はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第5章 独身時代の短編集

毎晩宿直をしながら書き続けて職場のちょんが会誌に掲載した短編。「吹雪の中へ消えて」、「去っていったウイーナ」、「この日このとき」。新任教師の連発する擬態語をもとに会話のみで構成した「迷言先生大いに怒る」短編作品などを転載。

1 吹雪の中へ消えて

その一

夜どおし荒れつづけた吹雪もやみ、朝日がいてついた町並みを照らしだしている。駅前通りの並木や家々の垣根に樹氷が宝石のように輝いていた。昨日までのぬかるみや、泥だらけの板壁もすべて消し去られた白銀の世界に再び朝が訪れた。しだいに昇りゆく日の光は夜の闇に打ち勝って、軒下のつららに七色の虹をやどらせる。昨日までの吹雪が残していった小さな吹き溜りが町角のそこここに丘をつくって。

その丘のそばに、もう50をいくつか越えた女性がうずくまっていた。雪よりも白いものがいく本も混じっている頭、ほころびがつくろわれたあとを残している絣の上着に膝あてがついている紺のもんぺ。もうねずみ色になってしまったゴムの長靴。数年もの長い間たった一人で働き続け、その苦しみの代償を奪い取られた母親が、自分の一生を託した希望をしっかりと抱きしめながら旅立った姿だった。

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その二

郊外にそびえたつ白亜の殿堂。その附属病院の一室に年のころ17~8であろうか、青白く痩せ衰えた男がただ一人横たわっている。古ぼけたベットが部屋の大部分を占領し、枕もとにある物入れの上に牛乳びんにさされたネコヤナギがあたたかな花をつけている。男の左腕には透明な管が差し込まれ、天井からぶらさげられたガラスビンの中より真紅の液体が一滴また一滴と落ちこんでいた。右足はその付け根からなく、そこに赤く染まった包帯がまいてある。頭も包帯に包まれ、青白い顔だけが奇妙に浮かび上がっていた。彼はほとんど動こうとはしない。いや、動くことができないのだろう。

ほんのちょっとした不注意のため、後ろから走ってきた自動車にはねられて右足は切断され、後頭部にひどい裂傷をおってしまった。それのみか、毎日の食事が偏っていたために、そんな日が長く続いていたために典型的な壊血病症状が現れ、彼の血液は凝固することができなかった。脊髄はすでに湾曲になり、内蔵はその圧迫に耐えられないほどの限界にきていた。

「先生、先生。子どもは、子供は助かるでしょうね。あのように高いお薬を飲ませたんですもの。きっと助かりますね。先生、助かりますね」。

病院の廊下で医師は涙を流しながらすがりつく母親をあつかいかねていた。

「お母さん、私達は最善をつくしました。交通事故だけであったら救うことができたのですが、お子さんの壊血病だけはこれ以上どうすることも出来ないのです。ご承知のとおりこの病気にかかると、血液が止まらなくなってしまいます。傷口はふさがることなく、身体は血液の不足のために日毎に衰弱してゆき、どのような治療もどのような薬もその効果を現さないのです」。

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母は驚愕した。驚きのあまり涙は乾いてしまった。

「壊血病、壊血病。」

母は何度も、何度もつぶやいた。

「血がとまらない病気。私の子が、そんな恐ろしい病気って。」

「お母さん、お気の毒です。」

医師は深々と頭をたれた。その時、母の瞳に光がさした。

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その三

「壊血病。なおるはずです。私、知っています。外国のお薬で名前は、思い出せない。何といったか、長い名前のお薬。それを使ってください。ずいぶん多くの人が治ったと聞いています。それを使ってください。」

その言葉を聞くや医師は当惑した。こんなみすぼらしい老婆がそんなことまで知っていようとは。しかも、医学界でも貴重品扱いされている薬の名前まで知っていようとは。

「お母さん、この病院にはその薬がないのです。私達も以前から手に入れようと努力していたのですがまだ見たこともないのです。壊血病が治ったというはなしは私も聞いたことがあります。ですが、治療の方法も正直なところわかりません。まして、薬を手に入れることなど思いもよらないのです。薬の名はエル・アスコルビン酸という注射薬です。

これはドイツで創られ、我が国へも毎年わずかながら入ってきてはいます。非常に数が少なく、そのために高価薬となっています。いま我が国はその薬をほとんど使いはたしてしまい、アンプルが1~2二本程度しか残っていないのです。ですから、お子さんの病気はどうすることもできないのです。」

「でも、あるのですね、お薬が1本か2本は。お願いです先生。そのお薬さえあればあの子は助かります。取り寄せてください。取り寄せて。」

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「残念ながらそれは不可能なのです。薬が少ないために、いまではとても考えられないほどの高価なものとなっているのです。また、この薬を必要としている人たちがあまりにも多いため、手に入れることはできないのです。」

彼女は急きこんでいた。流れゆく一本のワラにしがみつくように、手は医師の白衣をひきちぎらんばかりに握りしめた。

「どこで、どこで作っているのですかお薬は。おしえてください、どこで。」

「ドイツです。」

「ドイツのお薬。日本にないのなら、ドイツから取り寄せてください。それさえあれば子供が助かるのでしたら。どうか、送ってもらってください。先生、子供の命がかかっているのです。きっと送ってくれるでしょうね。」

「残念ですが、この薬は世界中から非常に注文が多く、どの国にも割り当てがきまっていてそれ以上は取り寄せることはできないのです。でも、一つだけ望みはあります。お金があれば。」

「おかね。」

「そう、お金です。お金があれば、なんとか方法があるでしょう。」

「いくら、いくらあれば。」

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「はっきりは云えませんが、20万か30万円あれば世界のどこかから。」

「20万か30万円。そんな、そんなお金は。」

「お金の用意がなければどうしようもありません。たとえ、薬があったとしても取り寄せることはできないのです。」

「取り寄せれないですって。そのお薬がなければ子どもは、子どもは死んでしまうのですよ。先生、そんなひどいことを。助かることがわかっていながら死ぬのを待つなんて。そんなひどいことを、そんなひどいことを。」

くたくたと足もとに崩れ落ちる母親を、医師は静かに助け起こしながら低くつぶやくのだった。

「お母さんお気の毒です。ですが、私達はできる限りの努力をしたのです。」

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その四

母親は胸に針が突き刺さる思いだった。明日の生活にもことかく母親に夢のような額のお金。お金さえあれば、何10万円かのお金がありさえすれば、我が子の命を救うことができる。お金があれば、生き続けさせることができる。なによりも尊いと言われる人の命もつまるところはお金が握っている。

毎日お酒を飲み歩いている人達、競馬や競輪に通う人々、流行のみを追い求めている若者たち。彼らが快楽を得るために使うお金の十分の一、いや百分の一があるだけで一人の人間の命が救える。

思いかえせば12年前。働きざかりの夫に死に別れ、母一人子一人で社会の荒波と戦ってきた。近所の子供たちや、同じクラスの子どもたちにも決して負けない立派な子になってと祈りつつ、やっとたどりついたその日。就職もきまり、二人だけの詫び住まいに初めて笑顔が訪れたあの日。

