違えたか次々とついでくれる。

どうする。高くつくぞ。むこうが出したんだ、なんとかなるべ。こうなったらどうでも良いと腹をすえて飲みだした。ママにカラオケ代は2百円と請求され、甲斐君は気持ちよくついでくれた女の子とデュエットした。

さて、帰るか。といったら、歌い終わった女の子が、「もう一杯つくりますから飲んでいってください。」「どうする。まあ、いいか」。乾杯すると女の子はママに呼ばれて店の隅へとつれて行かれた。なにやらひそひそはなしている。可愛そうにきっと怒られているのだろう。帰りに請求書はこなかった。

ゴールへ入ったのは午後8時半、辺りは真っ暗である。制限時間2時間半のところを1時間半でまわったが、賞品をもらえるような順位ではない。こうして400人以上が参加したフルマラソンは無事終わった。

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  完走認定証  第148位

あなたは、白石区夜の街ドリンクテーリング大会に果敢にも参加され、痛飲、暴食の上、肌寒い夜の街をさま酔い歩き、強い信念をもって途中脱落もせず無事ゴール致しました。ここに願書の成績にて完走したことを認定いたします。

  昭和62年10月16日       札幌商工会議所中小企業相談所白石支所

来年も同様の催しがあると聞く。さらに各地へも広がるだろう。そのときはみんなで参加しよう。今日も規則正しく飲みながら、この小文が研修テキストになるよう祈りつつ。(1988年昭和62年11月作)

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4 いまだから笑いばなし

「お父さん、あの娘が結婚したら冬は歩いて買い物に行かなければならないわ。夏だって雨の日の自転車は無理でしょ。朝市にもそんなに行けなくなるわねえ」。

新婚時代から食料品の買い出しに付き合い、商品の多い店はかならずのぞいて歩いた。「デパートは地下一階と二階しかないと思ってるんでしょ。」「馬鹿いえ、最上階で物産展をやってるだろう。」と云うぐらいだから、他の階へ足を踏み入れたことはほとんどない。

デパートよりスーパーマーケットは商品の種類が多いから好きだ。珍しいものや口にしたことがないものが溢れ、値段もてごろ。もちろん、活気にあふれている市場も好きだ。お勧めはスーパーマーケットの朝市。日曜日になると午前6時からそわそわし、早すぎると云われても商品が並び始める前からながめている。

旬のときには生きたイカがいる、刺し身にできる鰯がいる。生とうもろこしのゆでる臭いや焼ける香り、揚げたてのかまぼこの臭いや牛肉の甘ったるい香りがただよい、酒類が投げ売りされていることもある。だから朝市はいい。なのに、寂しいことを妻が云うう。

どおして朝市へ行けなくなるんだ。「あの娘、車を持っていくのよ」。新しいのを買うんじゃないのか。「しばらくあの車で我慢するって。だから朝市はあきらめるのね。冬になったら前のように荷物を持って歩きましょう」。冗談じゃない、もうそんなに若くないんだ。「しかたがないでしょう、車がなくなるんだから」。おまえ免許持ってるんだろ。買えよ、くるま。

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妻と娘がカタログを集めて比較し始めた日、近くの駐車場に止まっている車を思い出した。パジェロミニって、軽自動車なのか。「そうよ。いいんだけどあれ高いから」。お父さんも免許を取ったらと家族に勧められたが、そんなことをしたら零細企業の居酒屋はどうなる。飲み屋に勤務する方々の生活をどうする。何軒もの店が営業不振となり、保証を求めて一揆が起きるかもしれない。

様々な軽自動車に乗せていただいたことがあるが、ダンプカーやバスが横に止まると恐怖感をおぼえる。乗せてもらった車より相手のタイヤのほうが大きい。トラックの後ろの空間が口を開けて呼んでいるような錯覚をおぼえる。軽自動車でもいいが、薄い鉄板で軽金属製だから棺桶と悪口をたたかれているので低いのはごめんである。

展示会の案内状が届き、試乗させてもらうと座高のある者には気分がいい。まるで足が伸びたように普通車が眼下にみえ、それだけに見晴らしが購入したパジェロミニよく視界が広い。もう一声、切りよく負けろで契約が成立した。これでまた、温泉にいけるなあ。「そんなに行きたいの」。おまえも好きだろう。北村温泉にもユンニの湯へも入れるか。「あんたはビールを飲むだけで、運転はわたしにさせるつもり」。

自動車学校の門を叩いたのは4月の中旬である。「初めてですか。これまで免許を取られたことはないんですね。本当に初めてなんですね」と何度も確認する。オートマチック車ですが、この歳でも大丈夫でしょうか。「エコノミーコースをお勧めします。法定技能教習は31時間ですが12時間をプラスして、更に12時間サービスいたします」。たった55時間で免許を取れるんですか。「ほかに学科教習が36時間ありますし、技能が未熟の場合は教官の指示に従って追加の有料教習を受けていただきます」。91時間か、ずいぶん長いなあ。「仮免許の学科試験と終了検定、卒業検定と公安委員会の学科試験に受かれば運転免許証が交付されます」。普通の人で何日ぐらいかかるの。「そうですね、まじめな方で2ヶ月位でしょうか。よろしければ、会計の窓口で34万円を納入してください」。ちらっと、飲み屋のオヤジの顔が浮かんだ。

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指定された入学日は4月20日土曜日。午後2時から適性検査、3時から受講方法と注意事項の説明。そして学科教習が4時間もある。翌日は2時間の学科教習ののち、技能教習が1時間。

指定された車のそばに立っていると、むすっとした教官があらわれた。よろしくお願いいたします。「はい。運転席に乗ってください」。ドアをロックしてシートベルトを閉めると、「では、車を走らせてください」。どうやるんですか、50代をからかってどうする。少々不機嫌なつらをしたら、「運転されるのは本当に初めてなんですね」。

25日午後6時。そこかしこの赤ちょうちんにあかりがともるころ、技能コースに並んでいたマツダのカペラを動かした。視野が狭い。タイヤが見えない。速度が早過ぎる。自転車の感覚とはまるでちがう。

身体が道路中央にくるようにハンドルを軽く握って、アクセルはそおっと踏んでください。右側の対向車線を走行する教習車には十分注意し、ブレーキは急に踏むと危険です。カーブは膨らみすぎないように、つぎのカーブは後輪が側溝に落ちないように気をつけます。ルームミラーで後方を確認し、サイドミラーで左右を確認して、死角は直接目で確認します。曲がる方向の35メートル手前にきたらウインカーで合図をし、信号が赤なら停止線の前で停車します。一時停止標識があるときは交差点の手前でかならず止まり、見通しの悪い交差点は徐行してください。頭は理解できても身体へは伝わらない。

