はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

古き良き時代 内容紹介 

小学生時代から現在まで様々な体験をしてきました。どの体験も二度と出会うことはできません。いまとなっては古き良き時代の思い出ですが、情熱を燃やし続けたなつかしい人々が目に浮かびます。

第18章 札幌をアカシヤの街に

歌謡曲への登場数を調べると、札幌にはアカシヤの花やアカシヤ並木が似合います。ニセアカシヤから「ニセ」を取り去り、「はりえじゅ」に「アカシヤ」というブランド名を贈呈しようではありませんか。そして、詩情溢れる人情豊かな街札幌を創造しましょう。

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第17章 忘れられぬ友

これまで様々な方々との出会いと別れを経験し、すでに亡くなられた忘れえぬ友もいます。折に触れて手を合わせると、いまもあの声が聞こえます。月刊専門誌「学校事務」に連載した「いまだから笑い話」より思い出の深い友を抜粋しました。

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第16章 悩んでいるときに

これまでに様々な経験をし、いまでは考えられないようなこともありました。月刊専門誌「学校事務」に連載した「いまだから笑い話」より、あなたが悩んでいるときに役に立ちそうなものを抜粋し、新たに四編を追加しました。

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第15章 夢を追いかけて

新聞付録のテキストを見ながら、中に何も入っていないまんじゅう(饅頭=マントウ)づくりに何度も挑戦して失敗しました。料理教室で基礎を学びながらかんたんパンの作り方に出合い、テキスト作成者の常温と云う表現が実際とは異なることを学びました。

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第14章 神々の贈り物

文書管理の改革を目指した八戸市学校事務研究協議会の取り組みをリアルタイムで、月刊専門誌「学校事務(学事出版)」の平成7年12月号から平成8年11月号まで連載したときの生原稿。その後の追加も含め、教育現場であるべき姿を求めた努力の軌跡です。

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第13章 文書管理ノート

札幌市情報公開条例施行で学校事務職員が中心となり「学校文書管理ハンドブック」を完成。経緯を平成2年度「第22回全国学校事務研究秋田大会」で「情報公開制度への対応ー札幌市における検討の軌跡ー」として発表。退職時に後輩へ配付したPDF資料集。

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第12章 学校事務の機能化

全国学校事務研究会主催の昭和63年度「第20回全国学校事務研究東京大会」で、全国学校事務研究会北海道支部として「学校事務の機能化をめざしてー物品管理体系から出発した情報化に望むものー」発表しました。その元原稿を転載。

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第11章 屈折赤道偽の調整と利用法

複雑な操作なしに同一天体を多人数へ観察させることが可能なため、1979年に小学校の教材に「五藤式赤道儀」を購入しました。使い方を知らないので、組み立て方と設置と調整方法を解説し、小学5・6年生が理科で学ぶ観測対象を解説しました。

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第10章 ITサポートと失敗

パソコンの操作技術を生かそうとボランティア活動の経験をもとに、地域の方々へIT講習会を開催していると行政主導団体からパソコン講習の講師要請を受けました。地域住民のためという美名で気分屋の餌食にされ、団体の役員も講師もゴミの扱いでした。

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第9章 いとしのジェニー

初めて購入した店頭展示パソコンにジェニーという名を付けました。ワープロのように中々云うことを聞いてくれませんが、Excel の前身である Multiplan に出会えました。部品を交換してアップグレードしているうちにマザーボードが焼け焦げてしまったのです。

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第8章 パソコンのある生活

52歳の秋に初めてパソコンを購入し、世界に一台しかない自作コンピュータの魅力に取りつかれて自作機の世界にのめりこみました。パソコンの空き時間を利用して宇宙人探しの「SETI@Home」計画に参加。あなたも夢を追いかけてみませんか。

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第7章 機関紙“幌”掲載の短編集

札幌市内の学校事務職員が集う研究研修団体の機関誌「幌」より、「神威岬」「むしょぐらし」「完走認定第148位」「いまだから笑い話」「意固地」「パソコンの殺し方」「パークゴルフは楽しい」「一筆書き残し候」を転載。

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第6章 木もれび掲載の短編集

白石区の学校事務職員が集う研修サークルの会誌「木もれび」より、アマチュア無線免許取得の「あ~、花の中年」、文句を言いながら現実から逃げてはいけない「原稿用紙のない世界」、後輩への苦言と指針「蜘蛛の糸」を転載。

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第5章 独身時代の短編集

毎晩宿直をしながら書き続けて職場のちょんが会誌に掲載した短編。「吹雪の中へ消えて」、「去っていったウイーナ」、「この日このとき」。新任教師の連発する擬態語をもとに会話のみで構成した「迷言先生大いに怒る」短編作品などを転載。

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第4章 昭和36~40年度の経験

北海学園大学経済学部へ入学し、グリ-クラブ活動で実施が夢とされていた第一回と名がつくものを手掛けることで開拓者魂が身につきました。文化協議会で「道東講演」復活へ向けた「地方公演」を実施し、挑戦すれば夢がかなうことを体感しました。

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第3章 昭和33~35年度の経験

高校へ入学してイタリア女性との文通や写真部へ入部して暗室造りを体験。この当時は映画の黄金時代で、昭和33年に札幌市内で営業していた映画館は43館、昭和35年には53館に増えていた。宗教の盲信をいさめてくださった吉田牧師さんとの出会い。

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第2章 昭和30~32年度の経験

見渡す限り平らな石狩平野の中央部を吹き抜ける強い風、歩くとふわふわゆれる道路、気味が悪いほど赤く濁っている飲料水、新篠津村は泥炭地帯でした。文化祭で三学年の劇「シュテルゼフ峠」演じた仲間は70歳を超えていまなお同窓会が続いています。

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第1章 昭和24~29年度の経験

昭和25年10月に朝鮮半島情勢の緊張が高まり、開拓地の小学校校舎と校地は駐留軍の演習地として接収区域に含まれました。機械化部隊が学校の前を火山灰を舞い上げて走り、夜間演習で真っ赤に焼けた銃弾が尾を引いて飛んでいるのが幾筋もみえました。

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