「お母さん、今日からは僕が働きます。」

「いいよ。お前が仕事になれるまでは母さんが働くから。」

「いけないよ母さん。母さんはいままでずいぶん無理してきたんだもの。これからは楽してください。今日から僕が働きます。」

元気にそういってくれたその子が、出社する途中であのような事故に。しかも、不治の病にかかっているとは。母にできることは祈ることしかなかった。一枚の宝くじに未来を託す人達のように、自分の畑だけを嵐がさけるよう祈る農夫のように、なんとむなしいことであろうか。「お父さん。あなたはこんなときどうするのですか。お父さん」。母は冷たい廊下の上で身をかがめて泣き続けた。

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薄暗い個室の中に時計の音だけが鋭く聞こえている。だれもが声をひそめ、青白い蛍光燈の光が四人の影を長く壁にはりつけていた。医師が青年の胸に聴診器をあてている。その医師のすぐ横に、注射器を手にした看護婦が一人。反対側に老婆がじっと青年を見守っている。病室の空気はしだいに冷えて、喉に詰まるような重さに変わっていった。秒針だけが何事もないように過ぎてゆく。さらに長く短い時が流れた。そして、ついにその静寂が破られた。

「御臨終です。」

低く冷たい厳然とした医師の言葉が響くや、母親はすべてを忘れて子どもの、我が子の腕にすがりつき大声をあげて泣き伏した。

未来を楽しみにいままで苦労し、その苦しみがかなえられる一歩手前でもろくもくずれゆく夢のはかなさ。いく年もの長い間、だれの手もかりずに戦い続け、やっと目前まできた幸せが虹のように消えゆくとは。お金さえあったら助けられたはずの我が子を、少しの蓄えもないために見殺しにしなければならなかった自分を彼女は責めた。ほんのわずかな着物も古ぼけた家具もすべて売りつくしたのに、薬代の十分の一にも達しなかった微力さを嘆き続けた。

母は泣きながら問うた。わたしが何をしたというの。なぜ、こんな苦しみを受けなければならないの。こうなるのは約束だったの。生まれる前から決まっていたことなの。お願い、誰か教えて。わたしはなにを楽しみに生きてゆけばいいの。

たったひとつの希望を、それ以上許されなかった夢を一瞬の間に奪われて、やせ衰えた我が子のか細い腕にしがみつき老婆は泣き続けた。

再び朝が訪れた。昇りゆく日の光は町並みをくっきりと浮かび上らせ、澄みきった大気の中で小さな子たちがはしゃぎまわっていた。老婆は冷たくなった我が子と共に一夜を過ごした。昨夜、自分の子どもはもう手の届かない世界へ去っていった。いまごろはきっと父親と共にわたしを見下ろしているだろう。

母は考えた。わたしにはたったひとつの夢も残されていない。この先どうしたらいいのだろう。昨夜まで親切にしてくださったあの医師の言葉に従おうか。二度とこのような悲しい結果がおこらないように病気の原因をしらべたい、病気をなくするために。そう、こうもはなしていた。もしお子さんのお葬式がだせないなら病院が負担しますと。

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その五

母は一晩中迷った。わたしにはもう蓄えはない。残されているものはこの体だけ。とても人並みのお葬式など。いや、お葬式もだせるかどうか。どうしよう。でも、この子を解剖するなんて。そんなことはできない。これ以上、痛い思いをさせるのはかわいそう。日の光がベットの上に差し込み、もう硬くなった青白い腕を照らしだしている。医師が部屋に入ってきた。

「お母さん、決心がつきましたか。病院はお子さまのために心を込めたお葬式を用意しました。どうか決心してください。いまも苦しんでいる多くの人々のために。お母さん、あなたのためにも。」

母の声は弱々しく、聞き取れないほど力がなかった。

「先生、よろしくお願いいたします。」

昨夜と同じように子供の手を握りしめながら振り向いた顔に、いくすじもの新らたな涙が関を切ったようにあふれでていた。医師は気の毒そうに母親を見下ろした。

「お母さんどうか安心してください。私達はお子さんを決して粗末にいたしません。お子さんは多くの貴重なものを与えてくださるでしょう。さあ、お母さん。あちらで休んでいてください。ずいぶん無理をなさったでしょうから。」

医師が母親の手を引いて病室をでると入れ違いに若い医師が数人病室へ入っていった。いまはもう冷えきってしまった子どもを、用意してきたベットに移して運び去った。母親は手を引かれながらそのようすを振り返り、ふりかえりながら見送っていた。

西日が待合室の窓に赤い光をなげかけている。その広くガランとした部屋の片隅に、老婆が純白の布に包まれた小さな箱と、墨の香りがまだ残っている白木の板を抱えて腰掛けている。時計がうつろな音をたてて鳴りだした。もうどのくらいたったであろうか。ゆっくりと腰をあげた彼女は、しっかりとそれらを胸に抱きしめて硬く締まった雪道へ消えていった。

折から山の端に落ちゆく太陽がその老婆の背を赤く照らしだしていた。(1966年昭和41年12月ちょんが会誌第一号に掲載)

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2 去っていったウイーナ

その一

色あせてきた天空に宵の明星があの美しい姿を現し、それに誘われるように次々と数多くの星が輝き始めた。ほのぼのと白く、漠とした光の滴が北東から南西にかけて静かに流れてゆく。今夜も私は、シリウス星に向かって焦点を合わせた。つい10日前に発見された光の集団、それがしだいに近づきつつあるのだ。星でも新しい彗星でもない。二十世紀後半の科学をもってしても解くことのできないものである。間違いないのは、この光の集団が地球に向かっている。スペクトル写真で分析された、水素・酸素・窒素・鉄・アルミニウム・ヘリウム等、地球上の物質とまったく同種の原子を含んだ光であるということである。

今夜、私達は再び不思議な光までの距離を計算した。電子計算機は3時間後に9光年と報告してきた。あの光は丁度シリウスの真横を通過したことになり、それはあと9年後に地球へ到着することを示すものであった。この夜から電子計算機は休むことはなかった。5時間ごとに光の速度・距離・進行方向を報告し続けた。私達はその報告どうり、光の到着点と計算された北緯45度25分東経142度1分の地点の調査を依頼した。

そこは日本の北辺、北海道の片隅である。札幌より急行列車で5時間40分、浜頓別よりさらに北へ6キロ、人家もない荒れ果てた丘陵が続いている所であった。人間の背丈までも成長することのできない植物が所々にポツンと生えている。丘陵は水に侵食され、さらに風化したのであろう。いたるところに裂け目ができ、それが連なって壁のようになっている。太古の姿そのままをいまも残している地帯。そこへ向かって光は進んでいる。たとえ、あの不思議な光が流星のように激突しても被害を受けるものは見当たらなかった。

光が激突する。それは常識では理解できない。がしかし、あの光は激突するとしか考えられない。それは密度をもっている。密度をもった地球上にある原子を含む光であるからだ。私はその光を「アレス」と名づけた。ギリシャ神話オリンポス山の神、禿鷹に象徴される戦いの神である。現代科学に挑戦しているかのように私の目には写った。そう、光は無言の挑戦を挑んでいた。

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その二

その日はきた。アレスは冥王星の軌道を越えた。地球から57億6千万キロメートル、到着まで5時間20分の地点を通過した。時刻はグリニッチ標準午前2時、日本時間午前11時。午後4時20分に目的地、宗谷の荒れ地に到着する。