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待合室や教室で周囲を見回すと教修生のなかでは最高齢者。セクハラの恐れがないと安心したのか40代のお姉さま方が声をかける。「運転したんですか、どうでした」。初体験は本当に疲れますよ。「あらそう。そうかしら」。あなたはどうでした。「わたしの初体験ですか」。さっき運転されたんでしょ。「んもう、頭にくるんだからあの教官」。

服装からスナック務めと推定できる女性の吐き出すような言葉に、アクセサリーを真珠で統一した同期の丸ポチャが慰める。「一生懸命やってるのにねえ。夕べの教官と同じ人なの。」「そおなのよ。何回云えばわかるんだ。こんなこと、一度で覚えれないでどうする、だって。」「わたしもなかなか覚えられないわ。怒られればからだが硬くなって、おんなじところで間違えるのよねえ。」「あんな教官、校長に云ったら取り換えてくれないかしら」。

お姉さま方の大きな声に私もつい一言。怒るのはあなたを大事にしているからさ。大金を払って免許を取っても、基礎が身についてなければ事故で怪我をしたり、運が悪ければ事故死するかもしれない。たとえ嫌われても、基礎を確実に身につけさせればほとんどの事故は避けられる。そう思うから怒鳴るんだよ。そういう人がいい教官さ。「頭が悪いって馬鹿にしてるんじゃないの」。俺の頭は髪の毛が減ってハゲてるの。「いや、もう」。授業がなければ飲みに行くぞ。嫌なことは忘れて明日はきちんと出来るようになろう。

居酒屋に久しぶりの仲間が集合した。「本当に免許取るんですか」。先月末から緊張感を楽しんでるよ。「しばらく飲めなくなりますねえ。今日はサボタージュですか」。まさか、学校が休みなの。「昨年の研究発表を受けて生涯学習に挑戦ですね」。いいこと云うね。さすが局長。「技能は落ちて当たり前ですけど、学科で落ちたらかならず連絡してください」。どうするの。「学科で落ちたらニュースですよ、会長が落ちたと号外をだします」。

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指導原簿を受け取って「模擬テストは3回以上合格が条件ですが、7回全部受けたんですね。」と技能教官。学科試験に落ちると仲間のニュースになりますし、数多くやれば少しは覚えると思って。「検定を受けるのは明後日にしますか」。冗談じゃありませんよ。あと3~4時間は練習させてください、この程度じゃ危なくって。「ご自分で延長するんですか。じゃ、来々週の月曜日に仮免許の実技検定を申し込んでください」。

練習コースを廻り終えて車を降りると担当外の教官が近づいてくる。習ったことがない教官がはなしかけてくる。「ずいぶん上達しましたねえ」。まだまだ、きちんとできません。「大丈夫。さっき後ろについて見てましたがじょうずですよ」。そんな。いつになったらおそわった通りにできるようになれるかなあ。「心配ありませんよ。年齢のわりにはうまいほうです」。ほめられすぎると素人でも不思議に思う。他の教習生のはなしでは、どうも文句が多いお姉さま担当の教官方らしい。

快晴の5月13日に集合した受験生は16人。検定官を助手席に、最初に検定をうけた女性を後部座席にのせて発車。外周を巡って障害物をよけ、右折して交差点で信号待ちのあと左折して逆方向の外周をまわる。直線でスピードを出さなければとアクセルを踏んだ途端、検定官が急ブレーキをかけた。

「検定を中止します。見通しの悪い交差点での徐行義務違反。スタート地点へ戻ってください」。大きなため息がもれた途端、「きちんとアクセルを踏んで下さいね。クリープ現象だけで動いても運転してるとは云えませんよ」。バックで後輪を溝に落とした女性と落ちたのはわたしだけ。

二度目でもらった仮免許証を胸に路上教習はラッシュアワーの午後6時。30キロ制限道路で信号をまち、南郷通へでると路上駐車の自家用車がある。ウインカーで合図をしてから中央車線へで、再びもとの車線へ戻ろうとしたとき周囲は車に囲まれていた。

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ブレーキを踏んだらだめですよ。ウインカーの合図を戻して。バックミラーで後ろの車との間隔と、フェンダーミラーで左右の車との間隔を確かめて。前の車にそれいじょう近づかない。原動機付自転車とバイクに注意して。そのまま走って。

南郷通から新札幌の巨大ホテル前を通過して12号線へ抜け、環状線へ入って路地から学校へ戻るというコース。教官は命がけの路上教習を終えてホットし、わたしには解けないナゾが残った。ルームミラーとサイドミラーはわかるが、バックミラーとフェンダーミラーはどこにあるんだ。

人身事故で救急車を呼んでも現場到着までに6分程かかり、多くの場合、到着したときはすでに手遅れの状態が多いという。人は呼吸が止まっても4分以内に正しい処置をすれば助かることが分かってきた。

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出血があると仮定し、自らの身体を使いその個所毎に適した止血法の習得。続いて、性別不明の人形を仰向けにして気道を確保し、マウスから肺へ息を吹き込んで胸の膨らみを見ながら息の量を調節する。胸郭に両手をあてて心臓を15回圧迫し、頚動脈で鼓動の有無をたしかめる。最低でも救急車到着までは続け、心臓が動きだしたら安全体位にしなさい。教室の窓を開け放しても、3時間連続の実技講習はひたいから汗がしたたり落ちる。

ついに、娘が嫁いだ。「女の子が生まれたから家名断絶だ。」と笑っていたら本当にそうなった。伊達正宗公の旗本にして仙台藩は青葉城勤務。千二百石二人扶持を賜り、馬廻り役を拝命した栄光は遠い過去。養子を迎えてまでも存続させた家系は断絶の憂き目をみた。祖先の御霊よお許しあれ、乗馬経験もないわたしが車の運転に挑戦する時代なのだ。

お姉さま方が来ていない日に、教官に叱られてシュンとしていた女子教習生。エンスト常習者というので、酒でも飲んで忘れろと人情屋台へさそった。2時間の技能教習ののち卒業検定を受ければ、あとは公安委員会の学科試験だけ。父親が庭をつぶして駐車場をつくり日産車のマーチが来週届きます。入学したのは私より一ヶ月早く、昨日26才になったばかりという。娘のような年頃なので飲み代はいいと云ったのに、学校に事務職員なんかいましたか。公務員は仕事が楽で休みが取れるし、給料が高くていいですね。