アレスの終着駅となるターミナル付近一帯は直径2km、高さ4mの壁にとりまかれている。壁の中では種々雑多な観測機械がアレスの到着を待っている。人は見当たらず、すべてがオートメーション化されている。指示は極超短波によって、浜頓別のクッチャロ湖畔にある指令室より発せられる。準備は整った、どの機械も正常に動いている。

私は旭川天文台の一室で、テレビに写っている人工衛星からの映像と現地の様子を見ていた。刻々と無線はアレスの状況を伝えてくる。時計は午後4時4分を示した。それは火星の軌道を通過したことをさしている。あと16分後。情報を分析していた電子計算機がアレスに関する報告書をはじきだした。

「アレスハ、コウソク。サンコウ・カイセキナシ。レーザーコウセントオナジセイシツヲモツ。アレスノコウセイゲンシハ、ビリョウノジンコウホウシャセイゲンソC-14ヲフクム。トウカイケイ、ベータマイナス。ハンゲンキハ104ネン。」

パンチカードにミスがあったのだろう。たしかにレーザー光線は光束であり回析も散光もしない。しかし、レーザーは人間が作りだした特殊な光線である。人工放射性元素C-14は崩壊型ベータマイナス半減期104年であるが、これも人間が作りだした自然界に存在しない放射能である。宇宙から飛んできたアレスが人為的なものであるなら問題ないが、数千光年からきた原子に半減期104年の放射能が含まれているはずがない。では、冥王星の軌道でC-14をおびたのだろうか。それは考えられない。冥王星の付近に人工放射性元素は存在しないのだ。従って、電子計算機に入れたパンチカードに間違いがあったというのが私の結論であった。考えている時間はない。アレスはもう秒読みの地点へきている。

予想外の事態が起こった。火星と地球のほぼ中間にあたる、地球まで50万kmmのところでアレスは進行方向へ向かって火を噴き出した。紅蓮の炎を噴き出しながら近づいてくる。月の軌道の内側、地球より40万kmの地点で炎の上部に位置する光が凝縮し始めた。アレスはもはや光速を失っていた。噴出する炎がブレーキの役目をはたしている。大気の密度10億分の1、地表より200kmの地点で光は細長くなり、突然ロケットに変わった。一瞬の間にロケットが現れた。まるで科学映画を見せられているようにアレスはロケットに変わったのだ。人も機械もそれを認めていた。

炎を噴き出しながら減速し、電子計算機が予告した北緯45度25分東経142度1分の地点に降り立つた。私は数分のあいだ虚脱状態にあったが、すぐに気を取り直して調査のためヘリコプターに乗り込んだ。轟音の中での数十分、それがいかに長く感じられたことか。何時間も何十時間も過ぎ去ったように思われた。クッチャロ湖畔の指令室へ到着した私に膨大な報告書が待っていた。さらに次々とデータが入ってくる。とにかく放射能防護服を着て、それぞれの専門家と車に乗り込んだ。

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その三

指令室の窓から見えていたロケットの先端は銀色に光っていた。車は白樺の林を過ぎて宗谷の荒れ地へ入ると、巨大な銀色の物体がその全体の姿を現す。高さ200m、円周は40mほどだろうか、その周囲に陽炎が立ち昇っていた。着陸用の足が5本あり、先端がちょうどおわんを伏せたような型で荒れ地の上にしっかりと立っている。まるで大砲の弾に足をつけたような型である。これほどまでに大きなロケットを私は見たことがない。

車についているガイガー係数管はなんの反応も示さなかった。それはC-14放射性元素が消滅していることを知らせている。しかし、だれも防護服を脱がなかった。ガイガー係数管を信じなかったわけではなく、あまりにも不思議な光景に自己を失っているのだった。キャタビラの音に我を取り戻した私達は、自衛隊に警備を依頼して夕暮れの地をあとにした。その夜、私も同僚も眠ることができなかった。山と詰まれたアレスの報告書に目を通すことと、白昼の夢のような出来事に興奮していたからであった。

夜空が乳白色に変ってゆく。湖畔の山並が裾野一帯をガスに包まれて、頂上のみがくっきりと浮かびあがっていた。鳥の声もまだ聞こえない静寂な朝が訪れてきた。大気は冷たく重かった。しだいにオホーツクの海がその輝きを変えてゆく。水平線が薄明かりの中で白く光だし、その光が徐々に薄桃色へと変わってゆく。浪頭がくっきりと姿を現すころには、雲は紫より燈へと移りゆき、やがて太陽が顔をだすと森や林の小鳥達は声を限りに合唱を始める。北国の朝は早い。やっと人家から一筋二筋と煙が昇りだす午前5時、必要な測定機械を積み込んだ私達の車はエンジンの轟音を残して出発した。

朝日をうけてまぶしいほどの輝きを放つ、銀色のロケットがしだいにその全体を現す。自衛隊の戦車に守られたロケットは昨日と同じ位置に立っていた。私達は午前9時に種々の測定器を定められた地点に設置した。観測機器の電源を投入したとき、ロケット上部の横にあった小さなくぼみがゆっくりと動きだして内部から光がもれ始めた。高さ2m、幅1.5mの長方形になると地面に垂直な鉄骨が伸び地上へ下りだした。見慣れたもの、それはタラップだった。

タラップが地上へ届くと、宇宙からの訪問者は声を送ってきた。非常に歯切れのよい、ちょうどドイツ語のような感じの声である。しかし、理解はできなかった。私が聞いた外国語の中にあてはまる単語はひとつもない。30分程後に再び同じ声が聞こえ、開いているくぼみの中央に人影らしきものが現れた。双眼鏡の彼方に人間が立っていた。我々と少しも変わりない人の姿だった。かれ、そう彼は両手を頭上に挙げていた。服装は普段の私達と同様であった。

あれから2年、彼は言葉をはなすことができるようになった。もう普通の人々と変わりがなかった。衣食住はすべて私と同じであり不自由そうでもなかった。彼は良く食べた。好き嫌いなくなんでも食べた。ウイーナ。そう、ウイーナと自分を呼んだ彼は,私に逢ってから初めて不思議な身の上話を語りだした。その日は空も高く晴れあがり、所々に細い筋雲があるだけの秋日和だった。書物が山と積まれている書斎の中央で、小さなテーブルをはさんで私とウイーナは腰をおろした。

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その四

「私はそう、まず私の生まれた星のことからおはなししましょう。私の星は太陽系にあります。この第三惑星、あなた方は地球と呼んでいるこの星のすぐとなりの第二惑星の人間です。

私が生まれたころ地球は氷河期が終わり、所々に猿人が群がっていました。私達は地球に大きな期待をもっていました。第二惑星の歴史とほぼ同じ過程を歩んでいる星。人々は争ってロケットを作り人工衛星を打ち上げました。科学力はいまの地球より50年か7~80年は進んでいたでしょう。巨大なロケットは直接宇宙へ飛んでいけたのです。第三惑星。わずか1億キロのそばにある兄弟のような星。そこに両足で立つ猿人がいるのです。第二惑星の古代に氷河の中で生き残った祖先と、まったく同様と思われる猿人が生活しているのです。数多くのラジオ・ゾンデや各種の人工衛星の調査報告書を手にするごとに、あまりにも類似点が多いこの星に驚かされるのです。