卒業検定コースは、中央バスの南郷営業所横小路から白石郵便局までの2キロ区間。車の数が多いのはソーラン祭り本祭のせい。交通規制で渋滞中に12号線の手前にトラックが駐車し、前後に車が連なり左右にもいる。はやく左折しなければと思っているのに信号が赤になった。左後方の車がウインカーで右へ行きたいと合図している。少々スピードをあげてトラックに横付けする。左の車は後ろに割り込み文句はこない。ホットすると、トラックの運転手がやってきた。横向きになって通れるすきましか開いていない。

信号の色が変わった。アクセルを踏むと「どこへいくの」と検定官。ウインカーの合図を忘れ、トラックのまえへ半分でてしまった。ウインカーをつけ、歩行者がいないからそのまま左折しちゃえ。検定官の鉛筆が動いている。

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白石郵便局で後ろに乗っていた女性と交代した。ドアをロックして座席とルームミラーの位置を合わせ、シートベルトをしめてチェンジレバーを握った。「えっ。どうして動かないの。どうして入らないの。えっ、どうして。どおして動かないんですか」。検定官いわく「エンジンをかけなさいよ。真面目にやってほしいなあ」。

この日の受験生は21名。検定が終わっても全員がそろうまで表で待っている。検定車から降りると受験生が近寄り、「うまくいきましたか。道路は混んでいましたか。」と声をかけてきた。だめだろうなあ。渋滞のなかを12号線で左折さ。ウインカーをつけ忘れたし、かなり無理したから。「その程度なら大丈夫でしょう。さっきなんか、すぐそこで検定中止ですよ」。

校舎前をスタートすると40メートルでT字の交差点がある。左に一時停止の標識が、路上には停止線が引かれている。ここを右折すると200メートルで南郷通へでる。T字型交差点のところにガードマンが2人立ち、アスファルトをはがす道路工事が行なわれていた。

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「20分前ですよ、工事が始まったの。5番目の人が交差点のそばまで行くと、ガードマンが早く右折すれと手で合図してるんです。交差点を曲がった途端にブレーキですよ、一時停止義務違反で検定中止。こんなことってあります。ひどいじゃないですか」。

安全確認は人を信じず自分でするものとはなしていたら、公務員は仕事が楽だといった女子教習生が助手席に乗せられて戻ってきた。どうしたんだ、あの娘。「あれは危険行為で検定中止ですよ。信号無視か歩行者を無視したんでしょう」。新車の納品は明日だ、と云ってたのになあ。「当分だめでしょうねえ、卒業は」。

通学日数35日と飲酒欠席3日を要して在籍日数は50日。公安委員会の学科試験に合格し、晴れて運転免許証を手にしたのは6月10日。授業料が10万円戻ってきたとオートマチック車の限定免許証をみせたら、居酒屋のオヤジさんが豪華な刺し身をサービスしてくださった。

翌日から主体的練習に挑戦し、午後9時に就寝して午前4時に起床する品行方正さ。午前様常習犯ですすきのから直接出勤したり、自転車で帰宅途中に呼び止めた警察官に「おれは大丈夫だ、電柱が近寄ってくるので取り締まれ。」と注意したことも、いまだから笑いばなし。(1997年平成8年11月作)

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5 意固地

いまは昔。行き交う電車の音が絶えない中央村の片隅に、還暦に3つか4つ足りない男がおりました。若いころから一筋になる癖があり、年齢とともに意固地に変わってゆく様を憂いながら、どうすれば良い方向へ向けることができるかと悩んでおりました。

ある日のこと、文書の透き間に脳ドックのチラシを見かけました。無症候性脳梗塞を発見して脳梗塞への進行を防止し、痴ほうを早期に発見して重症化を防ぐためにもぜひ検診を、とあります。

脳梗塞なら迷惑をかけないうちに死ねそうでも、痴ほう症にだけはなりたくないと男は考えました。脳ドックへ入れば学生時代に勉強しなかった事が分かってしまうでしょう。分数の計算を間違えたり、英語の単語をほとんど覚えていない事などを全部知られてしまうでしょう。

最近もの忘れが多くなってきました。顔を見ても、名前を思い出せないときがありました。悪いところを発見して治してもらい、そのうえ重症化するのを防ぐことができるのなら早いほうが良い、と男は結論をだしました。

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パンツ一枚に白衣を着た姿で部屋に招き入れられた男は、下半分が床下に埋まっている巨大な鉛筆削り機のような装置を見ました。高さは3メートル、幅は4メートルほどもありながら、正面は金属の板が張り付けられた壁のようになって何もついていません。中央に開いている細長い穴の奥行きは2メートル以上もあり、まるで事務机の引き出しのように、接続された寝台を押し入れるような構造になっています。

台の上にあお向けになりますと、男の足と胴は革のベルトで固定されました。枠の中に入ったような頭の左右には、耳がつぶれそうになるまで布を詰められます。両手が自由とはいえ目隠しをされますと何もできません。

あなたの場合は、普通の人が2日かかる検査を1日でしなければなりません。検査中は耳元で金属製の音が聞こえますが、頭は絶対に動かさないでください。少々つらいでしょうが、一時間ほどですみますから我慢してください。

3~4人が固定部分を持ち上げますと、寝台はレールの上を滑るように動きだして装置の中へ消えました。筒の中央では人声も音楽も聞こえません。時折、金属の塊を金属製の棒でたたくような、カンカンカンという音が高く低く響きます。寝返りをうつことも許されず五感はまったく役にたちません。

ゆったり流れる時間を何に使おうか、男はできることがないかを考えました。脳の検査中でも、脳の動きまでは測定しないでしょう。むしろ、規則正しいパルスを出したほうが検査に役立つかもしれません。男は声を出さずに演歌の練習を始めました。この辺は情感を込めてというところにくると金属製の騒音が調子を狂わせます。突然、担当技士の声が聞こえました。「眠らないでください。眠ると頭が動きますから起きていてください。」

MRI検査に続いて、母音のみを消す筆記試験と童話を3分間眺めてから質問に答え、血液を抜かれて半日が費えました。「検査の結果は後日になりますから受付で予約をしてお帰りください。ご苦労様でした」。今日は伺えないんですか。「血液検査の結果が出るまで2~3日かかりますから、ご都合の良い日を予約してください。電話でも受付していますよ」。

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初めて受けた検査ですから結果はだれもが気になります。男は2週間分の行事予定を調べてから、電話で予約日を申し出ました。検査の結果は院長先生が直接お話しすることになっています。担当者の言葉に高額な検査費用の内訳が理解できたような気がしました。しかし、その日は手術が入っていますし、他の日は会議があります。ご都合の良い日をというのは病院のためにあるのですか、と男の意固地の虫が騒ぎ始めました。

行事や会議が立て込んでいますので、簡単に休みを取るわけにはまいりません。3万円もの現金を支払ったのにお客様は神様ですとは言いませんし、結果は文書でとお願いしても断られます。どうしてもお互いの都合が一致する日時を見つけられません。気が向きましたら電話しますと男は意固地になってしまいました。

そんなとき、人間ドックの受診希望を聞かれた男は結果がその日のうちに分かるというのが魅力で申し込みました。見知らぬ人たちと早朝から数々の検査を受け、正午には食事の補助券に300円を添えてステーキ定食をいただきました。健診センターは営利を目的としていませんが、職員の指示や案内はテキパキとして実に気持ちよく、オー・ノーと叫びたくなるほど待たされた脳ドックとは大違いです。そのうえ、無料のサウナぶろで身も心もゆったりとした気分に浸り、読書をしながら面接時間を待ちました。

「あなたのベスト体重は61キロですから、77.5五キロは少し太り気味ですね。胆のうにポリープがあるようですし、胆のうが部分的に肥圧で腺筋症の疑いがあります。10年前の検査でも胆のうポリープの疑いと指摘されていましたが、精密検査を受けられましたか。いけませんねえ。では、のちほど専門医をご紹介いたします。

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コレステロール値は少々高いですね。脂肪の多い肉、卵やバター、洋菓子などを減らしてください。善玉コレステロールが少なすぎますよ。たばこや甘いものを減らし、軽い運動を週に2~3回行ってください。血糖値も高いですねえ。甘いもの、油もの、アルコール類を控えて運動を心がけ、近いうちに専門医を受診してください。血清脂質にも異状が認められます。これも病院で受診されるようお勧めします。

中性脂肪が標準値の6倍もあり、これは大変な異常値です。アルコール類や菓子、甘い果物や油ものを減らし、野菜類と海藻を増やしてください。尿酸も高い値いですね。アルコール類を減らし、肉、レバー、魚、貝類を食べすぎないように注意してください。それに、体部小湾壁が硬化して胃潰瘍の疑いがあります。すぐ精密検査を受けてください」。

また、胃潰瘍ですか。いつものことなんです。最近は少々苛々していたものですから神経が休まれば治ります。「胃潰瘍を軽く考えていますと危険ですよ。とにかく、胆のうポリープの専門医をご紹介しますから、ただちに精密検査を受けてください」。

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ずいぶん悪いところが見つかりましたが、タダのような昼食と無料のサウナは気に入りました。意固地は陰を潜めて、男は幸せな気分にひたっておりました。

「健診センターからの依頼は胆のうと血液の精密検査ですね」。血液検査はいいですよ、4日前に検査したばかりですから変化はありません。「センターの指示もあり、報告書を作成しなければなりませんから隣の部屋で採血します。呼ばれるまで待合室でお待ちください。

空腹に堪えながら、30分もの時間をかけた胆のうのエコー検査が終了しますと採血があり、北大から出向した医師は4日後に来るよう指示しました。「胆のうポリープに変化は認められませんので、このままでも心配いりません。腺筋症についてあらゆる角度から検査しましたが、その疑いはありませんから安心してください。胆のうについて、現在は心配いりませんが、年に一度は検査をされるようお勧めします。

問題なのは血液検査の結果です。中性脂肪は健康な人の6倍ですよ。身体全体がだるいとか、手足の先が痛いとか、なにか自覚症状はありませんか」。別にありません。すべては酒の影響でしょうね。

「このままの状態では、動脈硬化や脳梗塞で65歳までは持ちませんよ。お酒はお好きのようですが一度にどれほど飲まれます」。日本酒に換算して一日平均5~6合程度です。歳とともに年々量は減ってきていますけど。「週、何日ぐらい開けてますか」。そうですね364日、毎日規則正しく飲んでます。成人病検診の前日だけですね、休むのは。「それに、ちょっと太り過ぎですねえ。お酒はカロリーが高いんですよ」。

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「どうです、お酒をやめませんか。止められなくても、十分の一以下に減らしてみませんか。こんなことを言っても、無理ですよねぇ。いろんな患者さんに言いましたけど、どなたも聞いてくれません」。

飲んべえの気持ちがあんたに分かるかと口から出そうになり、男はその言葉を飲み込みました。カルテを見ている医師の背中に言い知れぬ寂しさが漂っています。三十代中ほどの若さでしょうか、仕事柄多くの人の死を見つめてきたことでしょう。酒で命をなくした患者さんを最近担当したのかもしれません。聞いてくれませんという言葉の響きにまじめな医師の苦悩が感じとれたのです。

無理ですよねぇって、だれに言ってるんだ。一日に80本以上も吸っていたタバコでさえ7年前にやめたんだ。いいだろう、お酒は36年間ものみ続けてきたんだ。上等だよ、あんたを喜ばしてやろうじゃないか。男は待ち望んでいたかのように意地をはろうとしました。そして、無理ですよねぇ、という言葉に意固地になろうとしました。プライドを傷つけられてカチンときたことにしようと心に決めたのです。

病院の帰り道、男は動脈硬化や脳梗塞で65歳までは持ちませんよと云った医師の言葉を思い出しました。脳ドックの結果はどうだったのでしょう。土曜日にお出でいただければ院長がおりますからと、ついに日時が一致しました。

まゆ毛とまゆ毛の間の脳側に未破裂の動脈瘤があります。これが破裂するとくも膜下出血となって脳内に広がり、下手すれば70%以上は死亡するという恐ろしいものです。動脈瘤内に血液が流れ込んでいなければその恐れはありませんが、万一流れ込んでいたら動脈との境目をクリップしなければ危険です。三次元CT血管造影検査で確かめて見ましょう。

いまだ破裂していない動脈瘤で悪かったね、破裂していればあんたは儲かったろうになどと意固地になっている場合じゃありません。男は頭蓋をはずす手術が必要になるかもしれないと覚悟しました。脳に手を加えられて、元へ戻らぬまま退職された先生を知っていますし、手遅れでしたで済まされることもある世界と聞いていました。手術が成功する保証はありませんから、こんなことになるならもう少し飲んでおけば良かったと男は後悔していました。

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全身を駆け巡る造影剤の早さと熱さに驚いた数日後、動脈をつなぐ血管が背後にあったため、それが焦点ぼけで動脈瘤に見えたようです。心配いりません。すべての血管は正常で問題となるような部分はありません。今後とも食生活に注意され、生活習慣を改善されて脳卒中を予防してください。

胆のう検査の一ヶ月後。再び血液検査の結果を聞きに訪れた男は、医師に解決してもらいたい重要な問題を抱えていました。北大から出向した医師が話しかけながらカルテを開きます。