私が大学をでた翌年、父は完成した光子ロケットの光速テストパイロットに選ばれました。歴史上初の光子ロケット。それに乗り込むことのできた父の喜びは想像するに余りあるものがありました。がしかし、これが思いもかけぬ悲劇の発端だったのです。

忘れもしないあの朝。父のロケットはすべての準備を終わり、音もなく光のみを残してテスト飛行に出発しました。大気圏を突き抜けた光子ロケットは光速飛行に入りました。光の速度に最も近い秒速30万kmの速度を獲得したとき、自らの強烈な光のビームで自動方向操縦装置を焼き切ってしまったのです。父は宇宙の漂流者となりました。再び故郷の土を踏めない放浪者になりました。救出用ロケットはどれも光速以下です。父のロケットに追いつくことのできるものは、光速を百パーセントだすことのできるものでなければなりません。それはありません。初の光子ロケットは宇宙の彼方へ去っていったのです。

この日から私は完全光速度のロケット制作に熱中しました。父を救うためのロケット、だが、どれも失敗に終わった。光速で飛ぶことは不可能でした。光子の反動で推進されるロケットはどこまでも光速に近づくことはできますが、100%光速にはいたりません。29回目の実験も不成功に終わり、落胆した私はそのまま深い眠りの中へ吸い込まれていきました。

夢を見ました。暗黒の空間を奇妙な形をした一基のロケットが飛んでゆく。頭は球状であり、その下に頭部より少し小さい球が三つ付いている。最後部には巨大なおわんのようなものがついている。そう、あれは父のロケット。史上初の光子ロケットだ。父は笑っていた。笑いながら手をふっていた。

父が枕もとに座っている。私は小さかった。いくつだろうか、5つか6つの子どもだった。魔法使いが光の帯に乗ってどこまでもどこまでも飛んでゆく。魔法の国から大昔へ。また、未来の国へと。あの楽しいおとぎばなしを父は微笑みながらはなしていた。

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そうだ、光の束にするのだ。人間の体は何億何十億、いや何百億という原子によって構成されている。肉体を原子に分解して光にのせるのだ。夢からさめた私はすぐ実験に取りかかりました。数千頭の犬と数百匹の猿が犠牲になりましたが、7年目の冬、7,265回目の実験は大成功でした。犬は原子に分解されてフラスコの中で生きています。だが、原子をもとの配列に戻すことはできなかった。分解する逆の方式はどれも不完全で、犬はその姿を失ってしまいました

さらに5年がすぎました。助手が原子に放射能を与えることを提案しました。何千億という原子にそれぞれ異なる量の放射能を含ませ、この放射能にひとつの性質を与えます。放射能の濃度の高い原子の周囲にそれ以下の濃度をもつ原子を集合させる。次々とそれを繰り返して凝縮させるのです。犬は元どおりの姿を現しました。しかし、放射能の副作用ですぐに死んでしまいました。放射能を無害とするには、簡単だった。それまでの実験から見るとまるで卵を割るコツを覚える程度でした。

原子がもとの形に配列を完了した瞬間、放射能はその性質を失うようにするのです。私は人工放射性元素C-14を選びました。半減期104年を自由に早める装置でC-14がその任務を果たし終わると、なんらの影響をも与えることもなく消滅させてしまうのです。あとは放射能に与えられた性質を活動させる時間を定めることです。それには2つの方法が考えられます。私は2つの方法を往路と復路に分けて使用することにしました。

父の乗っている光子ロケットの構成原子量に反応してすぐそばで出発前の姿に戻る方法と、他のひとつは空気の密度です。空気の密度が20億分の1のところで放射能は活動を始め10億分の1の地点で再生する。さらにそこは、地上より200kmなければならないとしたのです。これは、地表に激突するのを防ぐためと目標を失わないようにするためです。私達の星は酸素を多量に含んだ大気に覆われていました。したがって、目標以外の惑星に誤って着陸するのを防ぐことになるわけです。このころの地球はまだ酸素は薄い状態で、心配するような濃度でありません。繰り返し確認した計算結果に基づき、私は大型ロケットをつくりました。帰りに必要な装置を積み込み、宇宙服姿でそれに乗り込んだのです」。

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その五

ウイーナは手をのばして、テーブルの上にあった水差しから水を飲んだ。はなしがとぎれたのを幸いに私はひとつの質問をした。

「ウイーナ。あなたが出発するまでに約20年以上もの時間が過ぎている。お父さんはなにもない星に不時着したり、彗星や流星との接触も考えられると思うのだが。」

「ところがその恐れはほとんど、いや絶対にないといえるのです。銀河系宇宙は、大小マゼラン雲という小型島宇宙を従えています。その近くにはアンドロメダ島宇宙があり、やはり二つの星雲をもっています。他に三角座とかカシオペア座にも島宇宙があり、これらはさしわたし2~300万光年の長楕円体状空間におさまっています。これら局部星雲群と呼ばれるものの中に含まれる島宇宙は約20個。また、局部星雲群だけでなく、一般的に数個から数10個程度の島宇宙は星雲群と呼ばれます。星雲群よりもはるかに密集した数百個を越える島宇宙の集団は星雲団といいます。

髪の毛星雲団は実直径1,900万光年。19等星より明るい島宇宙が800個も群がり、私達から約1億光年離れたところにあります。このように巨大な宇宙も星と星との空間は、星自体の大きさに比べてほとんど虚ろといってもいいくらい大きいのです。地球くらいの体積をもった球を考えこれを島宇宙にたとえてみると、恒星というのはこの中には互いに数キロメートルずつ離れて浮かんでいるチリくらいの大きさしかありません。ですからあなたの心配はとりこし苦労ということになります。

この宇宙の中には反宇宙と呼ばれる不思議な世界があります。私達の世界を満たしている物質と構造が、まるであべこべになったような物質の世界です。シリコンという物質がありますね。河原の砂や石ころのなかにいくらでも含まれている物質を例に取ると、各々14個の反陽子と反中性子でつくられる原子核のまわりを、同じく14個の陽電子が回っているというように理解しがたい世界があります。そこへ飛び込んだが最後、瞬時に爆発反応を起こして消え去ってしまうと云われています。この反宇宙は最短距離3,500光年の地点にあり、しかも毎秒1,100キロメートルの速度で遠ざかっています。これもロケットに心配する程の結果を与えません。

はなしを元へ戻しましょう。ロケットは、あらかじめセットされたレーザー光線発射器の横に立っています。ロケットよりも巨大なこの装置は、瞬時に電気エネルギーに換算して千京メガワットの十億倍の光線を発信できるものです。始めにレーザー光線発射器は、他の同様な機械を原子分解したのち送信しました。さらにロケットエンジンが点火した瞬間、再び発信器は原子分解をしてレーザー光線に乗せたロケットを宇宙の彼方へ送信しました。ばらばらに原子分解された私とロケットは、光速で暗黒の空間を光の集団となって進んでいったのです。

目の前に光子ロケットが、その横にレーザー光線発信器が飛んでいるのが見えます。私の手はエンジン始動レバーにかかっていました。出発した時から1秒すらたっていない状態でありながら、目標の光子ロケットに追い着いたのです。そう、光速では時間が止まっているのです。光が数十億年の距離を進んだとしてもその光の年齢は出発の時と変わりないのです。ロケットが光速度に近づけば近づくほど、乗員は地上にとどまっている人よりあきらかに時間をもうけるということになるのです。