「その後どうですか。自覚症状や変わりは、どうしました、こ、これは」。数値を下げろと云われたのは先生ですよ。「コレステロールも、血清脂質も、尿酸も、中性脂肪もみんな正常範囲に入ってます、どうしたんですか」。先生がおっしゃったように軽い運動とアルコールの減量ですよ。毎朝30分ほど速足であるき、ビールを週3缶にしましたが、今は週に一缶飲むぐらいです。酒も焼酎もウイスキーもこの一カ月間飲んでいません。体重はちょうど5キロ減りました。

「驚いたなぁ。言ったことを守ってくれたんですね」。ちょっと意固地になってみただけですよ。今度は先生が何とかしてください。通い慣れた居酒屋は潰れそうで、ズボンはみんなダブダブです。(1998年平成9年11月作)

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6 パソコンの殺し方教えます

顔色をうかがいながら恐る恐る人差し指を動かすあなた。誰かがついていなければ冷や汗を流しながらおろおろしているあなた。自分にはできないと無理やり思い込もうとしているあなた。それなのに、世の中の進歩から取り残されないともがいているあなた。

なにを恐れているのですか。あなたがさわればパソコン(パーソナル・コンピュータの略)が病気になるとでも思っているのですか。

私がパソコンにさわったのは52歳になってからです。自慢になりませんが、それまでコンピュータと言われるものに触れたことはありません。ですから、アップル社のマッキントッシュを購入した当時は、「恐る恐る電源スイッチを押すとポワーンという音をたててパソコンが目覚めた。明るくなった画面に様々なものが現れ全体がグレーになると画面は静止した。リンゴのマークやゴミ箱の絵を眺めていたがパソコンはなにもいわない。心が通じ合えるまでには少々かかるだろうと説明書を開いて手順を確かめながら電源を落とした。ふ~と、息がもれる。」という状態でした。

壊したらどうしよう、どうしようもなくなったらどうしようかと、わけのわからないことばかりを考えてしばらくはおどおどしていました。そうでしょう、いまのあなたと同じですね。

様々な経験を重ねて4年後、世界中の八割の人々がそうしているように私も部品を購入してパソコンを組み立てました。重要部分には一流メーカー品を選び、夢を実現するために必要な部品を組み込み、大容量の記憶装置を導入しても自作した二代目のパソコンっとも使いやすいと思う入力装置をそろえました。メーカー品に勝るとも劣らない、世界にたった一つしかないパソコンを使うようになって一年半が過ぎました。

なぜ、人はパソコンを恐れるのでしょう。使い道がわからない、説明している言葉が理解できない、数十万円もする高価な機器。だから、壊したらどうしようというのが本音でしょうね。

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6-1 パソコンの用途

ワープロ(ワードプロセッサの略)は文章を作成するための専用機で、ゲーム機はゲームを楽しむための専用機です。どちららもコンピュータの仲間ですが、ゲーム機はゲーム以外のことはできません。ワープロは内蔵されている文章作成ソフトを性能の良いものに交換することができません。

コンピュータは、様々な情報を処理し、希望する様式で画面に表示したり、印刷の準備をすることができる機器です。コンピュータを利用する目的は、情報を入力したり蓄積したりすることではなく、情報を必要なときに提供することです。コンピュータに情報を処理させるには、その手続きや仕事の内容を指示しなければなりません。それにはソフトウエア(以下「ソフト」と略す。)やプログラムなどが必要になります。

パソコンの用途はあなたが決めます。遠慮はいりません、あなたの役に立つために生まれた道具です。文章を作成するのでしたらワープロソフト、給料計算をするなら表計算ソフトが必要です。備品を管理するならデータベースソフトでしょう。

校章などの簡単な図形を描くならドローソフト、イラストを描くならペイントソフトを導入します。コンピュータ、ソフトがなければ只の箱と言われるとおり、あなたの用途に合ったソフトを購入し、パソコンへインストール(組み込み記憶)しなければ何もできないのです。そうです、あなたまかせの機器なのです。

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6-2 用語が難しい

みんなが怒っています。コンピュータは、生まれも育ちもアメリカですから英語の名詞が多いのです。そういうもんだと思いましょう。用語辞典は必要です。

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6-3 かなり高価な機器

ずいぶん安くなりました。パソコンは、本体、ディスプレイ、キーボード、マウスで一組です。印刷する場合はプリンタが必要です。

ブランド嗜好がなければ単品でそろえることもできます。マウスやキーボードは2千円前後からあります。プリンタも2万円前後で購入できます。ディスプレイはテレビみたいなものですが、小さな文字をくっきり映し出すことができる高性能ブラウン管を使用するため、17インチで3~4万円と高くなります。本体が一番高価ですが、部品を集めて安く作ることもできます。

パソコンは八種類の基本部品で作られています。電源部と冷却ファンのついたケースに命令伝達の役割を受け持つマザーボードを固定します。これに、頭脳の役割を受け持つセントラル・プロセッシング・ユニット(略称はCPU)と、一時的記憶装置のメモリと、文字や写真をディスプレイ(モニタとも言います。)に表示させるビデオカードを差し込みます。ハード・ディスク・ドライブ(略称はHDD)、フロピィ・ディスク・ドライブ(略称はFDD)、シー・デー・ディスク・ドライブ(略称はCDD)という三種類の駆動装置をケースに取り付け、配線は専用のプラグを差し込みます。

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パソコンの組み立ては簡単です。パソコンの細かい部品は用途毎に、音に関する部品はサウンドカード、画面表示に関する部品はグラフィックカード、インターネットへの接続はモデムカードと呼ばれる一枚の板にまとめられています。これらのカード類を、マザーボードの決められた位置に差し込みドライバーでネジ止めします。

カード類はプラスとマイナスを逆にさすことはできません。プラグ類も逆にさすことはできません。間違い防止は徹底されています。道具はプラスドライバーだけで、ハンダゴテなどは不要です。机の上が広ければ大画面のディスプレイに交換したり、場所をと取らないように小さな画面のディスプレイに交換することもできます。

注意を要するのは静電気です。パソコンの部品に触る前に、水道の蛇口などをつかんで体や衣服についた静電気を逃がしておきます。組み立て終わったパソコンに、オペレーション・システム(略称はOS)のウインドウズ98をインストールします。

流行を追いたければ高性能のカード類と取り替えることもできます。なんでもできるのが利点ですが、完成品の保証はありません。保証期間内には壊れないだろうという部品を使っているメーカー品より、あなたの保証で使えればいいじゃないですか。

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6-4 それでも壊れない

パソコンはそう簡単に壊れません。持ち上げて床に落とす、画面を金づちで叩き割る、キーボードに腰かけて砕く。これは壊しているのです。知識がとぼしいときにパニックを起こした経験があります。

少し慣れてワープロソフトを使えるようになったので、機関紙の原稿を作成しようと思いました。一服しながら構想を練ろうと、豆をひいて落とした薫り高いコーヒー。最後の一滴まで入れるとマグカップのふちまであります。事務机と椅子を避けながら、ゆっくり歩いてキーボードの右横に置こうとします。もう少しというところでカップがゆれ、マグカップのふちから漏れ出したコーヒーが指を濡らします。熱いと叫ぶ前に、茶色の液体はキーボードの上へ落ちていきました。

パソコンは電気を利用する機器ですから、内部はもちろんキーボードの中にも様々な配線がしてあります。AからBを通ってCへ電気が流れるようにしてあるのに、AからいきなりCへ流れたら部品は壊れてしまいます。水は電気を通しやすい性質があり、ぬれた部分に様々な電気が流れますから部品は耐えられなくなって壊れてしまうのです。

三分の一が茶色に染まったキーボードの前に、しばらく呆然自失の体で立ちすくんでいました。値切ったとはいえ35万円もしたパソコンです。仕事に不可欠と言って買ってもらい、やっと2ヶ月目に入ったばかりです。コーヒーなんか入れなければ、機関紙の原稿なんか引き受けなければよかった。

気を取り直してパソコンを修理に出してみようと考えました。コンセントから電源コードを抜こうとしたら、プリンタの上にコードが丸められ載っています。昨日、退勤するときにプラグを外したのを思い出しました。あ~よかったとほっとしました。

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もしかしたらとキーボードをはずして表面をスポンジタワシで洗います。水道水をキーの間に流し込み、角度を変えながら茶色い色が消えるまで続けました。表面の水をタオルでふき取り、直射日光が当たる位置において内部の水分が蒸発するのを待ちます。10日間続いた晴天のおかげでパソコンは蘇りました。

機関紙の原稿は3分の2ほどできたので、パソコンの席から離れてコーヒーを飲みました。蘇った翌日からキーボードに透明なカバーをかけています。その安心感からか、またも同じ失敗を繰り返したので恐ろしくなったのです。パソコンから離れてほろ苦い味を楽しんでいますと、独身の先生宛に頒布会の商品が届きました。

パソコンの左側をすり抜けて事務机の引き出しから印鑑を出そうとしました。足に引っかかったものがある。バッンという音と共にコンセントからプラグが外れ、パソコンの画面は真っ暗になりました。

パソコンが動いているときに電源を落とすと、ハードディスクへの書き込みアームが磁気ディスクを傷つける場合があります。ハードディスク内部で高速回転しているディスクと呼ばれる金属盤と、記録用磁気ヘッドの間隔は1ミクロン(千分の1ミリ)以下ですから振動には弱いのです。

文字を書いている最中に背中を押されると、紙の上に動いた分の痕跡が残りますね。その時の状態にもよりますが、斜めかまっすぐの線が引かさります。このような傷がついたハードディスクは使い物にならず、記録されているデータは二度と取り出すことができません。

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恐る恐る、電源スイッチを入れました。しばらくするとパソコンの画面が明るくなり、「いきなり電源を切るな。決められたとおりの手順でやりなさい。」と表示されます。怒られても仕方がありませんが、先ほど3分の2まで完成した原稿はすべて消えてしましました。

パソコンに耳を近づけて聞いてきてください。ハードディスクからデータ類を読み出しているときや、作成した原稿などのデータをハードディスクへ記録しているときは、パソコンの内部でカタカタカタというような音がしています。

音がしている最中にプラグを引っこ抜くとパソコンは病気になります。ほかに壊れている部分があるかもしれませんが、専門店でハードディスクを取り替えてもらえば、基本的に生き返ります。ただし、記録されていたデータ類は永久に戻りません。

やっと原稿が3分の2ほどできたのにと嘆きながらパソコンに向かいました。物語をどう発展させたのか、どのような表現をしていたのかなかなか思い出せません。でも、そのうち調子が出て一気に書き終わりました。

最初から読んでみようと、前のページへ戻ろうとしたとき突然画面が止まりました。マウスの操作もキーボードからの入力も受け付けてくれません。1時間ほど待ちましたが何の反応も示しません。

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画面が凍り付いたように動かなくなるのでフリーズという現象です。プログラム上の誤りが原因と思われるハングアップという現象でも画面は動かなくなります。壊れたのではありません。パソコンは時折フリーズします。残念なことにこれを防ぐことはできないようです。

マニュアルに書いてあるとおりに、強制終了のショートカットキーを試してみます。なにも反応がなければリセットキーを押すと、パソコンは再起動(電源を入れた直後の状態にも戻すこと)して動くようになります。

それでもだめなら、パソコンに耳を近づけてハードディスクから音が聞こえないことを確かめたあと、コンセントからプラグを引き抜いてください。1分間待ってから、プラグを再びコンセントへ差し込んでパソコンの電源を入れます。元通りに動くようになりましたね。

フリーズやコンフリクトが起こると、あなたが作成中のものや画面に表示されていたものはすべて失われてしまいます。パソコンを使っている人は、長時間かかって作成した文章や絵などをフリーズで失い嘆き悲しんだ経験を持って自作した最終の機器います。

こんな経験をしたくなければ、作業の途中でこまめに保存(ハードディスクに記録すること。)するクセをつけておきましょう。

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6-5 化けて出ることはない

パソコンを殺すには液体を用意します。バケツ一杯はいりません。水以外に、お湯、コーヒー、紅茶、ジュース、ビール、ワイン、日本酒。そして、あなたがしょっちゅう飲んでいる焼酎。どれでも結構です。わずか一滴でパソコンは殺せます。二度と生き返ることも、幽霊になって出てくることもありません。

完全に殺すには、液体をかけるしかないのです。ただし、ひとおもいにやらないと、最後の力を振り絞ってあなたをシビレ(関電)させますし、運が悪ければあなたを感電死で道連れにしますからご注意を。(1999年平成10年11月作)

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7 パークゴルフは楽しい

事務屋は運動不足と言われる。公共交通機関を利用して日に1万歩以上歩いているが、しだいに筋力が落ちて足腰が弱体化し、思考は硬直化へ向かうようだ。運動を兼ねたはしご酒はむかしの思い出となり、惰眠させた脳は老化の一途をたどりはじめた。

運転免許を取って遠出に挑戦していた頃と云っても、来年が二度目の更新だからそれほどふるい話ではない。軽自動車にナミゲーターの妻を乗せて星の降る里にある温泉へ出かけた。シュミレーションの経験しかないので高速道路は遠慮し、目がついていけないから50km以上の速度も敬遠している。当然「お急ぎですか。」と止められたことはない。

午前6時に家を出て国道12号線を北へ向かい、芦別の観音像を見上げただけで山の中へ入った。森を抜けると広い草原の向こうにホテルの建物が見えた。時計の針は午後1時をさしている。