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太陽系から距離9光年のところにあるシリウス星を例に取りましょう。そこまで往復するのに18年の時間がかかります。しかし、光速度で航行すると地上での18年という歳月は、ロケットの中では約7万分の1だけ時間の進行が遅れたった2時間15分という結果が得られます。

私はどれだけの距離を飛んだのだろう。おそらく、数10億光年飛んだのでしょう。等速度で動いている二つの系のなかではどんな実験も同じ結果を与えます。したがって、私は出発したときそのままの状態であり、年齢も変化することはなく食物もなにも必要としないのです。

父は死んでいました。光子ロケットが1000億光年の彼方まで行けたとしても、父は33才しか歳を取らないはずです。それなのに父は死んでいました。原因は、原因は、あまりにも単純でなことです。光子ロケットは食料を積んでいなかった。科学が極度に発達した現在、もっとも原始的な飢餓が父の生命を吹き消したのです。母と子が笑っている写真を握りしめたまま父は静かに眠っていました。

どんなに悲しんでいてもしかたがありません。私がロケットの研究に着手したときにはすでに生きていなかったのです。生命のむなしさ、はかなさをこれほどまで強く感じたことはありません。私は父の遺体をそのままにして帰ることにしました。大宇宙は偉大なパイオニアをその暗黒の中へ葬ってくれるでしょう。

レーザー光線発信器を光子ロケットにセットした私はリモートコントロールのスイッチを押しました。私のロケットは再び原子に分解されて光速で帰途につきました。しかし、予想できない事態が起こりました。私は第三惑星へ到着したのです。太陽系はすでに変化していました。地球には人類が満ち溢れ、200km上空で大気は10億分の1の密度をもっていました。そして、第二惑星、金星は死んでいた。

残っているのは炭酸ガスの密雲に包まれた死の星。なにが起こったのだろう。たぶん、権力を握った者を捕らえて放さない征服欲だろう。彼らは自らの兵器でおのれとその家族を消滅させたのだろう。」

秋の日はつるべを落とすように早い。もう外は闇に包まれ、星座は数多くの謎をひめてまたたきかけている。長い沈黙が続いた。ウイーナの頬に数本もの白い筋が光っている。その筋はしだいに太くなってゆく。ウイーナは泣いていた。それまで堪えていた涙が関を切ったように溢れだした。噛み締めている歯の間から泣き声が漏れだした。

ついに恐れていた時がきた。ウイーナは故郷の星へ帰ってゆく。燃料も食料も積み込みを完了した。死の星へ向かって出発する彼を私達は止めることができなかった。ウイーナは自ら死を選んだ。すみませんと、何度も何度も繰り返していた彼は笑顔と轟音を残して消えていった。4カ月後、ウイーナは祖先を生んだ土を踏みしめるだろう。(1966年昭和41年12月ちょんが会誌第一号に掲載)

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3 この日 このとき

その一

昭和20年8月15日正午。佐々木房子は長男の誠、次男勝一の小さな手をしっかりと握りしめながら、近所の人や遠くの部落から集まった人々と共に、北海道の中央に近い東部国民学校のグランドでスピーカーに向かって深く頭をたれていた。

佐々木房子31歳。夫一雄35、歳陸軍上等兵。10年前に結婚二児の母である。夫は従軍してより2年、働き手を失った彼女は細々と内職で子供を育てていた。小柄な房子は勝一が生まれるとまもなく栄養失調になり、益々小さく見えるようになったが、あの、誰をも母と思わせない清純さをまだ失っていなかった。

佐藤幸徳中将率いる第31師団は、田中信男中将の第33師団と共に激戦地コヒマからパプンへと撤退していた。ぬぐってもぬぐっても額の汗はにじみだしてきた。シャツは名ばかりでボロボロに破れ、その形をとどめていなかったし、足には靴もなく血と泥にまみれた布がわずかについていた。身体は痩せ衰え頬骨は突き出してその中で目ばかりがギラギラと輝いている。満足なものといえば、杖のかわりをしている三八式歩兵銃だけであった。佐々木も他の者も、もう6週間食事らしき物を口にしていなかった。毎日毎日竹の根を掘り起こし、その根を生のままかじり、草を口に押し込み、わずかの水をすする程度であった。

この日この時、日本国民はラジオのまわりに集まりスピーカーに向かって恐懽しながら深く頭を垂れていた。

「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状ニ鑑ミ、非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ、茲ニ忠良ナル汝臣民ニ告ク」

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そのニ

敗退する日本軍は惨めであった。彼らの敵は、英国軍やビルマ政府軍ばかりではなかった。飢餓と渇き、栄養失調、マラリア、腸チフス、コレラ、脚気、デング熱、インド痘、皮癬、熱帯病に加え、砂蝿、蛟、シラミ、ダニ、ヒル。さらに、名も知られていないつる草、からみ合い進路をはばむつた、密生する草木。数えあげることすら不可能なこれらの敵が日本軍にまつわりついていた。

湿気が多い陰さんな土地で、吐くような悪臭が鼻にくるジヤングルの中を佐々木はよろめいていた。アランカヨークに絡みついているつたに、小さな赤い実が無数にたれさがっている。グミのような感じの赤い実が枝もたわわにさがっている。彼は喉を鳴らした。銃を根元に立てかけ、つたをたよりに重く疲れきったからだを引き上げていった。(もう少し、もう少しでとどく。あれは食べられる)。右手をのばしてこの喜びを握りしめたその時、草を踏みしめる足音がした。佐々木は赤い実の汁がついた手を拳銃にのばした。

1人のビルマ兵が湿地の方から草をかきわけて現れた。丸顔で肩幅のがっしりした25~6の男。手には自動小銃を、腰には手榴弾を2個と拳銃を一丁ぶらさげている。戦場へ出てまもないのだろうか、恐怖におののき顔面は蒼白であった。ビルマ兵は佐々木のいるアランカヨークの根元までくると、しきりにあたりのようすに気をくばった。彼はビルマ政府軍の軍服をつけていた。だが、軍服は身についているとはいえなかった。おそらく激化する戦闘に徴兵されたのであろうか、軍人らしくない軍人、いや戦うすべも知らない青年のように思えた。

佐々木の左手は、しだいに感覚をなくしていった。飢えと疲労の連続に衰弱しきった彼は、もはや自分自身を支えることすら耐えられなくなっていた。じりっ、じりっとからだはすべりだした。佐々木はあせった。(見つかったら殺される。俺は死にたくない。妻に会いたい。わが子の顔を見たいんだ)。

耐えるにも限界がある。ついに左手はつたをはなれた。ザーッという音をたてて身体が降下し始め、下に立っているビルマ兵の背を突き飛ばし、ドスッとにぶい音をたてて右足が湿地の泥の中にめりこんだ。とたんに焼けるような激痛がおそってきた。額からは新しい血がふきだしている。シャツは裂けて上半身は裸になってしまった。