草原のあちこちに、数字の旗がついたポールが立っていた。クラブでボールを打っているような人、旗のそばで慎重に距離を測っている人が見える。ゴルフバにしては狭すぎるから、もしやと管理事務所で質問した。

旗が立っていることろはパットパットゴルフ場ですか。「パークゴルフ場です。パットパットゴルフよりも距離がありますから面白いですよ」。パークゴルフなんて聞いたことがないな~。ルールやなんか難しいんでしょう。「どなたでもできますよ。ルールは右の壁に貼ってあるのでご覧ください。クラブとボールはお貸ししています」。チェックインまで時間がありすぎるからやってみようか。スタート台からボールを打つところ

硬いボールをクラブで軽く打つだけだが、狙ったところへ転がってくれない。3回で入れるところを10回も打ったり、5回のところを5回で入れて喜んだり、9ホールを回ると夢中になっていた。

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森の香りを運ぶ空気は爽やかで、汗をかくほどの激しさは感じられず、それでいて数百メートルという距離を歩いている。夜空は星のかけらもみえないほど曇っていたが、初体験に十分満足した一日だった。

数日後、書店でパークゴルフの本を見つけた。さっそく、もみじ台の河川敷にあるパークゴルフ場を探し、18ホールのコースを2度回った。軽い運動と心地よい疲れに満足してクラブとボールを返しに行くと、貸してくれた人は買い物に出かけたのか応答がない。翌日返却に行く羽目になったことが、用具購入を決心させたきっかけである。

販売店に在庫を確認して出かけると、公認されているものはそれなりの価格がする。デザインはどれも似たようなものだが意匠と価格は様々である。最初から一流の用具を使っても成績がよくなる保証はないと、最低価格よりも一ランク上のクラブを購入した。

用具が手に入ると、300円から500円程度の定山渓や盤珪スキー場の斜面コース、前田中央公園、サトランド、ツドームなどの整備されたコースを回り、緑の芝生が目に優しい新篠津のコースや玉ねぎの茶色くなった外皮が飛び交う岩見沢のコースも体験した。広大な河川敷に設けられた南幌のコースは常連となり、恵庭市内の複雑なコースも時々訪れるようになっていた。

道民の森コースを経験するには、北竜町の温泉で一泊しなければならなかった。それ以来、中山峠を超えて吹き出し公園で羊蹄山の味をかみしめ、点在するパークゴルフ場をめぐりながら昆布温泉と蘭越町の温泉も堪能するようになっていた。

パークゴルフ場へ出かけるのは簡単でも、目的地へ着くのは至難の技である。道路標識で行き先を確認しているが、標識の手前で曲がるから迷子になる。最新の道路地図を開いても、自分のいる場所がわからないから役に立たない。そのうちなんとかなるさと走っていたら小さな看板を見つけた。千歳付近の長都駅裏にあるパークゴルフ場。山の上へ打ち上げたり、目的地が見えないまま打たなければならなかったり、変化に富むコースは私たちを虜にした。

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道事務協の富良野大会の帰り、車に同乗していた仲間たちが新十津川でパークゴルフを体験した。この日は青さを増した空に刷毛で引いたような筋雲が浮かび、雑木林を抜受けた風は心地よい涼を運んでいた。コースはきめの細かな芝生が密集し、少々重い体も芝生の弾力で浮き上がるような感じがする。

芝生上を色とりどりのボールがホールを目指して転がり、あるものは場外ホームラン、またあるものはファールとなった。いずれもオービーと判定されて、ボールのコントロールは思うようにならない。コツらしきものをつかみかけて9ホールをを終わると、パークゴルフ場は閉鎖時間と告げられた。

数日後の飲み会で、借りるよりも自分の用具が欲しいという話題になった。笑いをこらえていると、数日後に販売店へ集合したメンバーは同じようなクラブとボールがカバ-に入ってセットを購入した。

土曜日に南幌の河川敷コースへ行くことが決まり、ひそかに練習に出かける者もあらわれた。そして、結構面白いからパークゴルフ同好会をつくろうと洒落ていた男が責任者に祭り上げられた。広々とした安平山パークゴルフ場

同好会活動は活発化して、地方への遠征も盛んになってきた。芝生が整えられた真狩村やニセコ町、喜茂別のコースは二度訪れた。赤平から悲別ロマン座を経てかもい岳自然公園コーを楽しみ、チロルの湯で疲れを流した後は栗山ダムのコースも楽しんできた。本年度は札事務協の三浦会長も参加され、道北の剣淵と名寄のコースを楽しんでから浜頓別まで遠征した。

生干しのホタテ貝柱と毛ガニの味を十分堪能し、翌朝意欲溢れる三浦会長にせかされて午前5時からコースへ出た。距離90メートルでかっこの良いところを見せようとホームラン性の快音。ボールは立木に直撃して跳ね返り、深い藪の中へ消えていった。

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予備のボールを持っていたことに感謝しながらゲームを続けると、汚名挽回のチャンスがやってきた。右側に低木が垣根が続く細長いコース。垣根から20センチ離れた位置を転がるよう、少々強めに打てばホールインワンも不可能ではない。

力を抑えて打ったはずのボールは、コースわきの岩石にぶつかって高々と舞い上げり、大きな波紋を残して池の中へ消えた。4メートルも離れたところに顔を出したが、呼べど叫べど戻ってかない。1ゲームで玉を2つもなくすという大失態に、男性を失ったと笑われた。

考えすぎたり工夫をし過ぎたフォームを基本姿勢へ戻すと、成績がうなぎのぼりとなってきた。27や26という成績を記録して、ゴルフのプロも追い越せるのではないかと頬がゆるんでくる。ところが、追分のコースで23を記録したものが現れた。そして、ホールインワンが連続して3回も出現した。

パークゴルフでのホールインワンは、、これまで妻と出かけて時に10回ほど経験している。同好会が発足すると、参加者は1回につき千円をお祝いに贈ることになってから、私のボールはカップを跨いだり、カップの淵で方向転換するようになってきた。麻雀もそうだが、他人から金品を巻き上げることができない性格をボールも熟知しているようにみえる。

そのうち他流試合に参加して、全身が緊張で震える状態をもう一度味わってみたいと願っている。雪解けが待ち遠しい。(2001年平成13年11月作)

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8 一筆、書き残し候

自ら学ぶというお題目を見て、そんなら先生は要らなくなると藁田先輩がおられた。けだし明言である。インターネットで検索すると889件もの「自ら学ぶ」情報が出てくるが、その多くは教育界が発信し書店以外の民間情報は皆無である。