ビルマ兵は佐々木の身体に打たれ、泥の中にうつぶせに倒れた。自動小銃はその筒先を泥の中にめりこませていた。起き上がった彼の顔は恐怖のあまりに引きつり、ほほの筋肉は時折けいれんしている。銃が使えない。そう見た彼は腰の拳銃を引き抜くや向きなおった。すぐ前に日本兵がいた。しかも、拳銃を自分に向けて。湿気の多いむっとするジャングルの中で他人同士がにらみ会った。拳銃は汗にまみれ黒く光っていた。

天皇の声は続く。

「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘚四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スルノ旨通告セシメタリ」

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その三

昭和16年2月8日未明、マライ半島東岸に上陸した日本軍はビルマ作戦を開始した。連合軍の援蒋ルートを切断して、インドに対する対英国軍離間工作促進を目的とした南方軍は、寺内寿一大将率いる南方総軍と河辺正三中将のビルマ方面軍、牟田口廉也中将の第15軍。さらに、佐藤幸徳中将の第31師団、山辺正文中将の第15師団、柳田元三中将田中信男中将の率いる第33師団、他に9個連隊、2野砲連隊、1山砲連隊、9個大隊よりなる総勢30万の大部隊であった。昭和17年1月31日モンメールを占領。昭和17年3月、ラングーンを陥落。昭和17年5月、マンダレィを攻略。多大な戦果をあげながらビルマ作戦は着々と進展していった。

これを迎えうつ英国軍は、マウントバッテン大将の率いる東南アジア総指令部を中心にギファード大将の第11方面軍、スリム大将の第14軍ほか、ストップフォード中将の第33軍団、スクーンズ中将の第4軍団、クリストソン中将の第15軍団。さらに、6個師団、6個旅団、18個大隊、コヒマ守備隊。そして、中国軍、インド政府軍、ビルマ政府軍、およびゲリラからなる60万の軍隊であった。

日本は敗けたのだろうかと房子は自分に問うた。信じられない。あんなに強かった日本軍が。私は夢を見ているのだろうか。悪い夢を。毎日のニュースだって、日本が敗けているなどと云わなかった。どんな戦いにも勝っていた。その日本が、その日本が敗けるはずが。

房子の疑いをはらすかのように天皇の声は続いた。

「抑々、帝国臣民ノ康寧ヲ図リ、万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ、朕ノ拳々措カサル所曩米英ニ国ニ宣戦スル所以モ、実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ、他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ加キハ固ヨリ朕カ志ニアラス」

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その四

激痛は一定の周期をもって襲い、額の血はまゆげのところまで流れてきた。左手はしびれて動かなかった。拳銃はしだいに汗にまみれてくる。目の前でビルマ兵は両手にかたく拳銃を握りしめている。彼は心の中で呼びかけた。

お前を殺しはしないよ。俺はお前達の住み良い国をつくるために、お前達を苦しめた英国軍をお前達の国から追い出すために。亜細亜民族の平和を実現し、美しくすばらしい世界をつくるために祖国をはなれて助けにきたのじゃないか。思い出してくれ。俺達は同じ亜細亜人だ、いつまでも仲良くしようと誓った友達じゃないか。思い出してくれ。ほら、昨日までのことを。亜細亜の友を馬鹿にし、迫害し続けた相互の敵をあっという目にあわせてやろう。その日のために手をつなごう、そう誓ったあの日のことを。

ビルマ兵は名をケビチーサといった。両親と一人の妹と共にマンダレィのはずれにある小さな農園で、朝早くから星の出るまでさんさんと降りそそぐ太陽のもとで額に汗して働いていた。貧しかったが笑顔に満ちていた。そうした或る日、吉報が訪れた。日本軍がビルマを解放にきたという。我々の国を我々の手に返してくれるという。しかも、ラングーンの英国軍は敗退しているという。親子は小躍りして喜んだ。我々の国は独立できる。その日は間近に迫っている。だが、シンガポール華僑の虐殺。バターンでの死の行進。ビルマ人部落を砲撃など悲惨な知らせも相次いでもたらされた。そうした或る日、あの忌まわしい日がやってきた。

昭和17年4月233日、マンダレィは血と火薬の臭いで満たされた。日本軍の砲撃は激烈をきわめた。大砲はその筒先が焼けただれるまで休もうとしなかった。ケビチーサが水をくみ終わって戻ってくると、家は跡かたもなく消えそこには大きな穴があいていた。やさしかった両親はすでにこの世の者ではなかった。両親のものであろうか、そこらじゅうに散らばった肉片は異様な臭気と煙をはいていた。血液は飛散して、あたりにどす黒いしみを残していた。

妹は生きていた。片足を吹き飛ばされて大木の陰に倒れていた。小さな子は目を大きく見開き、兄の姿を見つけると両手を伸ばして叫んだ。 「おにーちゃん。」 「チャドウイン、チャドウイン」。

ケビチーサは走りよった。「なにがあったんだ。どうしたんだ」。チャドウインには答えようがなかった。なにが起きたのか、どうして立てないのかわからなかった。ただ薄れゆく意識の中で、何度も何度もくりかえして呼び続けた。「おにーちゃん。おにーちゃーん。おにちゃー」。

妹も去ってしまった。なんの罪もない、なにもしていない彼の家族は日本軍の手で殺された。貧しくも楽しかった彼の世界は一瞬の間に破壊されてしまった。

「然ルニ交戦己ニ四歳ヲ閲シ、朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精、朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必シモ好転セス、世界の大勢亦我ニ利アラス」

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その五

昭和19年3月6日にインパール作戦は開始された。佐々木一雄上等兵はこの2日前、第31師団へ増強兵員として編入された。第15軍司令官牟田口中将は、マニプール河沿岸のトンザン付近に日本陸軍第32師団と第214連隊を進撃させた。進攻は迅速に進んでマニプール河を渡り、英国軍補給路の要衝コヒマを襲撃し4月7日第58連隊によって占領した。

コヒマは二つの山脈をつなぐ鞍のような位置にある。中央アッサム、ナガ丘陵群の中にあり、標高約1,660m。南は4kmにおよぶ緑の山並、北側はディマプールへ向っての深く底しれぬ渓谷。西側は暗く数十キロにわたって森林が続く天然の要害。さらに、東側は地図にも空白のまま原始の密林が続いていた。この地を占領した第31師団は、飢餓と疫病と砲撃に苦しみながら一対二の敵に65日間にわたる攻防戦を続けた。

しかし、制空権も増強兵力もなく飢餓と渇きと万延する伝染病と熱帯病。昆虫と湿気の前に破れ去った。牟田口中将の第15軍は、インパールを目の前にして進むことも退くこともできず英国軍の砲撃と飢餓の前にくずれ去った。日本陸軍はコヒマとインパールで日本戦史上最大の敗北を喫した。しかもこの戦いこそ、エル・アラメインの戦い、ノルマンディ上陸に劣らぬ第二次世界大戦の重大な決戦場でもあった。

佐々木はまばたきした。すると瞼の奥に出征する前の広島の村が浮かんでいた。青々と続く水田、深緑に染まった森林。家の前には、妻の房子が笑顔をこちらに向けて立っていた。その腕に生まれてまもない次男の勝一が静かな寝息をたてていたし、長男の誠は近所の子供達とビー玉に夢中になっていた。佐々木は目の前の敵を凝視した。ビルマ兵は引金に指をあてている。俺を殺す気か。彼は無言の叫び声をあげた。

ケビチーサの手はふるえがとまらなかった。そのため拳銃を両手で押さえていた。彼は人を殺したことはなかった。家族が死んでから殺した日本人に復讐するためにビルマ軍へ入った。そして、短い訓練を終わり今日初めて戦場へやってきた。だが、いつしか仲間達とこの深いジャングルの中で別れ別れになってしまった。いつ、どこから、日本兵が狙ってくるかもしれない。あの木の影にいるのか、それともあそこの草の中か。ケビチーサは時々立ち止まって耳をすました。だが、虻と蝿の羽音いがいなにも聞こえない。

一歩あるいては止まり、二歩進んでは耳をすました。彼の家のすぐそばにあったアランカヨークの大木を見つけたとき、なぜかほっと気の休まる思いがした。故郷へ、なつかしい家族のもとへ帰った感じがした。しかし、すぐにケビチーサは瞬いた。悲惨なあの日の出来事が浮かんだ。両親のからだはバラバラに飛び散り、妹のからだは黒こげであった。そして、おにーちゃーんというチャドウィンの叫び声が耳の奥に迫ってきた。

天皇の声は続いた。

「加ノ敵ハ、新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ,頻ニ無ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル、而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我ガ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス、延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ、斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ」

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その六

誠が手を引くので、房子はそっとあたりを見回した。近所の人も遠くの村から来た人たちも立ったままで泣いていた。日本は敗けた。頭の血はなだれをうつて足下へ落ちていった。日本は敗れた。房子はこれから日本がどうなるか、自分達の生活がどう変わるかを考えなかった。房子は子供達の手を強く強く握りしめた。“夫は、夫はどうしたろう。死亡通知は今日もこなかった。ビルマのどこかで生きている。戦争は終わった。夫はきっと、きっと帰ってくる。私達のもとへ帰ってくる”。

ビルマ作戦は日本軍の完全な敗北であった。第31師団の兵は、他の部隊の兵達と同じに飢餓とマラリアと脚気で動くことすら容易にならず、トーチカの中でじっとしているほかなかった。病人は日毎にその数を増し、薬も与えられぬまま死体のわきにころがっていた。攻撃が始まると彼等も銃を取った。黄白な顔の者、熱にうかされた者、さらに片足片手がない兵や、両目を失明した兵までもが銃を握った。

コヒマの戦いで英国軍側死傷4千余名、佐藤師団は戦死3千余名と負傷4千余名の損失を被った。再起不能までいためつけられたこの戦いは日本陸軍最後のカケでもあった。海軍はミッドウェーで壊滅し祖国はB29の爆撃下におかれていた。ビルマ作戦が成功すれば中国軍は撤退するであろう。補給路を断たれた東南アジア軍は、深いジャングルの中で孤立しなければならなかった。インドには消すことができない反乱の炎が燃え上がるはずだった。だが、いま一息というところで日本軍は敗れさった。立直ることが不可能なまでに痛めつけられていた。

南方軍は退却を始めていた。動けない病人や重傷の兵は戦場に残された。歩くことのできる兵も襲いくる様々な敵の前に膝を屈し、10mに1人、50mに3人と落伍していった。彼らを助けようとする兵はいなかった。彼らは去ってゆく戦友の姿が見えなくなるまで横たわっていたが、腰の手榴弾をはずし真管を引き抜き自爆していった。戦友がバタバタと倒れてゆく姿を横目で見ながら佐々木は歩いた。倒れていく友の姿はいつこの身に起こるかも知れない現実であった。歩くことすらままにならない自分に友を救う力は残されていなかった。かって30万の大部隊であった南方軍は、3分の2以上にのぼる戦死者と重傷者を残して敗走していた。

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俺を殺す気か、佐々木上等兵は無言のまま問いかけた。答えはすぐに帰ってきた。佐々木自身そう答えざるを得なかった。俺もお前も互いに殺しあう以外、助かる道はないのかもしれない。お前は日本語がわかるだろうか。いや、知らないだろう。俺もビルマ語をはなせない。どうすれば良いのだ。助かる道はないのか。俺は死にたくない。日本へ帰りたい。妻が待っている、二人の子供がまっている。お願いだ、拳銃をおろしてくれ。俺はお前を殺したくない。逃がしたところで、どうということはないんだ。ただ、お前が我々のことをはなさないでくれればいい。お前は、はなすだろう。おれもそうするだろうな。お前を殺す以外、方法はないんだ。

ケビチーサは時々目の前が暗くなり、日本兵の姿がかすむように感じた。手のふるえも益々大きくなってくるた。落としてはいけない。撃たなくては。殺される。死ぬのはいやだ。こんなジャングルの中で、たった一人で死ぬのはいやだ。誰も知らない密林の中で死ぬのは嫌だ。撃とう、日本兵を殺そう。死にたくない、死にたくない。殺される、撃たなければ。お父さんの、お母さんの、妹の、チャドウィンの敵だ。あんなに楽しかった家族を、一瞬の間に破壊した日本兵が憎い。

ケビチーサの耳に再びあの声が聞こえてきた。「おにーちゃん。おにーちゃーん。おにちゃー」。チャドウィン、チャドウィン。いま兄さんはお前のかたきをうってやる。お父さんやお母さんのかたき、妹のかたき。日本兵を殺してやる。いま殺してやるぞ。

死にたくない。俺は死にたくない。もうたくさんだ。殺しあいは、う嫌だ。房子、もう少しでお前に会える。もうまもなくだ。俺はお前に会うために、お前のところへ帰ろうとそれだけを楽しみに。房子、待っていてくれ。

殺してやる。なんの罪もない父や母、妹を殺した日本兵め。殺してやる。家も畑もなにもかも奪った日本兵め、殺してやる。チャドウィン、見ていろよ。お前を殺したこの憎い日本兵をいま殺してやるぞ。

天皇の声はうるんでいた。

「是レ朕カ帝国政府ヲシテ、共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ」

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その七

突然、そこここに激しい鳴咽が起こった。日本は負けた。天皇自らマイクの前で国民へそう告げられた。グランドの土の上にうつぶせに倒れ、泣き声をこらえている老人。唇を噛み占めてじっとたたずんでいる父親たち。そして、老婆はただぼんやりと立ちつくしていた。

房子は心の中に喜びと期待が沸き起こるのを止めることができなかった。戦争は終わった。夫は、夫は帰ってくる。きっと帰ってくる。その日はいつだろう。きっと、きっと近いうちに。10日位だろうか。いや、もっと。そう、一カ月もあれば。いや、もう少し長いかもしれない。でも、帰ってくる。夫は帰ってくる。房子は飛び跳ねようとする自分のからだを押さえるのに必死だった。足が思わず踊りだそうとする。両腕にひっしと子供達をいだき、その頬にほおずりしたい気持ちであった。夫が帰ってくる、夫が帰ってくる。彼女は何度も何度も心の中で繰り返した。

佐々木が召集令状を受け取った日から二年の歳月が流れていた。広島の里にある小さな自宅で、それは次男の勝一が生まれた年の春であった。子供達や妻の顔が、頭の中でくるくるまわりながら現れては消えた。静寂が一瞬訪れた。佐々木上等兵の指は拳銃の引金を引いていた。だが、自分のからだに異質な物が飛び込んでくるのを感じたのもその時だった。