その昔、わたしは英語の百科事典を売り歩いていた。お客のサインをいただいた契約書を日本支社へ郵送すると、東京より買主へ照会の電話がある。希望する納品日を確認してから商品が配送されるしくみは購買者に安心感を与えた。交通費や電話代、顧客情報収集などの経費は自分持ちで、初回の代金入金後に歩合が口座へ振り込まれる仕組みである。このような完全歩合制の雇用契約はぼんやりしていると収入の道を絶たれてしまう。

自宅や職場に百科事典の見本を持った兄ちゃんが来たら、あなたはどのような対応をするだろうか。開いた見本のどのページにも英語が並び、給料の5ヶ月分以上もする価格と聞いて触手が伸びるだろうか。(当時の公務員初任給は約2万円、百科事典の販売価格は108千円である。)

飛び込みで売れるものではなく、買ってくださいと云えば相手にされない商品。完全歩合のセールスマンに買うはずのないお客と雑談している暇はない。自分が読めないものを読めそうもない人々に売り込むにはテクニックが必要である。

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百科事典の会社を「スパルタカンパニー」、あなたは「北斗建築設計事務所」の所長としよう。私はパンフレットなどであなたが設計された建物を調査し、その建物を見て評価も聞いてある。特徴をつかんで事故情報に加工すると、電話でアポイメントを取る。「ハロー、ワタシ二世アルヨ。ニューヨークカラキタ」などとは言わない。

北斗建築設計事務所の北斗所長様でしょうか、スパルタカンパニーの山崎と申します。ご承知の通りスパルタカンパニーは百科事典の世界三大メーカーの一つで、世界各地へ特派員を派遣して最新情報を収集しております。このたびニュヨーク本社より、北斗建築設計事務所さまが担当されました〇〇の建築設計の特徴に対する評価についてご意見をうかがうよう指示されました。よろしければ貴重な百科事典用資料として本社ディスクで保管いたしたく、情報収集にご協力いただけますようお願い申し上げます。

なお、北斗所長様が国連本部など、世界的な建築物の設計図面の入手などをご希望されますなら、説明に5分程度のお時間でニューヨーク本社ディスクへの請求方法をご紹介いたします。北斗建築設計事務所さま担当の〇〇の建築設計特徴評価へのご意見をいただけますならお伺いいたしますが、いかがでしょうか。

このような電話がかかってきたらあなたは面食らうはずだ。世界三大メーカー、特派員を派遣、ニューヨーク本社の指示、設計の評価、本社ディスクで保管。アメリカは我々の仕事を認めているのか。38~9年前には魅惑的とされていた単語があふれていた。情報収集と提供時間に10分、契約に至っても15~20分で引き上げる。タイム・イズ・マネーを実践すると、数人のお客を紹介していただけることもある。

当時の平均収入は6万円前後で、最も売れたときは売り物の百科事典を現金で買える月収となった。しかし、100回の電話で会えるのは2割弱、そのうち契約が成立するのは1~2件が現実。情報を探し出して特徴を学び、自己情報へ加工することに疲れたわたしはこの世界から逃げ出した。

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学校事務職員に採用された初任給は19,200円。二食付き下宿代は15,000円で昼食代は労力奉仕で無料だが、手取りは2,500円の生活に激変した。タバコや酒代にも事欠く日々に苦しみ、期末手当が出ると肉屋へ走った。ロースハムを1センチの厚さで1枚切ってもらい、宿直室でひとり噛みしめた。契約をとれた日に口にしたフルボディの赤ワインと肉汁したたるステーキはもうない。

最新の情報を学びながら生活を賭して生き抜く厳しさを捨て、努力しても収入が増えることのない世界で37年の歳月が流れた。この間、実務改善なくして職業の存続なしとの危機感を持った仲間たちの賛同を得て、学校実務要覧経理編の執筆と編集、物品標準名称鑑の編纂と備品管理の改善、文書管理システムの編成を主導してきた。

政令指定都市学校事務職員連絡会を再編成して道筋を整え、月間専門誌学校事務への連載は5年間担当し、八戸市立文章管理検討会との交流を通して青森県学校事務研究大会へ二度も助言者としてお迎えいただいた。

7年も仕事を共にしてきたワープロの破損でパソコンと出会い校内控除システムや学校徴収金管理システム、支出負担行為データーベース編成などのほかに、パソコンの自作、ホームページの公開、カリフォルニア大学バークレイ校の研究に協力してET探査の電波解析など、様々なことを学びながら貴重な体験をさせていただいた。そのような活動の中で事務必携の編集仲間たちとであった。

平成15年度版事務必携は編集委員がワードで編集することが義務付けられたが、編集委員の全員がパソコンを使えるわけでない。必然的に1人か2人に作業が集中することは避けられない。傍観せざるを得ない仲間たちに、あなた方はお客様でいたいのかと問題を提起した。

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かって、文盲なしと世界中を驚かせた日本は二十世紀末にIT立国を目指した。そのためには、パソコン操作技術の基礎を習得できる場を国民へ提供しなければならない。国が威信をかけて世界の最先端へ踏み出そうともがき、莫大な税金を投入してIT講習会を開催し、全国民を一定レベルまで引き上げようとしている時期に、あなたは静観しているだけなのか。無料で学ぶチャンスが用意されているのに、努力を拒否して批判しかできない落伍者への道を選ぶのか。あの人はその程度の人と、孫子の代まで後ろ指をさされたいのか。

彼らは自らの手で事務必携を編集する夢に向かって学び始めた。最新のパソコンを購入するものが現れた。操作が分からない者や技術の未熟な者は夏季休業を利用して講習を受けた。プロ仕様のものを作り上げるには生半可な知識と甘えほど邪魔なものはない。それぞれば割り当てられた部門の専門家として、さらに進んでいつでも編集できる技術の習得が欠かせない。パソコンの操作技術を身に着け、ワードでDTP(ディスクトップ・パブリッシング=電子出版技術)へ挑戦した彼らの努力は間もなく実を結ぶ。

自ら学ぶという言葉は、自ら学ばない者が自戒の意味でつくりだした用語ではなかろうか。この言葉を口にする者が自ら実践した成果を示して妥当性を訴えることは多くない。あなただけは言葉を使うことに酔いしれず、努力で培った実力を身に着けてほしい。言葉をもてあそぶよりも、背中を見てもらうのが真の教育である。

教え・育み・鍛えてくれた難題と厚い壁に、ひたいを集めながら問題解決へ向けて学んだ日々。出会えたすばらしき仲間に感謝したい。待ち続けていたわけじゃないが、これまで学びえたものを社会へ奉仕する時期が来た。身に着けた多くの経験をもって、これからはNPOの活動を支えたい。(2002年平成14年11月作)

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