夫が帰ってくる。夫が帰ってくる。房子は二人の子供を抱きしめていた。それまで知ることができなかった喜びに彼女は酔っていた。

お父さん。お母さん。チャドウィン。やったぞ。日本兵を撃ったぞ。みんなを殺した敵をケビチーサは撃ったぞ。薄れゆく意識の中でビルマ兵は叫び続けた。

佐藤幸徳中将は第31師団の中央で馬にまたがっていた。汗は容赦なく衣服を濡らし、馬は疲れきってその蹄を泥の中にめりこませ歩くのさえ苦痛のようであった。首筋を叩き激励していた佐藤中将の耳に、遥か後方から一発のいや二発の銃声が届いた。一人の日本兵と一ビルマ兵がこの世に残した慟哭であった。

第31師団が終戦を知ったのは昭和20年8月22日の夕方である。(1967年昭和42年12月ちょんが会誌第二号に掲載)

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4 迷言先生大いに怒る

本紙初の試みとしてこのたび紙上訪問をあらたに企画しました。今日は抽象画の天才である迷言先生宅におじゃまし、非常に忙しい時間をおさきいただいて擬態語についておうかがいしました。

記者「本日はどうも、お忙しいさなかにお伺いいたしまして。」

迷言「いやいや、どういたしまして。で、ご用件は。」

記者「先生の使用なされています擬態語についてご意見をうかがいにまいりました。一般的に擬態語を使用する人は語意の貧弱さからとか、言語を知らなすぎるためなどとうわさしておりまが。」

迷言「君、わしはその言葉に対して非常な憤りを感ずる。擬態語はまったく新しい言語なのだ。それを使用せず、そのすばらしい意味も理解出来ない凡人がなにをいうか。わしが思うに、こんにちの日本語に擬態語が少ないのは現代の国文学者の語意の貧弱さをものがたっている。」

記者「それは少しいき過ぎた考え方ではないでしょうか。どのような場合にもそれに即応した言葉があります。モナリザの絵をながめた人はだれでも美しいと表現するでしょうし、自分の好みにあった女性を見ると好きだという感情がわくでしょう。この美しいとか好きだという感情は、他のどのような言葉を使用しなくともそのままで他人を動かすことも同調させることもできます。」

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迷言「美的表現の言葉は、あまりにも乱発されすぎてなんら感動を呼ばないのが現状ではないだろうか。君のいう好きだという言葉ひとつを取り上げて考えてみると解るだろう。これは本来、心をときめかせる作用をもつ。だが、いまささやかれたとしても、感情の動きは見られんだろう。愛しているといえば、男女間の恋愛のさいにささやかれる言葉である。これも安易に扱われすぎたために、感情を失い効果は上がらない。いわば、日常茶飯事に使用された言葉はその本来の作用を失っている。そこで、新しい表現方法が必要になってくる。わしはそれを擬態語に求めた。」

記者「先生のお説はごもっともと思います。ですが擬態語に求めるいがいに、他の方法はなかったのでしょうか。」

迷言「擬態語は簡単に、しかも簡素にして意志を伝達できるもっとも近代的言語であると信ずる。」

記者「そのご信念には敬服いたします。ところで、先生がご使用になられます擬態語はどのようなものがありますか。例をあげてご説明いただきたいのですが。」

迷言「まず、なんといってもビューッだね」

記者「ビューッ」。

迷言「そう、ビューッじゃよ。ビューッは美行の未然形であって次のような活用をする。ビューッ、ベローン、ビローン、ベローッ、ベロサ。このうちベロサは、特殊な場合に使用する。」

記者「活用はわかりましたが、意味が全然わかりません。」

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迷言「君、意味を知ろうとしちゃあいかんのだ。楽しいときうれしいとき、心にその感情が走ったときに、ビューッやベローンを使用するのだ。例えば、トランペットの音色が悪いときに、やあ、まいったまいった、ビューッと出ないなあとね。」

記者「はあ。」

迷言「解らんかね。こんな簡単なことがビューッと理解できんようでは、これからしようと思ったはなしも無駄に終わってしまう。こんな言葉は擬態語の初歩にすぎんのだ。」

記者「他に、もっとやさしい言葉はありませんでしょうか。」

迷言「君達はこう云うことがないかね。うん、あんたがビューッと泊まったら、オレが明日バッチリ泊まるから今日の泊り変わってくれとか、麻雀のさいにもたもたしているヤツに、ネッコリ考えないでビバッとやれ。また、パチンコなどで玉が穴に入ったとき、カポーンと入ったなどと云うだろう。このカポーンは汚落行の終止形で、カパ、カポン、カポーン、カパー、カパサと変化する。ネッコリは、志津恋行の未然形で、ネッコリ、ネットリ、ネバット、ジメット、ジワットと変化する。」

記者「はあ。」

迷言「他に、ビューッの活用で欄外活用がありこれはビバッというなど、なかなか興味深いものである。」

記者「わたしには何がなんだか解りませんが。」

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迷言「そりゃ、コクだよ。やあーまいったまいった。ビバッとわからんかねえ。」

記者「先生のおっしゃることが、だんだん理解できなくなってきました。かって、わたしが外国旅行をしたさい耳にしました、未開地原住民の言葉を聞いているようで。」

迷言「表現の仕方が気にくわないが、君もなかなかシブイ云い方をするねえ。いろいろ挙げてゆくときりがないが、とにかく日常語の中に擬態語がガッポリ使用される日も間近であろう。わしはそのビューッとした世界のくるのを心まちにしながら、せいぜい努力を惜しまないつもりじゃ。」

記者「お言葉を返すようですが、そのような世界は言語の堕落した世界ではないでしょうか。日本古来の美しさを保ってきた言葉、あらゆる階層の人々によって磨きあげられ完成されてきた言語を失ってよいものでしょうか。

迷言「古い。考え方としては筋が通っているが、古いよ君。日本古来の美しさを感じたり、言葉をかみしめて使用する人間がいるだろうか。口は重宝なものでどうにでも云えるが、君のいう美しさは消え去った過去のものにすぎない。現代語に美しさはないよ。」

記者「十分に残っています。現実に先生が美しいという言葉を使用され、その言葉の背景にある美をわたしは感じ取れるからです。」

迷言「はっ、はっ、は。わしは別じゃよ。わしは画家だから、言葉の端々に美しさが現れるのはやむをえんだろう。」

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記者「先生の絵は抽象画でしたね。わたしはいつも思うんですが、あれは絵ではない。まったく別のなにかなんだと・・・。」

迷言「抽象画を理解できんようでは現代人とはいえん。あれほどすばらしい感覚の表現方法はありえんよ。わしの使用する擬態語を使うならビューッの世界である。見たまえ、これが最近の作品だ。」

記者「これがですか。美しい。私には精神的に不安定な、いわば、失礼ですが、狂人のなせるわざとしか思えませんが。」

迷言「シブイ。実にシブイ見かただ。天才と狂人は紙一重というからなあ。}

記者「いえ、わたしは精神病的患者という意味に使ったのですが。」

迷言「君は、すこしは目の見える男だと思ったが、もう帰りたまえ。顔を見ているのさえ腹だたしい。」

記者「どうも、大変おじゃまいたしました。では、このへんで失礼いたします。」(1967年昭和42年8月17日作)

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